小さきもの

路傍にあるのは原石

「起きられますか?」

優志は”色のついた声”を聴いた気がした。黄色、橙色、寒色ではないが暑すぎない色の声であった。だが肌で感じた気温はひどく寒く感じた。


「…どうなったんだ。ここは…」

かすれた声が己の口から洩れ、優志は上体を起こした。

「すみません、ここは…、!!」

優志が声がしたほうを向くと、顔や腕、足が痣だらけの、片翼の女の子が座っていた。

「どうされたんですか!その痣は……!」

場所や誰がそばにいたのか、今はいつなのかといった基本的な疑問が優志の頭から吹っ飛んでしまうほど優志にとって彼女の姿は痛ましいものであった。

「えっと、転んでしまって…」

「転んだだけで、そんな…!いや、すみません。立ち入ったことを聞いたようです。とにかく手当をしましょう。ただの高校生の応急手当ですが」

そう言って優志は自分のリュックから消毒液や絆創膏、包帯、化膿止などを取り出そうとした。そして自らの右手を見て、絶句した。

「……こいつぁ、銭湯に入れなくなるぜ…」

優志が右手、右腕を見ると、様々な文様や幾何学図形、文字のようなものが自らの体に刻印付けられてるのが目に入った。同時に今いる場所が瓦礫の多い、薄暗い廃墟であるとも気づく。

「俺のことはいいか。とにかく、手当をしましょう。…そうだ、あなたのお名前を伺っていいですか?」

「はい。ローメラといいます。お医者様なのですか?」

「いえ、違います。ただの高校生です。お恥ずかしながらそんなに学がないもので」

そういって、優志は一番範囲が広く、内出血の色が濃い場所から丁寧に応急処置を施していく。

「いえ、そんなはずはありません」

「え?」

「だって、紋章の大きさは知識の多さじゃないですか。こんなに大きな範囲に紋章がある方は見たことがないです」

「どういうことですか?」

どうもこの紋章について彼女は何らかの情報を持っていると優志は感じた。

「紋章のこと、ご存じないですか?」

「はい。これはどういうものなのでしょうか」

治療に顔をしかめながらも、先ほどの彼女のいろいろなものが辛くなってしまった顔は消えていた。

「これは、紋章です。すべての知あるものが持つもの。”力をもたらすもの”、”魔法”を規定するもの」

「魔法、ですか…。俺に取ると生まれてこの方縁がなかったものですね…」

「こんなに知識をお持ちなのにですか?」

「俺の知識は平均的だと思いますが……。それはさておき、魔法って紋章がある人間はみんな使えるのですか?俺も使えるのでしょうか」

「はい、中心概念の周りにある魔法が使えるはずです。あなた様も、その右手の甲だけ色が違いますでしょう?見たことない紋章ですが……」

「これかぁ。……二重螺旋?DNAか?あと五芒星か?」

「二重螺旋?DNA?」

ローメラの応急処置中、彼女の痛みや、痛ましい記憶から目をそらせるために優志は雑談を続けつつ、現状の理解を進めていった。

「ああ、二重螺旋っていうのは、DNAの立体構造のことです。DNAっていうのは遺伝的形質をコードしてる設計図みたいなものです」

「??」

「ええと、アデニン、グアニン、シトシン、チミンの4塩基それぞれにデオキシリボースっていう糖とリン酸が連鎖して、ヌクレオチドっていう単位を作るんです。それらが糖とリン酸のところで互いに結合して長い鎖のようになっていて。塩基のところでも相補的に水素結合するんで二重螺旋に。む、ご存知ない?」

「はい、聞いたこともありませんでした。私、これでも成績は優秀だって言われてたんですが……」

「いえ多分ココ、俺のいた世界と違うから、別のものが発達してるんじゃないかなと。みんな知識って場所によってバイアスがかかる相対的なものの側面もありますから」

「だとしても……。……あの!……私の先生になっていただけませんか!」

「え?」

「私、先生が欲しいって願って、この廃城の女神像に祈ってて。そしたら突然光が差してきて…。右腕、右手に大きな紋章のあるあなた様が。そうでした。あなた様のお名前を伺ってもいいですか?」

