三月三日(二)
和夫さんが横になっている布団が床一面を占拠しているような感覚があったけど、もちろんそれは錯覚で。
まず灯りについてだけど廊下の薄暗さに比べれば十分に明るさを感じた。部屋の入り口とは反対側にある窓から曇り空とは言え十分に日差しが飛び込んでくるからだ。
カーテンは開け放たれ、逆に寒さを感じるほど。その窓の下には、凄く背の低いテーブル、と言うか机なのだろう。教科書やノートが積み重なっていた。
あとその中央にはノートPCが設置されている。それにUSBコネクターが突き刺さっていた。多分、スマホの充電用だと思う。
その左手には本棚――結果的に本棚になったと言った方が正解なのだろう、使い道が他にあるだろう棚――があって、その横にポットを始めとして、生活感がある細々したものが並んでいた。台所まで行かなくても、ここでお湯をマグカップに汲めば良かったと一瞬後悔した。けれど、ちゃんと洗われたマグカップが見当たらない事で、おかしな事だけどそれで胸をなで下ろす。
もちろんその直後には、それが和夫さんが体調を崩した原因なのでは? と思ったのだけれど、それが正解だったとしても私にはどうすることも出来なかった。
さらにその横には縦長の布製のクローゼットがあって、それが半開きになっている。思った以上の衣服がそこには収まっていて、部屋も特に散らかったところも無かったし、キチンとしているんだな、と言うのが私の全体的な印象になった。
その反対側の壁は押し入れがあり、今敷かれている布団が普段は収まっているに違いない。そして、その前には電気ストーブ。
押し入れの扉は当たり前に紙製だったから、何だか危ない気もしたけど、他に置き場所が無かったんだろうと納得しておくことにした。
これで部屋の中にあった物としては全部だったはずだ。ザッと見渡して目に入った物を思い出せる限り並べてみたけど、改めて青田さんに説明しても追加で思い出せる物は無かった。だからそれが真実なのだろう。
和夫さんは、そのまま寝入ることも無くて、私に礼を言いながら改めて起き上がって送り出してくれた。特に追い出されたという印象は無い。
私はしっかり休むように伝えて、そして和夫さんはきっと埋め合わせをする、みたいな事を言ってくれて。あと、ちゃんとマグカップと食堂から持って来たコップを洗うようには、しっかり伝えた。
それでその日は終わった。いや、それで「一日」なんて区分けするのもおかしな話なのだろう。時間にすれば、せいぜいで二時間ほどのことだたと思う。
でも、和夫さんの様子がおかしくて、覚えやすい日付であったことも手伝って、この「三月三日」は、強く頭に刻みつけられた感覚がある。
そして実際、この日付を覚えていた事が――
「――念のために確認させていただきますが、押し入れの中は?」
そこまで静かに私の説明を聞いていた青田さんが、いきなり言葉を発した。変わらず伸びた背筋のままで。そして表情からは再び感情が消えてしまっている。
だからこそ私は動揺したのだろう。
「そ! それは……」
思わず声を上げてしまった。頬も熱い。
けれど青田さんに動じる気配は無い。ただジッと私の返答を待ち受けていた。
そんな青田さんの様子は、急激に私の熱を冷まし――同時に青田さんが恐ろしくなった。
完全に私の心を読み取られている。
いや、それを言葉にすることで固定化していると言い換えた方が良いのだろう。私の「説明」から、そういった可能性もあるかもしれない、から、そうに違いない、という感じに固めてしまうのだ。
それは私の感情についても同じ事で、それがわかるから私は青田さんを恐ろしく感じたのだと思う。
そしてもっと恐ろしいのは、青田さんが沈黙を守り続けていること。
せめて反論出来れば、同時に固定されてゆく私の心を崩すことも出来ただろう。
けれど、沈黙を続ける青田さんに反論しようとするなら、まず私が自らの感情――それに動かされた形の「説明」を固定化しなければならない。
これでは……
「……む、無理ですよ。さすがに押し入れは開けれません。和夫さんが、部屋の主がいるんですし」
私はそんな風に当たり前の返答をするしか無かった。青田さんの思惑には気付いていませんよ、と誤魔化すように。
「それはそうでしょうね」
そして青田さんは、そんな薄っぺらい私の誤魔化しに乗ってきた。
とにかく私に最後まで説明させるつもりなんだろう。けれど、ここから先を説明をどう続けるべきなのか……新学期とか「たまゆら」の世代交代についても話すべきなのだろうか。
学校や「たまゆら」については、それ以降夏休みまで、特におかしな事は無かったのだし。
むしろおかしくなっていったのは日本の方で――
「どうされますか? 説明はいったん休憩ということで、新しい場を広げますか?」
「え? それはどういう……」
「まずは『旨人考察』に付いて。そして、それが元になって引き起こされた殺人事件について。これを無視したままでは月苗さんも説明しにくいでしょうし」
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