見えない全貌

 岡埜については、事件が終息したとは言え報道はさらに加熱した。

 食人鬼――それがマスコミが岡埜に与えたあだ名でもある――の恐怖から解き放たれ、私たちは普通、という事を再確認するかのように岡埜の異常性を殊更に大きくあおり立てたのである。

 それは岡埜の恐怖から抜け出すための、一種の通過儀礼の側面も持っていたのだろう。岡埜の生涯はさらされた。家族関係もさらされた。

 なにしろ岡埜家の歪さは、言葉を選ばなければ、まさに“うってつけ”だったのだから。

 岡埜にまつわる多くの事柄、それに行動に対して。その全てが“納得”をもたらす要素として。つまり岡埜は異常者だと。

 しかし、もう一人の犯人とされた神田に至っては、先だっての調査結果からもわかるように、奇異に思われる部分が見つけ出せないのである。

 神田本人にも。その家庭環境にも。交遊関係にも。

 そうであるのに、その後の捜査で神田と岡埜が共犯関係にある事は間違いないことが判明した。特に「旨人考察」の取り扱いについては神田が専門で行っていたようで、そのために捜査は最後まで「旨人考察」と、この一連の殺人事件との関連性が見出せなかったことも判明する。

 こうやって事実を並べると、岡埜が主犯であって神田は従犯であったのでは? という考え方が自然と発生することになる。

 「陽楽荘」の片隅で、年上である岡埜が神田を従えるようになってしまった。

 こういった関係性の醸成は、かなり想像しやすかった事は間違いない。

 謂わば、神田は巻き込まれただけ。だからこそ陰惨さを増す岡埜の支配から逃れるために反抗し、結果として殺されてしまった。

 最後には岡埜に傷を負わせることにも成功し、自分の命と引き替えに贖罪を果たしたのだ、という考え方は劇的に過ぎるという意見もあったが、それだけに多くの支持を集めたことも確かだ。

 それに何よりこの意見を採用すると、日本を震撼させた連続殺人の恐怖から確実に脱却できる。

 真実が何よりも優れているわけでは無い可能性もあるのだ。

 しかしそれでも。

 向き合わねばならない謎が残されてしまう。

 岡埜が、もしかしたら神田の可能性もあるが、


 ――


 という謎だ。

 神田の生涯において、そのような奇抜な発想に至るきっかけが見えない。

 さりとて岡埜の方にきっかけがあるかと問われれば、それもまた「否」であったのだ。

 そういった謎が中核に居座ったままでは、適当な理屈を付けて見送っていた謎にも再び注目が集まることになる。

 例えば最後の「旨人考察」だ。

 あの最後の「旨人考察」において、獲物と言われた「メスの処女」。

 これはいったいどういうことなのか? 交流と書かれていたのは何だったのか? そのようなターゲットにされた女性が存在するのか?

 この謎には主に週刊誌の記者たちが取り組んだようだが、それが判明してどうなるのか? という世間の声も確かにあり、それも立ち消えになってしまう。

 それはそれで健全さを示すものであったのかも知れないが、やはり謎は謎のまま残ってしまった。

 かくしてこの事件の全貌は見えないまま、やがて日本は年の瀬の忙しさにかまけて、この事件は引き出しの奥にしまい込まれることになったのである。

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