旨人考察(一)

それが理解出来たとき、じんわりとした衝撃というような矛盾した気持ちになった事を覚えている。


日頃、口にする食材のほとんどが、たゆまぬ品種完了の果てに作り出されたという事に。


それは、寒さに強かったり、病気に強かったり、というような改良ばかりでは無く、単純に旨さを追い求めての事もあるようだ。


特に果物。


原種と呼ばれるものは、到底口に出来ない果物もあるらしい。

毒を取り除くためという、どうしようも無い理由があるのかも知れないが、基本はただ旨さを追求するため。


人が旨さを求めることは義務。いや本能なのではないか。


それだけの苦労を重ねた結果、食卓に並ぶ料理。

自然と頭が下がる。


だが、最初の衝撃が去った後にわたしは思うのだ。


では蟹はどうなのだろうと。


改良されたという話はきかない。

それなのにあれだけ旨い。甘い。


自然に旨い物は確かにそんざいしているのだ。


たまたま思い出したのが蟹であるだけで、他にも自然に旨い物はある。

いや天然を有り難がって、実際そのほうが旨いとされる物は、いくらも思い出される。


河豚はどうだろう?

鰻は?

マグロもそういった傾向がある。


わたしは思うのだ。

あれほど旨ければ、それは絶滅に追い込まれるのも当然だと。


実際、乱獲の果てに絶滅してしまった動物もいると聞く。

しかしそれは人間の罪では無く、進化の仕方を間違えた、絶滅したものの罪なのではないかと。


そんなわたしの想像が、人間に向かうのは当然のことだった。

人間は進化を失敗しているのではないか?


言葉を飾らなければ、人間は果たして旨いのかどうか?


どうしても、それを確認しなければならない。

そういった焦燥感に苛まれるのだ。


それに、同じ部位を食べることで、それが滋養になるという話も聞いたことがある。

肝臓を癒やすためには肝臓を食す。


医食同源という考え方の中で、それは決して特異な思いつきでは無い。


これを正しいと考えるなら、それは別種の生き物では無く、人間を癒やすためには人間を食すべきなのではないだろうか。


いや、癒やすだけでは無く、強化あるいは進化を目的に人を食すことは肯定される。


ああ、でもそんな理屈はどうでも良い。


ただわたしは人間を食べてみたくて仕方が無い。


どんな味がするのだろう?


それを想像するだけで、涎が溢れ出てくる。


想像。


想像だけで良いのだろうか?


想像だけで済ますことが出来るのだろうか?


もう街を歩くだけで、どうしようもない食欲がわき上がってくる。


だがわたしは人間らしくありたいのだ。


そうだ。


人間を食すのはわたしが人間でなければならないと思うからだ。

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