落ちる、堕ちる(一)
チキンレース。
崖や海に向かって車やオートバイで走り続け、いかにギリギリまで迫ることが出来るか?
簡単に説明すれば、そういう“ゲーム”だ。古くは不良少年達の度胸の競い合いなどにおいて行われることが多い。
美佐緖の持っているチキンレースのイメージとは、古い映画からの影響かも知れないが、そういうものだった。
どうしてここで「チキンレース」という単語が出てくるのか?
美佐緖が戸惑っても仕方がないところだ。青田もそれは弁えているらしく、さらに説明を続けた。
「――神田さんの計画の、最初の
それにはさすがに美佐緖も反論しようとする。
「そんな浮かれたような事に――」
「なるでしょう。何しろ神田さんにとっては、九年ぶりに感じた“楽しさ”です。きっかけはどうあれ、仲間と共に遊び、田之倉さんの面影を見出してしまう女性と語らい、大いに充足感を感じていたと想像出来るからです」
そう指摘されて――美佐緖の反論はそこで止まってしまった。
否定できないのだ。「たまゆら」での神田の笑顔をみているからこそ。
そして、この頃には……美佐緖は急速に自分と距離が縮まった神田の表情を思い出した。
「この時、神田さんは計画を実行に移すことを辞めようとしていたと考えられます。だからこそ、計画についても半ば遊び気分で進め、それで満足していた――やはり、そう考えた方が自然です」
「や、辞めようと……していたんですか?」
辛うじて、美佐緖はそれだけを言い返した。
そして、それに対する青田の反応は――沈黙。美佐緖は焦れて再度呼びかける。
「青田さん?」
「ここで、再び“始まり”が登場します。つまり小森さんの接触です。チキンレースが失敗したと言うべきなんでしょう。恐喝する相手として、直接『田之倉さん』に接触してくると思われた小森さんが、さらなる慎重さを見せて神田さんに接触してきたのです」
美佐緖の呼びかけに、青田は膨大な情報量で応じた。
一気に済まそうとするかのように。
「神田さんは、先に小森さんが自分に接触してくるとは想定していなかった。信じられない甘さですが、自らを卑下することが多かったと思われる思春期時代を過ごしている神田さんだ。どうしても自分を後回しにしてしまう。そして、この“甘さ”は神田さんを追い詰めた」
「追い詰めた?」
「まず、単純に暴力をひけらかした可能性。しかしそれよりも恐怖したのは、月苗さんへの脅しをほのめかしたことでしょう。それは神田さんにとっては願ったりの展開であったはずですが、この頃には神田さんもサークルを、それに月苗さんを大切に思い始めていた。小森さんが動き出せば、それは全て台無しになってしまう。――そんな時に縋るのは神田さん自らが組み立てた計画になる」
「計画って……」
「そう。つまるところは殺人です」
青田は断定した。
「……そして計画に縋るならば、小森さんと接触していることが知られてしまえば台無しになる。神田さんと小森さんに繋がりがると思われては田之倉さんに届いてしまう。頻繁に会うわけには行かなかった。即座に対処するしかない。あるいは、即座に小森さんを除くことが出来るという事が重要だったのかも知れない。そこで神田さんは小森さんを人目につかない廃ビルに深夜呼び出し、何度も想像したようにして命を奪った。そして計画通りに、食われたかのように見せかける細工を行った。慎重に『電紋』を削いだのでしょう。ですが“普通”である神田さんの神経では、保つわけがない。その翌日――いや、同じ日であったのかも知れませんが、その三月三日。神田さんは何とか約束をしていた月苗さんの前に現れた。憔悴した姿で」
――繋がってしまった。
それが美佐緖の偽らざる思いだ。
時にアクロバティックにも感じていた青田の「想像」が、現実に填まってしまう。
それに対して、どんな感情を抱けば良いのか。美佐緖は戸惑いの表情を浮かべた。
しかし、まだまだ「最悪」は底なしだった。
「この日、月苗さんは神田さんの部屋に向かったと。そう説明してくれましたね?」
不意に、青田がそう確認する。
美佐緖は意表を突かれたように慌てて声を上げる。
「そ、そうです。別に嘘は――」
「嘘だとは考えていません。俺が指摘したいのは、あのアパート――『陽楽荘』にはまず間違いなく岡埜真人が居たという点です」
美佐緖が目を剥いた。
忘れていたのだ。
すっかり岡埜の存在を。
あれほどに晒された岡埜の生活、性格、そして無視出来ようもない異常さだったのに。
考え無いようにしていたのだろう。恐らくは無意識に。
けれど半ば引き籠もりだった岡埜があの日――三月三日だけ、気まぐれに外出していたとは、さすがに「想像」出来ない。
では――見られていたのか。
その理解が美佐緖を恐怖させた。
さんざんに報道された、岡埜の腫れぼったい目。
そして背の低さ。
美佐緖は勝手に想像してしまう。
隣の部屋の扉。そこが薄く開かれ、その隙間の向こう。
まるで床を這うような低い姿勢から、自分を見上げる岡埜の姿を。
震える。どうしても。
「想像」は現実に繋がってしまう。
つい先程、そんな現象を美佐緖は目撃してしまったのだ。それだけに圧倒的な説得力で、自らの「想像」で美佐緖は自分自身を苛む。
「月苗さん」
「あ、あの……私が悪いんですよね? 和夫さんの部屋について行ってしまって、それで、それも“始まり”で――」
美佐緖が救いを求めるように、青田の声に反応して言葉を紡ぎ続ける。
「月苗さん。あなたは悪くない」
青田は否定する。美佐緖を助けるように。
「しかし、“始まり”であったことは間違いない」
青田は肯定する。美佐緖を突き放すように。
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