容疑者・岡埜真人 No.1

 生まれは兵庫県神戸市。しかし五才になる前に、神奈川県横浜市戸塚区へと父の転勤に伴って居を移すことになった。岡埜自身の感覚でも故郷としては戸塚区になるだろう。

 家族構成は、両親、兄、妹。岡埜は次男であった。

 岡埜を説明するなら、まず容姿について触れなければならないだろう。

 それほど背は高くない。百六十センチはあると自称していたが、越えていたとしても数センチと言ったところだろう。

 この自らの身長に、岡埜は強いコンプレックスを感じていた。

 岡埜の兄にしても妹にしても、それぞれの性別においてまず平均的な身長だ。これは両親についても同じ事が言え、見た目に関しても家族の中で浮き上がっている錯覚を覚えてしまう。

 これが岡埜の劣等感を刺激したのであろう。

 運動は苦手であり、肥満気味だったこともそれに拍車を掛けた。

 何だかずんぐりとしている――それが岡埜が人の与える第一印象であることは間違いない。

 そんなコンプレックスを抱えたままであったので、性格についても内向的になるのは必然とも言えるだろう。どこか斜に構えたような態度で、何かにつけて文句をつけると言ったような、接しづらい人間となってしまったようだ。

 これには家庭環境にも問題があったのかも知れない。

 一軒家を構え、三人の子供たちそれぞれに部屋を与える事が出来た余裕のある経済状況が、この場合、仇となった可能性がある。

 父親はその経済的優位を保つために仕事に打ち込み、家庭を持ったのも社内での評価を高めるため、と思えるようなドライな面があった。

 母親は、そんな夫に当てつけるように趣味に打ち込み、そのための交流については時に子供たちの学校行事すら後回しにする事が多かった。

 育児はもちろん母親だけの責務では無いにしても、専業主婦であり経済的にも恵まれた状態であるので、こういった母親の振る舞いに眉を潜めるものも多かったという。

 そんな環境の中で、兄は健全に育ったと言えるだろう。

 しかし岡埜だけを主体的に考えるなら、兄は健全に育ちすぎたとも言える。

 家庭を顧みない両親に代わって、岡埜たち弟妹の世話を焼いたのはこの兄であった。それでも両親を悪く言うことは無く、友人関係も良好。学校からの評価も高い。

 非の打ち所が無い、という言葉こそ、この兄を表現するのに相応しい言葉は無かった。

 この兄が、コンプレックスを抱えていた岡埜をさらに追い詰めてしまったことは想像に難くない。

 岡埜自身が成長し、世間という物を知って行くにしたがって、さらに兄への劣等感は刺激される。

 中学の頃の岡埜の発言として、

「兄が何でも出来てしまうから、両親はますます家庭を顧みなくなった。兄が家庭を壊したのだ」

 というものがある。

 自分勝手な言い分ではあるのだが、頭ごなしに反駁出来ない部分が確かにあった。

 そして岡埜は、その発言に含まれる僅かな正しさに縋った。信仰していたと言っても良い。

 それぞれに自室があったことで、兄弟の間での交流は少なく、岡埜はそういった偏った自分の考え方を修正する機会もなく、そのまま成長した。

 交流が少ないことを原因とするなら、さらに岡埜を追い詰めたのは妹の存在である。むしろ交流が断絶しているならまだ救いはあったのであろう。

 しかし岡埜と妹は年子であり、義務教育期間中は行動半径がどうしても重なってしまう。そういう状況の中で、妹は岡埜を拒絶した。いやそれ以上に見下した。

 妹が手本にしたのは、当たり前に長兄であった。長兄を慕い、長兄の交友関係に自らを組み入れた。それは彼女なりの処世術ではあったのだろう。

 妹もまた、両親に省みられないことで、それがコンプレックスになっていたのだろう。長兄に依存するような精神状態であったらしい。

 それを隠すように、あるいはその反動で岡埜へのあたりは強くなっていった。

 とにかく次兄は見劣りする。妹だと人に知られたくはない。そして最終的には、岡埜だけ血が繋がっていない、などという発言を繰り返すようになった。

 そしてそれを自宅でも繰り返したのである。岡埜はそれに対して、反論もせずに自室に引き籠もってしまうことがほとんどであったらしい。

 兄はそんな岡埜の様子を見て「年長者として、頑張っている」と、かなりピントの外れた感想を抱いている。家庭は決して岡埜に安らぎを与えはしなかった。

 では、家庭の外はどうか?

 岡埜は思春期に至り、異性を意識するようになる。

 同じ学年の女生徒に対しては、怯む気持ちがあったようだ。年上となれば尚更のこと。必然的に、対象は年下になる。

 これは妹の存在も大きいだろう。妹との関係は冷え切っていたが、妹の交友関係と接する事がしばしばあった。

 それぞれの部屋に閉じこもっていれば、岡埜と友人たちが接触することは無いだろうと、妹はそう考えたようだ。

 実際には、家の廊下ですれ違うことが度々あったようで、友人たちは礼儀として、ごく普通に岡埜に接した。

 それに岡埜は慰められたらしい。同じ中学校であるから、その姿を見かける事も多くなり――岡埜が行動半径を広げた事も手伝って、挨拶を交わすぐらいまでは出来るようになった。

 けれど行動半径が広がったことは同時に、岡埜にとって歓迎出来ない情報に接してしまう可能性を広げてしまう。

 岡埜が好意を抱いていた、下級生の岡埜への陰口を耳にしてしまう。

 そして彼は知った。

「自分は醜いのだ」

 と。

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