第5話 無知望蜀


「私のものになりなさい、アッシュ!」


「………」


 森に声高に響いた彼女の言葉にアッシュは何も返さずにいた。


「どうしたの? 何か反応ぐらい返したらどう?」


「……いや、ええ……」


 アッシュは意図が分からず頭を抱えてしまう。いや、想像はできはするのだ。

 それは自身が使用した心身蘇生の魔法を利用した行為を始めとする政治的な覇権争いなどだ。アッシュの世界でも新しく見つかった創造された魔法は積極的に戦争は利用されており、また、戦争後の為の利権の取り合いにもなっていた。

 何より蘇生の魔法など、月並みではあるが誰でも喉から手が出るほど欲するものだろう。

 戦乱がある世界なら尚更。

 エリスの進言をそのまま受け止めれば、この手の話をすぐに思いついたアッシュではあるのだが、『困っている人を助けるのは当然』と答えるような誠実な彼女がそのような利益に走るようなことは考えにくい。

 純粋に理不尽に死んでしまった者たちを蘇らせたいだけかもしれない。

 それがアッシュを悩ませる。


「その……なんで?」


「だって貴方強いじゃない」


「は、はぁ……勝敗という意味なら、まあ……」


 余計に分からなくなってしまった。

 欲しい理由があの蘇生魔法ではなくアッシュ自身の強さならば先ほどの考えは川に放り投げる必要がある。


「言い間違えじゃぁ……ないんだよね? 【君の】ものになるっていうのは」


「ええ、間違いじゃないわ。私のものになりなさい」


「訳は」


「魔獣から人を守るために、強い貴方が欲しいの」


「説明下手なんですか?」


 簡素で分かりやすい理由だが、そこに行き着く背景が見えないから求められている訳か見えてこない。

 ただ魔獣退治に協力して欲しいならば、『貴方が欲しい』なんて言い回しは普通はしない。どこか私的な訳がありそうだ。


「……仕方ないわね」


 アッシュの考えつくことは予想がついていたのか、エリスはポケットからリトゥと呼ばれた機械を取り出すと、地図を見せた時同様に操作していく。

 指で数度画面に触れてからリトゥをアッシュに向けてくる。


「……歯車?」


 そこに映っていたのは星が巡る夜空と青空を背景に、中央の大きな歯車に噛み合うようにして大小様々な無数の歯車が十字を切る絵柄––––というよりはカードであった。黄金で縁取られた装飾は大層上品なものに映る。



運命の歯車ホイール・オブ・フォーチュンのカード。これが私のアルカナなの」


「……アルカナ?」


「……アルカナって言うのは、その人が使える魔法の性質を表したものよ」


 エリスはアッシュの歯切りの悪い返答から、国や街のこと同様にアルカナのことも知らないのだろうとして、話し始める。


「特にこれみたいに黄金のカードは大アルカナとされていたその分強力な魔法が使えるの。

 ただ、私のは少し厄介でね………。ほら、描かれてる歯車の色、五色あるでしょ?」


 場所によってグラデーションの差はあるものの、殆どの歯車で基調となっているのは赤・青・緑・黄であり中央の歯車だけは銀の単色だ。


「それが魔力要素か?」


「そうね、この色が魔法の属性に関わってくるんだけど。通常、ひとりが使える属性はひとつなの、練習すれば並程度には使えるようにはなるけど。切り札として使えるような物には決してならないわ」


