断章 「旨人考察」連続殺人事件概要
被害者・大楠瑞樹(28)
この一連の殺人事件において五番目の被害者となったのが大楠氏だ。
犯行現場は茨城県大洗町。被害に遭った日付は九月二十八日と目されているが、ほぼこの日で間違いは無いだろう。
大楠氏は千葉の自宅から、250ccのオートバイに乗って大洗町を訪れていた。
目的と言うほどのものは無く、半ば習慣として大楠氏は大洗町を訪れている。大楠氏は何度も大洗町を訪れていたのだ。
そういった習慣を大楠氏が身につけたのは、さるアニメ作品に感化されてのこと。
大洗町を訪れ、友人と会い、大いに楽しむ。そういった事を繰り返していたらしい。
そのための資金が何処から出ているかと言えば、それはもう親、それに祖父母からである。大学卒業まではごく普通と呼べる人生を辿っていたようだが、就職に失敗。
一時は引き籠もりであったらしいが、とりあえず外に出るようになった。それだけは救いだと感じているのか、家族は大楠氏の遊興費については渋々ながらも出していたらしい。
他に兄弟もおらず、大楠家全体の収入に比べれば、さほどの負担にはなっていない点も状況を悪化させた原因だろう。
とにかくこういった状況で、大楠氏は二十七日に大洗町を訪れた。
いつも通り、友人たちと待ち合わせをし――その友人たちも比較的、時間と経済状況に余裕があり、東京、そして宮城から訪れていた――遊び、一晩過ごしてから、最後に大洗磯前神社に訪れたらしい。
この最後の参拝は大楠氏一人で行われたもので、直前まで同行していた友人たちの説明では「せめて、これぐらいはしておきたい」と大楠氏は発言していたとのことだ。
大楠氏も、自分の現在の状況を恥ずかしく思う部分があったようだ。何か罪滅ぼしでもするかのように参拝する習慣も出来上がっていたらしい。
そういう大楠氏の心境を汲んでのことか、友人たちも常に先に帰る事にしていたとの証言が得られている。
そして実際に、大楠氏は参拝する姿を目撃されていた。
何しろ、さるアニメのキャラクターがプリントされたTシャツ姿であったのだ。その上から前をあけた状態のネルシャツを羽織っている。
それに脂ぎった頭髪とバンダナ。手には指ぬきグローブ。ジーンズに真っ黒なブーツという出で立ちで、とにかく目立っていたことは確かだ。見間違いと言う可能性はほぼ無いだろう。
午後二時という、暑さも盛りの時刻。参拝を済ませ、暑さのためか人通りもまばらな状況で、大楠氏は襲われた。
犯行にはスタンガンが使われており、あっという間に昏倒され、森の奥に連れ込まれた――と思われたが、この事件は様子が違った。
犯人の手掛かりがしっかりと残されていたからだ。
それは偏に大楠氏の抵抗の賜であった。大楠氏は空手の有段者で有り、確実にその技量はなまっていたとしても、一方的に蹂躙されたわけでは無いらしい。
乱れた足跡、それに大楠氏の物とは違う血痕が発見されたからである。
大楠氏の抵抗によって犯人は尻餅をつき、その弾みに地面に手を付いて、その時に怪我を負ったらしい。そのような事が容易に想像出来る痕跡が犯行現場に残されていた。
そして足跡。
これもまた、貴重な情報を警察にもたらした。
まず大楠氏の足跡。次に尻餅をついた犯人の足跡。そしてさらに、もう一人。
大楠氏の背後に回ったと思われる足跡が残されていた。それが判別できたのである。
つまり現場には大楠氏。それと複数の犯人と思われる足跡が発見されたというわけだ。この発見は事件に混乱と進展をもたらした。
まず混乱については、こうした疑問がぬぐい去れないために必然的に発生する。
この事件は本当に「旨人考察」が関係していると思われる、一連の連続殺人事件と同一の犯人によって起こされた物なのか?
慎重な意見と言うべきだろう。この問題についてはまず大楠氏の遺体の損壊具合が、積極的肯定をもたらした。
スタンガンで昏倒させた後、見通しの悪い森の中に担ぎ込み、喉を一突き。そこまでは“手際が良い”と思われる痕跡が残されている。
しかしここから先、つまり殺した後の処置となると、まったく手際が悪くなる。確かに腹部に生活反応の無い切り傷が複数残されているのだが、欠損している部分は僅かばかりの肉片だけ。
これは大楠氏の抵抗によって犯人が負傷した影響もあるだろうと考えられるが、そういった状態でも肉に対する執着を見せたことが同一犯であると言う積極的な根拠。
そして、大楠氏の人間関係を洗って出てくる、動機を持っているであろう人物のアリバイが全て成立したことが消極的な根拠。どれほどに大楠氏の人間関係を洗っても犯人候補は出て来なかったのである。結果、
――それでは同一犯で良いのではないか?
と、半ば投げやりになった様な結論が捜査会議を占めてしまった。
いや同一犯である事を望む、いやそうであって欲しいという願望がそこにはあった。
何しろ複数犯と考えれば今までの一連の殺人事件についても、どうやって犯行が行われたのか説明しやすくなる事が大きい。
特に白馬の事件では、犯人像としてどうしても精強な人間を想定しなければならなかったからだ。それが複数犯ならかなり制限が解除される。
今までの現場では痕跡がそもそも発見できないか、発見できてもどれが犯行と関わっているのかわからない、そんな五里霧中の状態であったので、安易に複数犯という想定を持ち出せなかったが、こうなっては話は別だ。
現場の洗い出し、聞き込み、目撃情報の再検討。仕事はさらに激務になるが、新たに設定された「複数犯」という目標。
警察庁主導の、広域捜査班が色めき立ったのは言うまでも無い。
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