落雷(一)
「え? あそこなんですか?」
反射的に、美佐緖は声を上げた。その声に動じること無く、青田は淡々と説明を続ける。
「はい。場所は渡良瀬遊水地です。ただし月苗さんの思われている渡良瀬遊水地では無くて、この場合は九年前の渡良瀬遊水地」
「九年……」
「九年前に、一つの事故がありました。桑田譲治という人物があそこで命を落とされたのです。原因は落雷です」
美佐緖は黙ったまま頷く。他に受け止めようが無かった。
「渡良瀬遊水地、実は梅雨から梅雨明けの頃には落雷の危険性がかなり高い。実際、桑田氏の遺体が発見されたのも七月八日。まさにその頃ですね。池内水路に浮かんでいたという状況だったようで、はっきりと亡くなった日はわからなかったようですが、その近くであることは間違いないでしょう」
「それ、は……」
美佐緖には関係のない話に聞こえた。しかし、青田がわざわざ持ちだした話だ。
むしろ、この場合は――
「それは事故と思えないような部分があったとか? その桑田さんはどういった方なんですか?」
積極的に疑問点を尋ねていった方が良い。美佐緖はそう判断した。
「事故は事故なんでしょうね……落雷は人為的にどうこうできる物では無い。死因が落雷である以上、それは事故なのだと思われます」
青田はまず、美佐緖の疑問に関してこう答えた。
「そして桑田さんについてですが、有り体に言ってしまえば浮浪者だったようです。この時、年齢は五十二。住所不定な状態ではあったようです」
「また……ですか?」
「旨人考察」事件では、二人の浮浪者が狙われてしまっている。美佐緖が、そこに関連性を感じてしまうのも仕方の無いところだろう。
しかし、青田はゆっくりと首を横に振った。
「この事故は九年前ですから、浮浪者の括りで考えるのはやめておきましょう。まず関係無いと考えて間違いない」
「それなら、何故?」
結局は、この疑問に向き合わなければならない。青田が、桑田という人物の事故を持ちだした理由は?
美佐緖は焦れたように青田に詰め寄った。
「はい。俺が探していたのは落雷にまつわる出来事です。それが渡良瀬遊水地での出来事なら、実に想像の助けになります。そして、その調査の結果浮き上がってきたのが九年前の桑田さんの事故でした」
「落雷が……それをどうして?」
何故、青田はいきなり落雷に目を付けたのか?
いくら説明されても、疑問は尽きることがない。しかし青田は、同じペースで語り続ける。それは出来るだけ平易な言葉を使うように気を配う必要もあるからだろう。
そうとなれば、美佐緖としても急かすわけにはいかない。
「順番に行きましょう。俺はこの出来事を“事故”という形で知る事になりました。しかしそれだけでは弱い。そこで、当時の事故について“記録”には残らない人の“記憶”に頼ってみることにしました。こういった場合、頼りになるのは――」
「警察、ですか」
青田が何を考えているのかはわからないが、とりあえずこの説明の行く先だけは、美佐緖も見当がついた。
そして警察と言うことは――
「もしかして、それで御瑠川さんに?」
「そういうことになります。俺だけではどうにもなりませんので。ですが、それだけの価値はありました。警察に記憶しておられる方がいたんです。そして、この事故には少しばかりおかしな点があるということも記憶しておられた」
美佐緖の表情が固まってしまう。どうしても殺人であることを意識してしまうからだ。
「桑田さん、足が悪かったようでして。杖を突いていらした。片腕用の……説明が難しいんですが」
「わかります。何となく想像できますし。松葉杖よりも、腕にフィットした感じの」
「ああ、そうです。そういった杖がですね、どうにも不可思議な場所に落ちていた。水路の側にあるならまだしも、そこから随分離れた場所に落ちていた。ポツンと木が立ち尽くしている地点ですね」
「それは……奇妙かも知れないですけれど、そこまでおかしな点とも」
例えば、木に杖を立てかけて水路に向かったとか、そういう状況は想像しやすい。
「確かに。本当に想像で合間を埋めなくてはならない。ですが、この事故だけではなく、このあとに起こった出来事も鑑みてみると、一つの情景が見えてみます」
「情景……」
「それを論じる前に、確かな情報を並べてみましょう。まず神田さん。群馬県板倉町のご出身です。そしてもうお一方。槇さん。これは茨城県古河市。さらに小森さん。栃木県野木町になります」
いきなり青田が情報を並べてゆく。
もちろん、それを並べられても美佐緖はついて行けない。ただ、上げられた名前が「旨人考察」の関係者であることがわかるだけだ。市町村の名を挙げられても、地図が思い浮かぶはずも無く――
「遊水地の近く……なんでしょうか?」
「はい。古河市は広いので、そういう認識では問題あるかも知れません。ですが桑田さんの事故の時、この三人には接触があった。そう考えた方が、そのあとに起こった出来事を上手く説明出来るのです」
「あ、あの、岡埜は?」
たまらず、美佐緖がそう問い掛けると青田が手を上げて、それを落ち着かせた。
「まだです、月苗さん。九年前に起こった出来事をまだ俺は説明出来ていません。先ほどは三人と言いましたが、実はこの時、もう一人いたと考えられます。埼玉県加須市に住んでいた、田之倉有香さん。この人がある意味では始まりでした」
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