「なるほど……つまり、その色が指すのは」


「御明察。私は火、水、空、地そして光闇、全ての属性の魔法を使えるわ」


 属性自体はもっと細かく分かれるが大枠ではこの五つ、いや六つに分類されるとエマは言う。


「僕が必要ないくらい強い力じゃないですか」


 とアッシュは言うものの、彼もそこまで旨味だけがある性質チカラとは思っていない。


「一見すればそうなんだけど、複数の属性を使える反動で魔力制御が難しいのよ」


「魔法って脳で処理する形式になってるの?」


「? ええ、大脳新皮質のそばにある魔脳制縁葉で……流石にそれは知ってるわよ、ね?」


「……知らない」


「貴方ね……」


 誤魔化そうかとチリチリと痛む脳を稼働させるが、もう何度か無知を晒しているため疑われるだけだ。代わりとしてアッシュは少し苦笑いが溢れている。

 しかし、それなら理由は分かった。


「つまり種類が多くて単独の脳だとキャパオーバーだから、処理できるパートナーが欲しいと」


–––より幅広く、より強くなるための道具が欲しいという意味か。


「そういうこと。分かるだろうけど雑用みたいなものになっちゃうの、だから説明しないで納得して欲しかったんけど……」


 説明をはぐらかそうとしたのは彼女の罪悪感からのようだ。しかし、だからといってアッシュでなければならない理由が見当たらない。


「処理だけなら別に僕じゃなくてもいいんじゃないんですか?」


「それが出来るならわざわざ貴方に頼まないわよ。これまでにも何十人とペアを組んでみてはいるけれども、多すぎる魔素情報を処理しきれなくて3週間ぐらい寝たきりになるか、処理できてもミリ秒ぐらいがやっとだもの。

 かくいう私もパンクしないように魔力を絞って使うか、精密さを捨てるかで使えてる状態にしてるのよ」


 処理する量と求められる質が否応なく高いのだろう。並の処理器では拒絶してしまうほどに。

 エリスはどうにも手詰まりのようで吐き捨てる。


「結果、誰も私と組もうとする人がいなくなった訳。それで、半ば諦めてたけど……」


 アッシュの両肩を掴み、顔を近づけてくる。互いの息が首筋に掛かるほどエマはアッシュに詰め寄る。


「そこに貴方が現れた!」

 

 貴方が欲しいという思いが手に反映され、若干指が身体に食い込む。


「………」


 まるで押し倒さんとする力のまま羨望のような眼差しだ。どうしたものかとアッシュは窮する。


「貴方がいれば私はもっと強くなれる! 貴方も私と組めばみんな平穏に過ごせて心地のいい旅が続く! ね! どう! 最高でしょ!?」


 おもむろに歩を進める。

 協力を求める彼女はどうしたことか綺麗な赤い瞳が黒く濁る。


「もちろん旅人である貴方の身も保証するわ! 協力して頂くんですもの、それなりの宿も用意いたしますし!」


 その双眸で見つめながら強く一歩、アッシュの懐へ。


「………っ」


 彼女の気迫に思わず退く。鬼気迫るといった瞳は、アッシュの心の奥底の痕へ踏み入った。


 そう、その様は–––––


『いいか––––、お前はこの民の為に戦わなければならない』


 視界の全てが陽炎と見間違うほどブレ、あらゆるものの輪郭が捻じ曲げられ粘土のように形を変える。

 アッシュは見上げる。

 

