旨人考察(四)
この不調は、養殖物を選ぶ作業に問題があったのかも知れない。
脂の旨味を追求したとして、それは決して脂だけでは成立しない旨味であったのかも知れないからだ。
今回、捕獲できた二体。
選び方の問題について、どうしようも無い問題があるとするなら、捕らえ方にも問題があったのだろう。
どうしてもストレスを与えるからだ。
今回は腹身だけで良いのだから、とわたしにも甘えがあった事は否定できない。
もう一体ほど捕獲予定ではあるが、正直上手く捕獲できる自信は無い。
けれど、養殖物と天然物の比較として、三体は捕かくしたいところだ。
そして脂身と赤身の合わさった旨味を追求することが公平性というものだろう。
今度、捕かくした物はじっくりとたん能したい。
脂身だけではなく、天然物と同じように、あらゆる部位から肉を削いで。
もちろん、考察はまだ終わらない。
ここでわたしは原点に立ち戻りたい。
人を食らうと言っても、究きょく的には、それは肉を喰らうということなのだ。
それなら、素晴らしい先例が日本にはあるではないか。
そう。和牛だ。
その中でも最高ほうと言われている松阪牛。
あれは、明確な基準があって、メスで処女であること条件だというのだ。
理由はわからない。
とにかく、メスで、処女だ。
振り返ってみれば、捕らえた物はずいぶんオスにかたよってしまったものだ。
それは、そういう流れだったと受け入れるしかないだろう。
実はずっと前に、わたしはメスで処女であるえ物を見つけていた。
それがいつでも収かくできると、そんな余裕が、捕かくに甘さをもたらしていたのかも知れない。
これはようしょくなのだろうか?
それとも天然なのか。
いやそれはもはやどうでも良いのかも知れない。
ずっと前に、わたしは正かいにたどり着いていたのかもしれない。
そんな答えの前で、旨さの前で、わたしの考察にどれほど価値があるのか。
いや、まだ答えかどうかはわからない。
人類のえいちが、それを旨かろうと告げているだけかもしれない。
けれどわたしはずっと見てきたのだ。
長い間ずっと。
優しくあつかった。
ストレスを与えぬように。
そこには交流があった。
きずながあった。
そうだ。これは愛だ。
よく言うではないか。
愛情を持って育てると。
愛をもって育てるからこそ、肉は旨くなると。
そんな主張を、わたしは何度も聞いている。
それなら、最高の肉に育っていなければならない。
だからわたしは、ついに収かくするのだ。
食すべきかな。
わたしは大いに食すべきかな。
(原文ママ)
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