容疑者・岡埜真人 No.2
その自覚が、ますます岡埜を追い詰めてしまった。元々、交友関係は無いに等しい。ますます自室に閉じこもるようになってしまう。
幸いと言うべきか、岡埜の成績は優秀であった。
また兄の振る舞いについて、偏っていながらも鋭く論評したことからわかるように、学力以上に知性としても優秀さが見られる。
こういう素養もあって、岡埜は県下でも有数の進学校に入学する。
これは優秀だった兄以上の結果を残したことになり、珍しく父親が岡埜に対して声を掛け、入学祝いと称して様々な褒美を与えた。
これに対して兄は素直に称賛を送ったが、妹はそうは行かない。見下していた次兄が、一気に自分の上位に立ったのである。しかもそれは家庭の外でも通用する、客観的な評価だ。
そして次の年の高校受験において、妹は岡埜の通う進学校の足元にも及ばないレベルの学校に進学することになる。やむを得ない、と言うよりも、最初からどうやっても妹の成績では岡埜に届かなかったのである。
しかしそれでも妹は岡埜にマウントをとり続ける事しか出来なかった。
他に、岡埜への接したがもうわからなくなっていたのだ。
もしかしたら――という言葉が許されるなら、まさにこの時はチャンスであったのかも知れない。
妹のこのような見苦しい姿を見て、岡埜自身が我が身を振り返る事が出来たのなら、家族として新たな形を模索できたのかも知れない。
しかしそれは叶わなかった。
まず岡埜の、自分自身の容姿についてのコンプレックスが尋常では無かったこと。
そして妹がマウントを取ろうと思えば、それはもう岡埜の容姿を責めるしか無かった事である。
こうして岡埜は、容姿が人より劣っているという思い込みだけで、自分をまったく肯定すること無く、それでも国立大に進学を決めた。
この頃になると家族間での交流はほとんどなくなる。結果として、この家族は再生のチャンスをすべてふいにしてバラバラになってしまった。
家族という容れ物があった方が便利。ただそれだけの理由で、家族としての形を維持しているだけだ。
兄はその現実を見ずに、未だに家族に固執しているようで、最終的にもっとも歪んでいたのはこの兄と言う判断になるのかも知れない。
岡埜は家族の軛から離れたことによって、一人暮らしを始める。
この大学時代が、恐らくは岡埜にとって一番幸せな時期であったのだろう。
やはり交友関係はごく狭いものであったが、特に問題も無く過ごすことが出来ていた。専攻として情報工学を履修していたことも大きかった。
直接人と会うことが無ければ、岡埜のコンプレックスは刺激されない。
また大学の特異性と言うべきか。岡埜の容姿について関心を持つ者がほとんどいなかった。ディスプレイに表示される数字の方が、よほど注目されていた。
こういった環境であるから、この時期の岡埜は僅かながらも自己肯定も出来ていたようだ。
しかし、対人スキルに問題を抱えたままでは、やはり進路を選ぶにあたっては重大なハンデとなる。それに加えて経済的な事情だ。
父親は岡埜に対して院に残って研究を続けるという未来を認めなかった。そして岡埜もその父親に逆らうことが出来なかった。祝われたことが重荷になっていたのか、そもそも父親には期待していなかったのか。
成績が優秀なこともあって就職には成功したのだが、この就職で岡埜が手に入れたことは運転免許だけだったと言える。
必要に迫られて取得し、時には営業に狩り出され、それによって岡埜のコンプレックスが再び刺激されることになった。
それに加えて、今まで女性と交際したことが無い、性交経験がないことも岡埜の新たなコンプレックスになったのである。
社会に出て就職にも成功したとなると、次に求められるのは結婚であり、必然的に周囲の話題にも結婚という言葉が頻出してしまうからだ。
岡埜は、こういった話題の全てがストレスになり、やがて逃げ出した。
幸いと言うべきか、岡埜は株取引などで収入を得るだけのスキルは身につけていた。いや、それだけのスキルがあったからこそ就職できたと言うべきか。
それなりのワークステーションを揃えてしまえば、あとは経済的にまったく問題が発生しない。そして収入がある事で「独立した」と父親に向けては説明することも出来た。
そして引き籠もる場所として「陽楽荘」を選んだのは、大学時代がやはり岡埜にとって重要な時期――帰りたい時代であったのだろう。
そして「陽楽荘」での同居人とも言える学生たちも、どこかうだつがあがらない者が多かったことも岡埜にとっては歓迎できる特徴だった。
いや、そういった学生が多い事も岡埜が「陽楽荘」を選んだ理由だったのだろう。
大家に多めの家賃を支払い、電力供給についても工事代金を払うことで優遇して貰い「陽楽荘」の一番奥に居場所を作り出してしまう。
こういった交渉が可能になった理由として、僅かばかりの社会人経験が生きたというのは皮肉と言うべきだろう。
そうやって作り上げた自分の巣に、岡埜は変わらぬコンプレックスを抱いたまま固執した。父親にはすぐにばれることになったのだが、実際に仕送りも出来ているということで、やがて岡埜に干渉することもなくなった――子供の時と同じように。
以上が殺人を犯す直前の、岡埜真人(30)の状況である。
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