『眼下に広がる生命も自然も都市も、お前が背負うのだ。お前が皆の幸せを護るのだ。そして奪われた平穏を取り戻すのだ。

 王の血を引く者であるお前が!』


 押さえつけるようにして、その思想を植え付ける誰かの似姿を覚え––––


「……はい」


 茫然とした言霊が零れ落ちる。


「本当!?」


 承諾した。そう思った彼女が嬉しそうに飛び跳ねる。

 その笑顔も––––

 アッシュは自分が何を言ったのかを理解したとき。


「ひ–––––っ!」


 耐えかねたようにエリスを押し返す。


「痛っ……ご、ごめんね。私、このことになると推しが強いらしくて……––––?」


 よろめくエリスは流石に自分の態度に問題があったのだとして謝る。のだが、エマはその相手の豹変に眼を剥く。


「ち、がそうじゃ……ごめえ、あれ? これが正し、まちが、どれなにが、俺の、ぼくの、わ、え? はっえわ」


 滄浪そうろうとした足取りでアッシュは頭を両腕で覆い隠して怯え、文脈も意味も分からないことを物言う。

 花畑で会話していた段階で色の無かった瞳がより消えかかっていく。膝も折れ、頬を地に擦り付ける。


「アッシュ……?」


「アリ、アリス……ごめん、ごめん……」


 その怯えようは、先ほどの少年の比ではない。


「ちょ、ちょっと大丈夫なの!?」


 エリスは慌ててアッシュに駆け寄り、その背を摩ろうとする。


「……!」


 パチン––––


 乾いた音が手から流れてくる。


「え?」


 エリスは弾かれた手をただ見つめている。なぜ跳ね除けられたのか。

 ただアッシュがエリス・・・に対して恐れに駆られていることだけが分かった。


「は、ははは……ハハハ……」


 彼から漏れる異様な嗤い声は、まるで魔獣のようで。


「ムリダヨ」


「アッシュ…!?」


 虚空の中へ言葉と共にアッシュは霧散するように消えていった。





「アッシュ……」



 ここにはもう彼の追える痕跡はない。

 それを実感させるようにただ、青々しく茂っていた木々の葉が一枚、虚しく朽ちて落ちていく。


「なにがいけなかったのかしら……」


 すっかり夜も更けて、月はとうに空の頂上を過ぎ去っていながらも優しく闇を照らす。握りつぶせてしまいそうな柔い光が、エリスの影を延ばす。

 ベットの上で寝付けずひとりごちる彼女は、まるで自らの影と会話をしているようだ。


 アッシュが去った後、エリスはその場をただ眺めていた。そこには彼が崩れ落ち、苦しむように悶えた痕跡が地に残っており、見ているうちに太陽は地平の先へと帰ってしまった。

 仕方なくエリスも帰宅したものの眠ることも出来ずにただ彼のことを考えていた。

 それほどまでに彼は鮮烈だった。助けに来てくれた彼も、あの力も、そしてあの恐怖も。


––––何故だろうか?エリスはおかしな事を口にしただろうか?


 思い当たる節はない。強引ではあるが共に魔獣と戦って欲しいと願っただけである。

 けれども実際にアッシュはエリスに怯えたように後退りする。表情は人がして良いものではない。


「なんで……」


 エリスは理解できなかった。

 特に彼に悪い口を聞いたわけではない。確かに、取引としてはエリスにしか旨味がないものではあっただろうが、魔獣討伐はアッシュの平穏な旅路にも関わってくる事だ。

 それにふたりは初対面だ。お互いに悪い印象は無い。

 魔獣の脅威は世界的に周知されている。

 仮にアッシュがエリスに対して嫌悪などの感情は抱いていたならば、態々危険を冒してまで助ける必要はない。少年ミオだけを助けたいのであればエリスが死体人形にされてから助ければいい。

 しかし、アッシュはそのような下卑たマネはせず魔獣の前に立ち、エリスも少年も、殺されてしまった人たちも全て救い出してみせた。

 彼の善性が強いことの証明だとエリスは思う。


 そんなアッシュならば、必ず協力してくれると思った。


 しかし、実際はどうだ?

 明確な拒絶と共にアッシュはエリスの前から姿を消した。


「……私の、せい……かしら」


 悪夢に襲われたように何かに慄く彼の姿には身の毛がよだつナニかがあった。

 いや、元からそうだった。

 エリスがあの花畑に現れた時も、背を向けて丸まっていた。まるで他者を突き離すような様子でいた事も、怯えの原因による反射行動なのかもしれない。

 PTSDか、社交不安障害なのか。

 まるで病のように突発的に発生したあの狂気の嗤いは、恐ろしかった。

 同時にエマは知りたいと思ってしまった。


「探さなきゃ–––」


 荘厳な強さと、狂気的な弱さを持つ彼を。

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最低最恐魔王が往く異世界英雄無双伝〜それでも目指すはハッピーエンド〜 夢紡の極み @z-to-n

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