被害者・中島亮介(46)
遺体が発見されたのは八月十二日ではあったが、中島氏が行方不明になったのは八月四日だった。これははっきりしている。
中島氏は京都市に住む製造業の会社役員で、この時は早めの夏期休暇を取っていたとのこと。その休暇を利用して趣味だという温泉巡りのために白馬に訪れている。
中島氏の家族としては、妻に子供が二人という構成ではあったが、白馬には同行していない。家族仲が冷え切っていた、と言うよりは、中島氏はそもそも家族仲を温めようという意識を持ち合わせていなかったらしい。
家族のために行動するという事がなくて、ひたすらに自分の欲望を優先させてきたような証言も集まっている。大半が家族が並べる愚痴であったとしても、中島氏は確かにそういった性質であったらしい。
好きな時に休みを取って、一人で温泉を巡る。さらに普段の生活においては、良く言えば健啖家という人物で食い道楽でもあったらしい。
身長は百七十センチ。体重は百キロ前後。会社の健康診断で毎回痩せるように警告を受け、コレステロール値等、かなり危険な数値を示したとのことだ。
中島氏はそれを言い訳にして「健康のために」というお題目を掲げて、さらに温泉巡りをするという循環を繰り返していたらしい。
白馬にやって来た目的は、一般に「隠し湯」などと呼ばれる、山中に拓かれた温泉を巡る事が目的ではあったらしい。
そして中島氏は八月四日午後に宿をたって、そのまま帰ってこなかった。
宿の責任者は迅速に動いたと言っても良いだろう。何しろ観光地だ。大袈裟に動いた結果、
「大したトラブルでは無かった。何事も無かった」
――と終わらせることの重要性を弁えていたのだから。
その上、中島氏が目的としていた「隠し湯」は、前人未踏の秘湯ではなく、言ってみれば宣伝的な意味合いでの「隠し湯」という呼称であって、そこを訪れるまで徒歩しか他に手段が無いぐらいの“不便さ”があるだけ。
それぐらいのもであったのだ。だから、そこまでの道はしっかり整えられているし、遭難というのも考えがたい。せいぜいが迷った、ぐらいのものだろうと、その点では軽く考えていた部分もあったことは確かだ。
逆に軽く考えているからこそ、さっさと済ませようと組合や協会にも応援を要請し、すぐに見つけてしまおう。そんな考えであったらしい。
しかし中島氏は見つからなかった。
一晩明けたところで、いよいよ警察が捜索に動き出した。昨晩の段階で家族には連絡が行っていたのだが、妻も白馬に乗り込んできた。
山狩りも行われたのだが、一向に進展が見られない。そして発見されたのがほぼ一週間後の八月十二日というわけである。
発見されたのは姫川沿いの流れが奥まった場所であった。崖に囲まれた場所であるので最初は滑落が疑われたが「隠し湯」に向かう道筋では無い。もっと上流で川に落下したのでは、という見通しが有力視された。
それを裏付けるための検死ではあったが、当然遺体は損壊している。川魚、それに野生動物が遺体を囓ってゆくのである。無事で済むはずが無い――これが当初の長野県警の発表だった。
しかし、中島氏の遺体は発見当初からただの事故と考えると、不自然な点が多すぎた。
まず、何故全裸なのか?
いきなり川で泳ごうとしたという可能性も否定出来ないが全裸であることは確かに不自然すぎる。
そして腹部の傷だ。野生動物に囓られたようなあとと共に、鋭利なナイフで削がれたような痕跡が残っている。そして死因は失血死と目されているが、首筋に火傷の跡が残っていることから、まずこれで昏倒されたのではないかという見解で一致した。
スタンガンによる暴行が先にあったのだろうということだ。その後、腹部を裂かれ肉片を持ち去られた。
それでは殺害現場はどこか?
これは件の「隠し湯」へのルートに近い山中。渓流に程近い場所で中島氏の衣服や靴が運良く発見されたことで、ほぼ確定となった。
この場所は当然初期の捜索場所ではあったのだが、人間を探すのと、痕跡を探すのではまず捜索の仕方が違う。それが後手を踏んだ原因だった。
そして発見までの間に降雨も有り、痕跡はほとんど残っていない。むしろ服を見つけられたことが幸運であると捉えることさえ出来るだろう。
こういった残された衣服の中には、現金やカードなどが丸々残されていること。裸にされていること。何よりも肉が削がれていること。
これらの共通点を上げて、最終的には五月に起こった事件と同一犯ではないか? との見解と共に警察発表になったわけだが、それを後押ししたのが、長野市内のインターネットカフェからアップされた怪文書。
「旨人考察」の存在である。
この怪文書についてはもちろん偽物が多く出回っていた。だが、今回は中島氏の遺体の損壊の理由が、この怪文書からは窺える。いや一致したと考えても良いだろう。
そして、ここまでの詳しい遺体の様子は世間に詳らかにされていない。
さらには怪文書がアップされた場所が場所だ。相変わらず個人を特定出来るような情報は得られなかったが、とにかく長野市内からアップされたことは確実だ。
こうなれば、この怪文書が指し示しているのが中島氏の遺体である事もほぼ確実で、この事件が広域捜査として扱われる事になったのも当然の流れだろう。
そして日本全体が、喰われる恐怖に震えるのである。
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