被害者・加藤梓(31)
「旨人考察」が犯行声明であるという推理が、ある程度の信憑性を獲得することになったのは、その内容が寿町の事件を思い出させただけでは無い。
実は青梅市で起きていた猟奇殺人事件もについても「旨人考察」は言及しているのではないか? という推理がネット上を席巻したからだ。
まず青梅市の事件の概略だけを並べてみる。
被害者の加藤氏は、都内の建設会社に勤めている謂わばOLだ。交流関係を探ればまず彼女は独身で、交際していた男性はいたという情報がもたらせられる。これは彼女が犯罪に巻き込まれたから過去形で語られるのではなく、青梅市に訪れる寸前に別れていたらしい。
そして奥多摩への失恋旅行のようなものをする、という証言が集まっている。こういう時に同行してくれる友人、あるいは同僚はいなかったようだ。
そういう証言をあわせて状況だけを整理してみると、五月最後の週末――二十五日の土曜日に、青梅市に宿を取って、そのまま飲みに出かけたらしい。
そして行方不明になった。当然捜索され多摩川沿いの河川敷で遺体が発見される。そこまでの足取りは複雑ではあったが、夜半に単独で奥多摩へと向かっていることは確実視されている。あるいは自殺しようとしていたのではないか? とも目されていたが、結果として他殺体となって発見されてしまった。
そんな推測が成り立つほどであるので、この旅行において二十三区からの彼女の同行者については最後まで見つけることは出来ず、また旅先での同行者も目撃されていなかった。
青梅市の都市部において悪酔いし、管を巻いている姿はしっかり目撃されているのだが、それだけに声を掛ける者もいなかったらしい。
彼女は痩身と言えるほどの細身で身長は百六十一センチ。容姿、特に顔の造作については、いささかきつめ。一般に神経質そう、という表現に当てはまる。このような外的条件もまた、声を掛けづらかった一因にはなるだろう。
一応、奥多摩への旅行をきちんと考えていたのか、上はネルシャツ。下はジーンズという出で立ちであったが、寿町の事件と並べられることから推し量れるように、やはり全裸であった。
そして削がれていた部分はもっぱら脚部。ほとんど骨だけのような状態で、捜査に動き始めた青梅警察署は、まず変質者の洗い出しから始めた事は言うまでも無い。
死因についてはキッパリと扼殺。脚部の削ぎについては生活反応が見受けられず、やはり人体を食用肉のように扱っていることが窺えた。
そしてこちらの事件も難航した。理由は寿町の捜査が難航した事と同じ。
加藤氏と繋がる線が、捜査についてはまったく意味を成さないからだ。それでも青梅警察署は、そういった定番も捜査について手を抜いたわけでは無い。
アリバイの有無、怨恨、あるいは恋愛関係もきっちりと捜査したのだが、決め手が見つからない。
アリバイをしっかり証明出来ない人物も確かにいるわけだが、かと言って青梅市に向かうことは、物理的に不可能だった。
動機についての洗い出しも芳しい物では無かった。まず恋愛関係のもつれについては、ある意味で本命とも目されていたが、さすがに足の肉を削いでしまうという強烈な怨恨に発展するとも思えない。
人間関係については円満とは言い難い加藤氏ではあったが、それだけに恨みを抱くほど深い関係性が構築される前に避けられてしまうような人物であったようだ。
直前まで交際していた男性についても交際期間は三ヶ月ほどという事実が判明し、その上アリバイもしっかりしていた。
やはり人間関係で捜査を続けるのはどうにも手詰まり。これは本当に人海戦術で変質者を見つけ出すしかないな、と捜査員達も覚悟を決めた状態が今も続いている。
さて、これだけ異常な事件が二つ並んでいたとしても、傍から見ている分にはそれが容易には繋がらない。遺体が損壊している、というあやふやな報道が為されただけなのだから、この二つを並べることは、通常であれば不可能に近い。
特に加藤氏の遺体が発見された場所が場所であるので、野生動物に食べられた、という、遺体が損壊と言われても納得しやすい理由付けがされたことも大きいだろう。
さらに「旨人考察」を信じるなら、加藤氏は果たして「天然物」なのかどうかについては、迂闊には判断出来ない。
だがそれでも、この寿町の事件とこの事件を並べ、さらに「旨人考察」を加えての推理を披露する者が現れるのは時間の問題であったかも知れない。
まず加藤氏が「天然物」であるかどうかという問題だが、犯人が奥多摩近辺で獲物を探していた場合、果たして加藤氏が地元の住人なのか、それとも旅行者なのかは判別出来ないだろうという意見が大多数を占めた。
そこに、より陰惨になるように求めてしまう、言ってみれば予断のような雰囲気があったことは否定出来ないだろう。
そして、そういった「世論」に押されるようにして、遺体の損壊について、詳しい情報がリークされた。
その遺体を並べてみれば、明らかに同一犯の犯行であることは明白で、これによって関東地方は一種のパニックに陥った。
犯罪者を越えて、捕食者と言うべき異常者がすぐ側に蠢いているのかも知れない。狙われる理由はただ「人間」であることだけなのだから。
これでは備えようが無い。「人間」であることはやめようがないのだから。
そして、これが日本を震撼させた「旨人考察」事件の第一幕となったのである。
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