被害者・竹国文三郎(51)

 遺体が発見されたのは五月二十六日ではあったが、折からの陽気に誘われる形で腐敗が進んでおり、死亡した日付ははっきりとはしない。

 恐らくは、という言い訳じみた文句を先において語られる死亡したと推定される日付は、少なくともそれよりも十日は前になるだろといわれている。

 さらに言い訳を重ねるなら、ゴールデンウィーク直後の可能性もあるとのことだった。

 これほど発見が遅れたのは、遺体が放置されていた環境にもある。

 神奈川県横浜市寿町。一般にドヤ街として知られたこの街の廃ビルの二階において竹国氏の遺体は発見された。あるいは腐敗臭が強まらなければ発見はもっと遅れた可能性があったと言われている。

 竹国氏は住所不定無職。所謂ホームレスであり、寿町において職を探す姿がたびたび目撃されてはいる。だが、もちろん住民票を移すような手続きはとられていない。

 元の住民票は、東京都港区に残されたままだ。

 十年前までは輸入代理店を経営していたが、その業績が急激に悪化し――その理由までは詳らかにされていない――膨れあがった借金から逃げるため、そういった状況に追い込まれたらしい。

 ホームレス状態になってからの写真は残されていないが、会社経営時代の写真、それに証言とあわせると、身長百六十五センチ前後。これは検死においても同一の見解になる。

 体重はそこまで重くは無い。中肉中背という形容がピッタリと言った体型だったようだ。

 当時の写真によれば鬢の辺りに白髪が生えそろっていたようだが、厳しい生活のためか遺体が発見されたときには、半分ほどは白髪で頭髪もわびしい状態になっている。

 所持金と思われるものは硬貨ばかり。そして垢じみた衣服。そのポケットに入っていたのは何枚もの封筒で、その中には日雇い労働の明細ばかりで、特に注目すべき点は無かった。身分を証明する物としては期限の切れた運転免許証。それぐらいの物だ。

 他は食べかけの食べ物。パンや菓子の欠片がほとんどで、今にもインクが切れそうなボールペンなど細々した――ほとんど無意味とも思える持ち物が多数発見されている。

 ただ衣服も含めて、それは恐らく竹国氏の持ち物だろう、という推測で当初は捜査が動いていた。

 何しろ発見された時には竹国氏は全裸であったのだから。

 斬り刻まれた衣服が脇に放置されていたので、恐らくはそうだろうという推定が自然に行われたのだ。また運転免許証の顔写真と遺体の顔を比べて、恐らく同一人物であろう、という判断もそこにはあった。

 後にDNA鑑定によって、それら斬り刻まれた衣服については遺体――竹国氏が身につけていたもので間違いないと判断される。

 何故、これほど慎重な心構えになったのか?

 それは捜査員の心構えに因るものばかりでは無い。

 竹国氏の遺体の損壊具合が尋常では無かったからだ。

 頭部、つまり顔については損壊がほぼ無かったのだが、それを幸運と呼ぶべきなのかどうか。

 しかし体、その右半身は凄惨そのもであった。単純に破壊されているという表現では追いつかない。例えば切断されている、という説明はある程度までは現実に即してはいたのだが、もっと細かく説明するなら、切断では無く肉を

 これがもっとも現実に即した表現だろう。あたかも人体を食用肉のように扱う。遺体の様子からは、どうしてもそんな風に思えてしまうのだ。

 削がれていたのは右腕、胸、それに右足。一通りの部位を確保するかのように。そしてこれらの肉片については、未だ発見されていない。

 遺体の左側も無数の切り傷があり――生活反応から見て殺された後に削がれていることは間違いない――右側に偏ったのはたまたまという判断になった。つまりそこには節操が見受けられない。

 腹部についても当然傷つけられていたが出血量に驚いたのか、単純に辟易したのかは不明だが、削がれている風では無かった。

 内臓が残っていたことは死因究明の助けになり、頭部が残されていたことも手伝って、ほぼ窒息。さらに突き詰めるなら扼殺であろうとの推測も可能になったのである。

 逆に言えば、このように遺体を扱った犯人は死因を隠そうという意図は皆無であることも窺え、さらに人体を食用肉のように扱ったのではないかという推測を補強する形となった。

 そして必然的に捜査は難航する。

 まず目撃者がほとんどいないということ。街頭カメラの映像がほとんど役に立たないということが大きい。

 幾つかの目撃証言。それに、それらしい怪しい人物の姿はカメラに捉えられているのだが、それと竹国氏を結びつける線が全く浮上してこないのである。

 前科のある者を中心に、まさに人海戦術でなんとか手掛かりを掴もうとした神奈川県警ではあったが、さっぱり成果が上がらない。

 それなのにマスコミ各社はセンセーショナルな猟奇事件として、一向に事件に飽きる気配を見せない。何時までもトップニュースとして扱うのである。

 しかしそれも一週間ほどすれば落ち着きを見せ、とりあえずマスコミ対策については一段落したと思われたところで、さらなる爆弾が落とされることになった。

 新宿区のインターネットカフェから、ネットに投入された怪文書。

 「旨人考察」がこの事件についての犯行声明ではないか? との噂がまことしやかに流布し始めたからである。

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