落ちる、堕ちる(二)

「何故“始まり”になってしまったのか? それを追求するなら、何が悪かったのか? という問いに繋がってしまう。そして、それを考えてゆくとまず非難すべきは神田さんだ」

 さらに青田は無慈悲に告げる。

「田之倉さんの調査については、神田さんはかなり岡埜の世話になったはず。しかし、そのあと岡埜との交流を断ってしまっていた。そんな風に想像出来るからです」

「ど、どうして……ですか?」

からです。神田さんは意識して交流を断ったわけではないでしょう。自然とそうなってしまった。結果として岡埜を振り返ろうとはしなかった」

「そ、それはともかく、それよりも浮かれていたことが前提になってることが――」

「憔悴していたからですよ」

 青田は、美佐緖の証言――つまり現実リアルを突きつける。

「順番に考えて行きましょう。神田さんの当初の計画でも小森さんは始めに除くべき人物と計画されています。その点から鑑みると、多少の誤差はあっても計画は無事に進行しているのです。憔悴はそれでもしていたかも知れない。しかし同時に高揚感がなければならない。神田さんが計画の進行を最優先としていた場合はね。ところが、神田さんにはすでに後悔しか残っていなかった。だから憔悴だけが残る。何故か? 僅かな期間ですがサークル活動に心を囚われてしまっていたから。もう一度言います。神田さんは辞めようとしていた。そう考えるべきなのです」

「それは……それは……」

 喜ぶべき決意のはずだ。そして、ごく普通に神田が生活すれば――だが手遅れだったのだ。

 美佐緖はそう理解してしまう。

 この時にはもう、始まってはいけない“何か”が、始まっていたのだ。

 美佐緖は絶望を受け入れるしかなかった。

「しかし、神田さんの振る舞いは岡埜にとって裏切りだった。これは報道されている岡埜の生い立ち、抱えていたコンプレックスを考えれば、裏切りだと思ってしまうことは必然でした。良いも悪いもない」

 そして青田は美佐緖を嬲るように説明を続けた。

「とどめになったのが、神田さんが女性を連れて『陽楽荘』にやって来たこと。しかもただ連れてきたわけではない。世話もして貰っている。それがどれほどに岡埜のコンプレックスを刺激したか。月苗さんも、ここまでは一瞬にして理解された。だから、自分が悪かったのか? と考えてしまった。しかし月苗さんは憔悴した神田さんを送っただけです。そして薬を飲む段取りを整えただけ。どう考えても、そこに非難されるべき要素はない」

「…………」

 美佐緖は沈黙で応えるしかなかった。

 自分の行動は青田が指摘したように何らおかしなところはない。それに岡埜のような人物が側にいることにも気付きようがない。

 ない。ない。ない。

 美佐緖が悪いとする考えは全て否定される。

 だけどそれでも――

「次に悪い部分を探すのなら『陽楽荘』の言ってみれば、アットホームな雰囲気だ。当然プライバシーは確保されていない。食事、風呂トイレと部屋を開けてしまう隙がある。岡埜は神田さんの部屋に潜り込んだ。どうやって神田さんが変わったのか調べるために」

「それは……」

 反射的に美佐緖は声を上げるが、どうしても否定できない。

 自分のことはいくらでも否定できるのに。

 そして岡埜を否定できないと言うことは――

「見てしまったのでしょう。恐るべき殺人計画――いや『旨人考察』に始まる、人を喰うための計画だと岡埜は考えた。そして、それこそが神田さんを変身させた理由だと

 それは違う。

 あとになれば、そう否定できるだろう。

 けれど、神田のノートPCに放り込まれたテキストデータをひっくり返していくなら。そして、持ち主に確認しながら読むことが出来ないのなら。

 あの怪文書と、殺害計画を最悪な形で――結びつけたのだ。

 もう、これはどうしようも無い話。事実が違ったとしても、最終的に岡埜は食人鬼として生涯を終えたのだから。

「恐らく、最初岡埜は神田さんにとって脅迫者と変わらない存在だったのでしょう。岡埜は神田さんの小森さん殺害も嗅ぎつけたのかも知れない。何しろ、そのための具体的な計画、覚え書きがノートPCに残ってた可能性が高いわけですから。そのあと、凶器を始末する神田さんをストーキングしていた……等と、この辺りは妄想をいくらでも逞しく出来る。しかしそれでも、神田さんは抵抗していたのでしょう。岡埜に糾弾され警察に通報されることも覚悟を決めた。ところが岡埜の目的は、どうすれば変身できるのか? これが最優先事項です。それなのに神田さんは、その秘密を教えない。? それを教えろと岡埜は神田さんに迫り続けます」

「そんなものあるはずがない!」

 美佐緖は岡埜を否定した。

 青田の想像の中の岡埜を。

 しかし、青野はその美佐緖の叫びをもう一度否定する。

「それを言い出すなら、神田さんの変身イメチェンもあるはずがなかった。うだつの上がらない自分と同じ存在であったはずです。岡埜の哲学において、当時の神田さんはまさに超人だったのです。ですから脅迫と言うよりも――恐らくは信仰に似た状態だったのでしょう。狂信と言っても良い。そして岡埜は、神田さんの拒否を試練だと捉え――実行に移すことにした。寿町で」

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