愛の「形」(一)

 ……私の……後悔は何処から始めれば良いのだろう?

 読まなければ良かった?

 いいえ、そんな事は不可能。それにわかっていたことだ。和夫さんが私をそんな目で見ている可能性があるって事は。

 では、スマホで確認しなければ良かったのだろうか?

 青田さんが、難しい顔でスワイプしている様子をただ眺めていれば良かったというのだろうか?

 それを言い出すなら、こんなに発展したスマホという道具がなければ?

 あまりにも情報を得るのに簡単になりすぎた。話題になっているニュースは自動的にポップアップされてしまう。見たくないと言っても、言うことを聞かない。

 他の作業でスマホを使うと、勝手に見出しをディスプレイに表示してしまう。

 こんな不条理なこと……どうすればせき止められる?

 いっそのこと、スマホを捨ててしまうか? けれどそれで「旨人考察」がなくなるわけではない。

 私がただ上澄みをすくうのをやめただけで、現実は何も変わっていない。

 それなら私が和夫さんと付き合わなければ良かったのか?

 しかし、それが良かったとしても……青田さんの言う「手続き」は何も行われてはいないのだ。ただ気付けばそばにいただけ。

 それが心地よかったから、そのままの状態でいただけ。

 私はただ……立ち止まっていただけ。

 和夫さんは優しかった。立ち止まる私を認めてくれた。そのままの状態でも、構わないと言うように、周囲の環境すら変えてくれた。

 優しかったのだろう。そこに「愛」があったのだろう。

 けれどそれは……果たした私の思う「愛」であったのか。

 手を繋ぐぐらいまでは普通に行えた。けれどそれはただのスキンシップ。

 私が「愛」と思える行為は――一度だって求められる事は無かった。

 私から求めたときも、はぐらかされた。私はそれに勝手に理由を見つけ、寂しく思う気持ちを誤魔化していた。

 けれど今、WEB上に掲載されいる「旨人考察」には、私が考えていなかった――イヤな可能性を考えないようにしていた――そんなイヤな可能性以上のおぞましい理由が書かれていたのだ。

 では、出会ったことが間違いだったのか?

 「たまゆら」に和夫さんが入部したときに、断固として反対すべきだったのか? それとも私がやめてしまえば良かったのか?

 けれど私は、どこから和夫さんにいたのかがわからない。

 「たまゆら」に和夫さんが入部してくる前に、私が見られていたとするなら……私はいったいどうすれば良かったのか?

 結局……私は迷路から抜け出せない――

「月苗さん!」

 誰かが私を呼んでいる。

 ああ、そうか。青田さんか。何だか斜めで――違うな。斜めなのは私か。

 肩を掴まれた。そして赤さを増した光を受けて、ピンク色に染まったテーブルの前に座らされる。

 何だか、お肉の色のようだ。

 そして真っ黒な血が……

「コーヒー、服にかかっていませんか? 角度的に大丈夫だと思いますが――」

 そう言いながら、青田さんは自分のハンカチでテーブルの上の血――いや、コーヒーを拭き取ってゆく。私が半端に飲み残しをしていたのがマズかったのだろう。

「……あ、ああ、すいません。ハンカチを……」

「こういう時に使う物です。それに洗濯すれば元通り。こんな事はどうと言うことは無いのです」

 どうと言うことは無い。

 そうだ。汚してしまっても洗えば問題無い。

 ハンカチに限らず、取り返しの付かない事なんて――

「冷たい物が必要ですね。今度は俺が用意しましょう。炭酸が良いでしょう。飲めなかったりは――」

「大丈夫です。ああ、それは炭酸が大丈夫という意味で……」

「わかりました。しばしお待ちを」

 ……本当に言葉遣いが、大袈裟な人だ青田さんは。

 そう感じられたことが、感情の逃げ道になったのか。私はだんだんと自分自身を取り戻しつつあった。

 けれど当たり前に、何もかも元通りというわけでは無く――

「とりあえず、炭酸飲料と言うことでスタンダードな物を。他の物がよろしければ……」

「いいえ、ありがとうございます」

 やっぱり赤く染まりそうな、紙コップの内側の白。

 その中には透明な氷と、透明な液体。そしてガラス玉のような炭酸の泡。

 私はそれらを口に含んで、刺激と冷たさに何とかしがみつくことが出来た。

 そして、喉でその刺激を受け止めて――ようやく、私は自分がおかしくなっていたことを理解出来るようになった。

 いや、おかしくならざるを得ないというこの状況を、客観的に見られるようになったと言うべきか。

「――青田さん。これは……この『旨人考察』は本物……?」

 それでも私はそんな事を尋ねてしまう。希望を抱こうとしてしまう。

 そして小賢しくも「旨人考察」が出てきた時に行われる一連の手順をなぞろうとしてしまう。

「そこから疑うのは、ある意味で健全ではありますが、正直に言ってそこまで余裕があるのかは、もう俺にも見えていません」

 

 何かおかしなこと言っていないだろうか、青田さんは。

「ですが、この『旨人考察』が本物かどうかは、この世界でただ一人。月苗さんだけが判断出来るはずです」

 そして青田さんは青田さんだった。

 もう見抜いているのだろう。察しているのだろう。

 私がこれほどに取り乱したのだから。

 それでも私が言わなければならないのか。

 私は和夫さんに愛情たっぷりに育成された、ただの「人肉」である事を。

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