「優志っていいます。一原優志。でも、本当に俺大した勉強もしてなくて知識は。ローメラさんの先生になれるほど、人格者でもないです」

「そんなこと、ないです。私の学校の先生で、私を教えてくれる人もいなくて、紋章の意味からずっと馬鹿にされてて」

「紋章の意味?」

「はい。”小さきモノ”だって教会の神父様が仰って、小さいものなんて何も役に立たない、魔法にとって意味がないってみんな言って。それで、今日……」

「……そうだったのですね。ローメラさん、小さいってことに意味がないなんてことはありません。俺が一つ具体的な話をします」

ローメラの受けた暴行が弱者に対して行う嗜虐的な、サイコパスの所業だろう感じ、

内心煮えたぎる思いを感じつつ、知識が”力”になるならと、優志は話をつづけた。

「細胞はご存知ですか?」

「はい。最近学園の教授たちが騒いでいる、最新の研究らしいですが、私は仲間外れになっちゃって……。でも物の小さな構成単位っていうのは知っています」

「……そうでしたか。すみません、嫌なことを思い出させてしまいました。ええとですね、細胞の大きさを規定する要因っていうのは、その大きさが小さいことによる効率なのです」

「えっと。……どういうことでしょうか」

「細胞というのは我々の肉体も作っている単位ですが、これは栄養分や無機塩類、老廃物などを周囲とやり取りしており、これらのやり取りは、細部表面に分布するタンパク質が行っています。そのため、細胞の体積に対する表面積の割合が大きくなるほどタンパク質が相対的に多くなり、周囲との物質のやり取りがスムーズになり、代謝が活発になり、生物の行動パフォーマンスが上がるということなのです」

「細胞の体積に対する表面積の割合が大きくなる、ですか?体積が大きいほど、表面積も大きいのではないでしょうか」

「ああ、割合なのです。つまり比の問題ですね。話を簡単にしてみましょう。細胞の大きさを一辺がa㎛の立方体と仮定します。これは、体積a^3、表面積はa^2×6です。では、一辺を2倍にしてみると?」

「……あ!体積が8×a^3、表面積が4×a^2×6で、大きくなると割合が1/2に」

「そうです。大きくなると体積に対する表面積の割合が減少してしまうのです。よって小さいほうがエネルギー効率、代謝その他多くの効率が上がるのです。小さいからこそなのです」

優志がそこまで話したとき、ローメラの肩に刻印されていた紋章から涼しげな風鈴のような音が聞こえ、紋章が拡大を始めた。同時に膨大な光がその紋章から洩れ、その光が収まったとき、彼女の紋章には絵柄が増えていた。

「……状況の動きについていけねぇ。ローメラさん、大丈夫ですか?」

「……はい。ありがとうございます。優志先生。詠唱が聞こえました」

「詠唱?っていうか、先生ではないのですが」

「いいえ、先生です。こんなに大きな力をいただきました。見ててください」

そういうと、ローメラは先ほどの授業を思い出しながら、唱えた。

「小さきモノよ。その姿故に知られざるもの多きモノよ。受諾されし知識の名のもとに回帰せよ。___レジリエンス」

ローメラがそう言うと、彼女の右肩の紋章から淡い黄色の光が広がっていった。


そして、彼女の痣が治癒していく様を優志は見た。


「これが、魔法か……」

初めて見る魔法に優志はゴクリと喉を鳴らした。

(つか、レジリエンス、”弾性”か……。というか、言葉が通じてるのはなんでだろうな。情報の遅延とかないところ見ると屈折語だからっぽいが……クレオールなわけねぇしなぁ)


光が収まると、彼女はまだ、応急処置が済んでいなかった部分の治癒したところを見せて、優志にヒマワリのような笑顔を見せた。


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呼び声の紋章 縛楽線 @shibariraku

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