取り残された過去(二)

 美佐緖の知る「神田和夫」とは――

 まず当たり前に長髪では無い。何ならスポーツマンのようにも見える、短く整えられた頭髪。身長は百七十センチほど。キッパリとハンサムとは言えないかも知れないが、柔和な性格を示すような柔らかな口元。

 清潔感があり、ジャケットを羽織ることが多かった出で立ち。

 足元は革靴だったことが多かった。旅行の時はもちろん違ったが。

 アクセサリーは控えめであったが、それは特別変わったこととは言えないだろう。グレーのブリーフケースを持ち、そこからプリントされた写真を取りだして、快活に「たまゆら」メンバーと語り合う。

 「神田和夫」はそういった「明るい大学生」であったはずなのだ。

 決してイメージ画に表されるような、陰鬱な生活を送りそうな大学生では無い。

「――一年生の間は、こういったビジュアルだったようですね。それが二年生の夏休みを境に変化を見せた」

 青田の言葉がそこで一瞬止まる。しかし、そのまま続けた。

「この変化は、神田さんが『食人という嗜好に目覚めたため』と考えられています。そのきっかけを探す流れもあったわけですが……」

「ああ、それは違いますね」

 美佐緖は言下にそれを否定した。

 そして青田は、そういった美佐緖の反応を確信していたからこそ説明を続けたのだ。

 だがそれでも確かに疑問は残る。つまり、


 ――夏休みの間に何があったのか? 


 という点だ。きっかけが「食人」で無い事は明らかだとしても、やはり“きっかけ理由”が必要な事に変わりはない。

「きっかけは、一つの動画の流出です。俺はそう、想像します」

「想像……けれど、動画流出って?」

「本来、外部に出てはいけない動画が、その手のサイトにアップされたんですね。やはり“流出”と言うしか無い。そして、すぐに削除とはいかなかった。一年ほどは見られる状態であったようです。そういった状態の動画を神田さんがご覧になった。それが、きっかけです」

「それでその……動画というのは?」

 美佐緖は思い切って尋ねてみた。どうしても心を削るような映像である事を予想してしまうが、言葉だけの説明ならそこまで構えなくても良いと判断したのだろう。

 それに何より動画の内容について知っておかなければ、という義務感にも似た感触がある。

 しかし、青田は美佐緖の言葉に難しい表情を浮かべた。よほど悪趣味な映像なのだろうか? それなら、どうすれば良いのか?

 引くことも出来ずに美佐緖も動けなくなってしまう。

 そんな美佐緖を置き去りにするかのように、青田は「失礼」とだけ言い残して、突然部屋を出て行ってしまった。

 置き去りにされた――と美佐緖が考えてしまう前に、すぐに青田が戻ってきた。三十秒も経過していない。

 そして青田が開けた扉の隙間から、

「――“内助の功”でしょ?」

 という天奈の声が漏れてくるが、青田は勢いよく扉を閉めてそれを遮ってしまった。そして、その腕にはタブレットが収まっている。

 これを青田が持ってこようとしていたのなら、天奈が必要になると踏んで、待ち構えていたことになる。確かに“内助の功”を主張するだけの気配りと言えなくもない。

 美佐緖としては、相変わらず牽制されているように感じたが、青田の表情を見ると決して感謝している風では無い。それどころか全力でスルーするつもりらしい。

「妄言が聞こえましたが、お気になさらぬよう。ただ、これはギリギリですので、出来れば持ち出したくはなかったんですが……問題の動画です」

「さ、削除されたって……」

「ネット上ですから一度流出してしまうと回収は不可能です。御瑠川は――そういう事が得意な存在ですので。とにかく今はご覧になった方が早い。最優先はのはずです」

 そう言って、青田は美佐緖が見えやすいようにタブレットをテーブルの上に立てて、再生を指示。そしてディスプレイには――


 最初にあるのは四つの記号。

 クレヨンで描かれたような素朴な記号だ。ざっくりと輪郭線があるだけで中は塗られていない。そもそも画用紙に描かれているようにも見える。

 ハート、スペード、ダイヤ、クラブ。

 トランプのスートだ。ただしハートは黒で、残り三つが赤色。

 それらが絡まり合いつつ、動き回っている。そこに道化師ピエロが現れる。

 ピエロだけは、何かの画像からコラージュしてきたのかやたらにリアルだ。いや、リアルすぎて逆に浮いてしまっている。

 そのピエロ――世界観を統一するなら、それはジョーカーなのだろう。

 そしてトランプゲームのように、ジョーカーがスートの全てを蹂躙し、四体のスートは動きを止めてしまう。

 だが、そのジョーカーが突然消えてしまう。突如降り注いだ強い光の中で。

 それをきっかけに、黒いハートだけが活動を再開する。

 すると、黒いハートだけがどんどんリアルになって行く。背景にも奥行きが発生し、ハートも輪郭線がワイヤーフレームに。さらにテクスチャを貼られ、細密さを増した世界の中で確固たる存在感を見せる。

 やがてハート自体が、世界を疾走し――


「――これで終わりです。二分ほどですかね。短いですが……」

「あ、あの……」

 動画を見終えた美佐緖は困惑していた。

 警戒していたような残酷な動画では無い。一般的に言うなら、少し前衛的ではあるものの、残酷さよりも逆に心を奮い立たせるような動画にカテゴライズされる可能性が高い。

 しかし、先ほどの青田の「想像」を聞かされたあとでは――

「……誰が作った動画なんですか?」

 吸い込まれるように、美佐緖は尋ねてしまった。答えはわかっているというのに。

 そして青田も律儀に答える。とどめを刺すように。

「知れ渡っている名前は『タノユー』。英語表記の場合はアルファベット。その正体は、田之倉有香さんです」

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