愛の「形」(二)

 もう私には見分けが付かない。

 和夫さんの笑顔も。その愛も。

 それは「人間」に向けられた笑顔だったのか。それと、、やがて口にする旨さに期待してのことだったのか。

 それは「人間」に向けられた愛であったのか。

 「旨人考察」にも書かれたいたではないか。未来に、自らの手で食肉にする――殺すとしても、そこに愛があっても何もおかしくはないのだろう。誇らしげに語る生産者の姿を、私はテレビ通して何度も見ている。

 だからもう、見分けが付かない。

 いや誰にも見分けが付かないのではないのか?

 教えて欲しい。

 人が人に向ける「愛」と、人が肉に向ける「愛」の違いを。

 私が確かに感じていた和夫さんの優しさの違いを――

「――俺は気付いても良いのでしょうか?」

 青田さんは、そんな私に静かに近付いて来た。

「何故、あの時期には交際が始まっていたことを誤魔化そうとするのか。それは二ヶ月ほどの違いでも、交際の段階を進める時間が足りなかったと。そういった理由が欲しかったのだと」

「そんな……本当に私、バカみたいで」

 多分、私は青田さんに怒っても良いのだと思う。

 ……でも怒ってどうなるというのか。

 私が和夫さんを疑いながら、何も気付いていないふりを続けてもどうにもならなかった。

 そして私が本当に怖かった、和夫さんの笑顔の意味が変わってしまうという、最悪の可能性が現実になってしまったのだ。

「そうなると――」

 青田さんは、真っ直ぐ伸びた背筋のまま呟いた。

「――やはり可能性を絞りきれない。俺には何が起こっているのか、判断出来ない」

「判断って……」

 私は苦笑を浮かべていた。

「もう、判断も何も無いでしょう? 私の相談したかった事は、好きな人に、どんな風に思われているのか。それが本当に旨いかどうかなんて、そんなバカな考え方にとらわれて、怖がって、心配を掛けて……それで結局……」

「ですがこれはおかしい」

 けれど青田さんは私の言葉を遮った。顎に手を当ててて、それでも真っ直ぐに伸びた姿勢のまま告げる。

「それは……そうでしょう。だって人を食べるなんて……」

 そう。この話は最初からのだ。

「いえ、そうではなく……ダメですね。可能性を否定できない。こうなっては確実な部分から処理していくしか無いでしょう」

「確実?」

 いったい何が――

「この事件はもう終わりです。これは確実です」

「え? それって犯人が捕まるって事ですか?」

 ――和夫さんが捕まるって事ですか?

 そう確認すれば良いのに、私はまだ言葉を選んでいる。そんな無駄な抵抗を私はまだ続けていた。

 けれどもう終わりって……

「そういうことになります。しかし、俺の判断は甘い部分がある。終わりは終わりでも、終極までは一週間は掛かる可能性があります。月苗を呼び出せますか?」

「え? 清司郎ですか?」

「はい。俺だけでは心許ないので。月苗と共に自宅までお送りします。そして一週間は――いいえ犯人が捕まるまでは外出を控えて下さい」

「そ、それはやっぱり……」

 和夫さんが犯人と言うことなのか?

 青田さんから見ても、そう考えることが可能なのか?

 そして――私は狙われるのか。

 ただ、肉として。

 だから今まで感じていた和夫さんの愛情のすべてを否定しなければならないと、そう理性では理解しながら、感情ではなおも嬉しさを感じてしまうのか。

「月苗さん」

 青田さんの声が“朗々と”響く。

「お役に立てず申し訳ありませんでした。しかし、このまま月苗さんまで失うことがあっては、何よりも俺が俺自身を許せません」

 真っ直ぐに――

「俺を助けると思って――いや、何もかもを俺の仕業だと考えて下さい」

「そ、そんな無茶苦茶……」

 受け入れられるはずがない。その私の言葉に青田さんは微笑んで見せた。

「そう無茶苦茶です。そして月苗さんは、それが無茶苦茶だと判断出来る」

 また……青田さんの罠にはめられたのか。

 私はもう疲れ切っているというのに。それでも尚、私は私であり続けなければならないのか。

「今は狂気の甘い囁きに、そして恐怖の中に安らぎを見出さないよう、お願いします。そしてこれは俺のためだけではない。このまま月苗さんが自分を失ってしまっては――もう一つの可能性までもが潰えてしまう」

 え?

 もう一つの可能性?

「そ、それは……」

「そういう可能性を俺は見ているのです。未だはっきりとした形にはなっていない。けれど今日、月苗さんに説明いただいたことは、決して無駄では無い。あなたが神田さんを想っていたことは決して無駄では無い――そんな可能性です」

「あ、あるんですか? そんな可能性が? 和夫さんが和夫さんのままで……私が信じた和夫さんのままである可能性が」

「あります」

 縋り付くような私の問い掛けに、青田さんはあっさりと頷いた。

 では、それは嘘では無いのか? ただ私をたち直せるだけの“優しい嘘”。

 ああけれどそれは違う。

 青田さんは決して優しくは無い。

 優しくないからこそ、私はその可能性を信じられる。

「――ですから今は、俺の指示に従って下さい。一週間です。長くなっても」

 私は頷いていた。

 半ば自動的に。和夫さんを信じて良いという可能性に手を伸ばして。

 

 ――そしてその可能性が、決して乗り気では無かった私の相談の結果だった。

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