旨人考察(三)
窒息鳥という言葉があるらしい。
ウズラのことらしいが、首を捻って窒息させ、それによって血を巡らせ風味を増すとのこと。
本当かどうかは知らない。
だが結果的にわたしはそういった手順を踏んでしまったようだ。
何が面倒かと問われれば、ただの鳴き声に意味があるように感じられてしまうことだ。
言葉というものの不条理を感じる。
強制的に理解させようとするのだ。
結局、声の段階からせき止めなければどうにもならない。
しかし、まったくの失敗であるわけでは無い。
サンプルからいくつかの部位を回収することに成功したのだから。
それらには思いつく限りの調理法を試してみた。
焼く。煮る。揚げる。蒸す。
それぞれの調理法に、味付けを考えてさらなる工夫をこらしてみた。
そうやって口にしてみると人肉という物は、ずいぶんと塩辛いものである事がわかった。
調理の過程で、もちろん下味を付けるのだが、それをするとずいぶんと味が濃くなる事にはへきえきした。
こうなってみると、調理法的には焼くがもっとも対応しやすことがわかる。
次いでは蒸す、辺りであろうか。
そこでソテーを中心に調理してみると、そこには他の肉では味わえない奥深さがある事がわかった。
舌の上でほどけ、口の中で破壊とそうぞうが同時に襲いかかってくると言うべきか。
人肉という最高の素材に、人の歴史の知恵が集約されている調理法。
これで旨くならないはずは無い。
しかし、人肉のこの塩辛さの理由はなんなのだろう?
アイスプラントのように、人間は生来そういう生き物であるのか。
今回、入手出来た二種類の天然物。
厳しい環境で捕獲されたものが塩辛いというのは、ある程度は納得出来る。
しかし自然の多い場所で取れた肉までもが塩辛いというのはよくわからない。
やはり採取方法に問題があったのか。
それとも人肉はこういった肉であると言うことなのか。
このまま考察を進めるのも一興だが、わたしとしても天然物の検証だけで済ませるつもりは無い。
何事も検証には比較が大事な事は言うまでも無い。
天然物についてはある程度の検証が終わったと考えると、次に検証すべきはもちろん養殖物だ。
つまり恵まれた環境で、育成された肉だ。
ストレスについても、少ない環境であることが好ましい。
それに加えて、わたしは試してみたいことがある。
これは天然、養殖に関係無いことであるのかも知れないが、要は脂身についてだ。
肉の旨さとは、それはすなわち脂身である可能性がある。
その検証のためにも養殖物の検証はうってつけだ。
養殖のマグロとは、全身大トロのような状態になるという。
これは、養殖物には脂身が多い事と同時に、やはり脂身にこそ旨さが宿る可能性をしさしているように思う。
改めて考えてみると、天然物の肉が塩辛いとするなら、脂身がある事で食すのに最適な状態を引き出すのではないか?
そんな期待がわたしにはある。
試すべきかな。
食すべきかな。
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