容疑者・岡埜真人 No.3

 古河市の事件が起こったのが十月十六日深夜。神田氏が殺害されたのが十七日未明。あまりにも短い間に凶悪な犯罪を行った岡埜。

 それは「血に飢えている」などと形容するよりも「追い詰められている」と形容した方が適していたのかも知れない。

 警察が「陽楽荘」に踏み込んだのが、十七日の正午であったので、まず迅速と言っても過言では無いだろう。

 しかし新聞社に送られた「旨人考察」が、この事件と関係しているのならば、到底安心は出来ない。次の“獲物”まで言及されているのだから。

 この時点ではまだ、警察は「旨人考察」と連続殺人事件の関連性を発見出来てはいなかったのだが、それで油断できるはずは無かった。

 すぐに非常線は張られる。

 しかし警察が迅速に動いたとしても、六時間以上というタイムラグは大きかった。

 岡埜が借りているレンタカーが目標だとしても、いったいどの地域を監視し、調査すれば良いのか。捜査範囲があまりに広大だったからだ。

 しかしながら「陽楽荘」を基点として、周囲のカメラ映像を丹念に確認。

 警察はついに、岡埜が南に向かったことを突き止めた。

 その後の足取りについても難航が予想されたが、

「これは横浜に向かっているのでは?」

 との予測が立てられることになった。

 というのも「陽楽荘」の現場検証、さらには岡埜の部屋を改めて捜索した結果、岡埜もまた相当出血していることが判明したからである。

 つまり、岡埜には新たな獲物を探している余裕は無い。最期に自分の故郷に帰ろうとしているのではないだろうか? という予測だ。

 この予測については賛否が分かれることになったが、神奈川県警がこの予測を全面的に支持。精力的に管轄内の道路の監視、さらには捜査員を予想されたルートに投入して、いわゆる地取り捜査も大々的に行われる。

 これは寿町の事件の捜査の際に、神奈川県警が後手を踏んだことが大いに影響していた。

 言ってしまえば、自分たちの管轄内で犯人を捕まえたい。未だにそんな面子に固執した本音が見え隠れしていたが、結果的にそれが岡埜の足取りを早期に掴むことに繋がったのである。

 まずレンタカーである白いバンが神奈川県港北区の住宅街で発見された。

 しかし車中に岡埜の姿は無く、さらに捜査が続けられる。バンは乗り捨てた形になってはいたが、新たな逃走手段を見つけたわけでは無く、残された血痕から「ひのきの森広場」に徒歩で向かったとの予測が立てられた。

 さらに血痕から窺えるように、岡埜の傷は想像以上に深傷であった。恐らく車の運転もままならなくなり、身を隠せる場所として偶然視界に収まった「ひのきの森広場」に逃げ込んだのであろうという推察がその予測を補強した。

 しかし現場に赴いていた捜査員は、

「もはや岡埜は通常の判断が出来るようには思えなかった」

 とも証言している。この時の岡埜がどんな考えで行動していたのかは、結局謎のまま終わる。

 このようにおおよそ半日ほどで――それが短かったのか長かったのかは議論の分かれるところだったとしても――岡埜の逃走劇は終わった。

 岡埜の死によって。

 「ひのきの森広場」の中で、地面にのたうつ蛇のように倒れている岡埜が発見されたのが、午後七時三十七分。

 日本中を震撼させた凶悪な殺人犯は苦悶の表情を浮かべ、吐瀉物に塗れ、無惨な骸を晒すことになった。それが報いと呼ぶべきものであったのかは、これまた意見の分かれるところだろう。

 岡埜の遺体はそのまま検死へと回された。

 当初は失血死かと思われたが、それにとどめを刺したのが、いわゆる“食あたり”による体力の低下だ。

 では岡埜は何を口に入れていたのか?

 胃の中の内容物を検査した結果、それは神田氏の身体の一部である事が判明する。

 消化時間から鑑みると、岡埜は神田氏の身体の一部を持ち運び、それを生のまま咀嚼し、胃の中に収めていた事が判明する。

 「旨人考察」に記された内容から、そんな岡埜の行動に理由を見つけようとするのは危険な考えであったかも知れない。

 しかし血を失い、それにつれて力を失って行く自分の身体。人を食すことで、力を手に入れるなどという考えを持っていた岡埜だ。

 神田氏の身体を取り入れようとすることは、あり得ない話ではない。

 それに人肉食に伴う弊害。プリオンの問題もある。車中で人肉を食したことが体調悪化の原因だとしても、それ以前に人肉を食すことで、慢性的な疾患と煩っていた可能性も無視できない。

 この場合、やはり脳、それに伴って精神的にも変調をきたしていることが予想され、もはや岡埜の行動について、通常の捜査において追求すべき範疇では無い、と割り切った意見も提出されるようになった。

 それに被疑者死亡の状態では、起訴にも至らない。

 どちらにしてもこれ以上、警察としてはやりようが無いことは事実だ。

 それに事件は終わりでは無い。何しろ一連の事件は複数犯であることが判明している。岡埜と共に、一連の事件を起こしたのは誰なのか?

 岡埜が死んでしまった以上、その捜査はまた難しくなると思われたが、さらなる捜査でもう一人の犯人については、かなりあっさりと判明してしまう。

 最後の被害者と思われていた岡埜の隣人、神田和夫こそがもう一人の犯人であろう事が警察から発表されたのである。

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