符号(二)

「さ、三月だなんて……!」

 誘い込まれたように、思わず声を上げてしまう。

 けれど、すぐにそれが青田さんの罠だと気付いた。いや罠というのは言い過ぎだ。何しろ青田さんがそう言うように誘導したのは、私自身なのだから。

 それなのに、いざ指摘されると取り乱してしまう。

「……三月だとは……判明していないって」

 だから、かろうじてそう続ける事が精一杯だった。けれど私は、自分自身でそれが三月――三月三日に起こったのだと確信してしまっている。

 それなのに、それを否定したいという願望が、どうかすると暴走してしまいそうになってしまう。

 こんな、自分でもどうにも出来ずに抱え込んだ矛盾が、知らないうちに私を消耗させたのだろう。清司郎に心配させるほどに。

 母にはもっと前から心配させているし、結局私は追い込まれていたのだろう。

 だけどこんな事をたやすく口に出来るはずもなくて、その場限りと割り切ることも出来る相手――青田さんに、思わせぶりな説明もしてしまう。それで一時的にでも楽になれば、というどこか自棄になった様な気持ちで。

「細かな日付については、恐らく判明することはないでしょう。何しろ、遺体となって見つかった小森朔太郎という人物は、半ば浮浪者のような生活をしていた様ですので」

 私の葛藤に気付かぬように、青田さんは淡々と情報を並べてゆく。

「もっともこのようなデータは遺体から判明したわけではない。裸にされた遺体のそばに積まれた衣服、その残骸の中に身分証明書があったからです。これがなければ身元が判明するのに、もっと時間がかかったでしょう。そして、その遺体が発見された場所はからさほど遠くない」

 知っている。

 青田さんが説明するようなことは、八月半ばに死体が発見されて以降、ずっと報道されてきたのだ。

 世間を賑わしている連続殺人。その最初の被害者は小森朔太郎なのではないか? と。そしてその死体が発見されたのは――

「この学校の近く、とざっくりと言ってしまっても良い場所ですね。せいぜいが一駅。徒歩でもさほどの距離では無い。シャッター街になりかけている一角の、捨てられた廃ビルで発見された」

「それで、青田さんは最初の殺人だと……?」

 私は未だに無駄な抵抗を続けている。

 この事件が「始まり」であることは、それこそ確かな事で。何故なら――

「まず間違いないでしょう。何しろ背中の肉を主だった部位として、かなりの肉が削がれている。それは腐敗が進んだ状態であってもはっきりとわかるほどに。遺体には欠けた部分があった――そうですね。削がれたのかどうかは、確実なものかはわからないのかも知れない。けれど異常な状態であったことは言うまでも無い」

「そ、それで、殺された人については?」

 私は熱心にそんな事を尋ねていた。今さらどうにもならない事を。けれどまったく無為な行動をしたつもりは無い。この小森という被害者については、本当に詳しいところはわかっていないらしい。

 どういう人物か。何の仕事をしていたのか。こんな状態では顔写真なんて出てくるはずも無く、まったくの謎と言っても良いのかも知れない。

 警察も似たような状態なら……ああでも、本当にためだけに殺したのなら、小森という人にどんな事情があったとしても……

「他の事件と同じように、衣服は放置されていましたので、その中の財布――そこそこの金額を持ち歩いていたようですが――その中に健康保険証が入っていました。ですが顔写真のようなものは見つからなかった」

 やはり“伝手さん”経由なのだろう。青田さんはしっかりと情報を集めていたようだ。この段階で私がネットで調べるのよりもずっと詳しい

 清司郎に紹介されて、実際に青田さんに相談する前に「世間を騒がしている連続殺人に関係があるかも知れない」とだけ連絡したんだけど、まさかここまでやってくれるとは思わなかった。

 いやそれは、ただ調べるだけではないのだろう。何か見透かされている感触がここに来て強くなってきたからだ。

 それでも尚、青田さんは外堀を埋めるように小森さんの事件を説明してゆく。

「登録されている住所は埼玉と言うことで、捜査ももちろんされましたが、そもそも帰ってくることがほとんどなかったようです。普通のアパート住まいであったようですが、姿を見かけた同じアパートの住人はいないようですし、まず生活音が聞こえてこない」

「それって顔もわからないんじゃ、出入りしていたかもわからないんじゃ……」

 それでも疑問は持ってしまう。

 単純な好奇心の働きで。別に救いを見出したわけでもないのに。

「そうですね。とにかく顔がわからない。これがネックでしてね。それでも名前だけは判明しましたので……これも遺体の側に身分証明書があったと言うだけで確証はないわけなんですが――」

「ええ」

 もう、疑いだしたらキリが無い状態なのだろう。捜査を進めるには、あて推量であっても動かなくてはにっちもさっちもいかない。

「――それで、一応職業らしいものは判明しました。それでこれだけ身元がわからない事について、ある程度は蓋然性が出てきたようです」

「……それって、身元を隠すような職業って事ですか?」

「はい。当人はブローカーなんて言っていたようですけどね。言葉を選ばなければ、いわゆるタカリ屋です」

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