第4話 王ノ片鱗
「来て……しまった……」
青年はなぜ来たのだと自分自身に呆れる。
来た道を振り返る。そこには足跡と呼べるものは何一つもなく、ただ地面を足で摺って作られた土の凹凸があるだけだ。
まともに歩けもしないのに、どうして身体は動いてしまうのだろうか。悲鳴に突き動かされるようにして行動した彼女に感化されたのだろうか。
悲鳴が上がった方角と、女性が通った影響で木々の葉が落ちていたことが良い目印となり目的地に辿り着くことができた。
「……?」
そこで見た光景を青年は疑う。
異形の怪物に全裸で歩み寄る女性の姿があったからだ。
「あの怪物がこの世界の【魔族】か……?」
怪物が彼女の敵である魔獣であることはすぐにわかった。
なんとも醜悪な面をしている存在が、自身の過去を思い出させる。絶望だけが伴う闘いとなった魔族との殺し合いを。
しかし、この場にいる怪物はそれ以上に感じる。《悪意》以外の情緒を待ちわせていないような異質感。
対してその怪物に歩み寄るのは、先ほどまで自分と話していた女性だろうか。横顔は見えるが、話していた時は帽子を被っていたことと自分が彼女をよく見ようとしていなかったこともありすぐに断定はできなかった。
が、そばに落ちていた引き裂かれた服や帽子から彼女であることは間違いようだ。
「何をやっているんだ……?」
あれでは殺されないっているようなものではないか。
青年は息をつく。そして–––––
ギョ、と右眼を見開く。
「……くっ!?」
バチバチと脳の神経が焼き切れたような感覚とノイズが混じる視界に声を漏らす。
(別世界だからか? 力が安定しない……)
次第に視界からノイズが消えていく。
しかし、普通の状態ともまた違う。まるでこの世界の全体が青空のような色に染め上げられてしまったようだ。
これは青味がかった視界は敵の情報や見抜くための【王】の力の一つ。
それが敵の力とこの状況を看破する。
「なるほど……あの胸の奥にある【核】のエネルギーを使って女性の身体を再構築。なにを思い、どう行動するかまで全ての思考ルーチンを自分好みに書き換えたというわけか」
彼女の身体から赤い糸が、怪物の蜘蛛の脚に向かって伸びている。もちろん本来の視界にはそう言った物は映らない。
青年の右眼は本来写るはずのない事象の根底を見つけ出す。
(ならばこの状況も納得いく、彼女はまんまと魔物の術中に嵌ってしまったわけだ。しかし、どうする……?)
いや、分かりきっている。
やるべきことも。
けれども、踏み出そうとすると過去が蘇る。
『この悪魔め!』
その言葉が一歩を止めさせる。自分が介入して状況は良くなるのだろうか、悪くなるだけじゃないだろうか。
『いや、違う』と頭で振り払おうにも邪念が消えることはなく過去が足を堰き止める。
「………っ」
–––––彼の中に眠る本能か。
「助けてえ!」
少年の涙と叫びで、青年の心臓が早鐘を打った。
☆
ゆっくりと歩み寄る青年に、魔獣はどうしたことかさっきまでの威勢を失いたじろいでいる。
魔獣にしか分からない威圧感。虚な瞳が放つ異常ともいえる圧迫感。
「■■■■■■–––––ッ!」
「まずい!」
魔獣の胸が再び孔を開ける。青年も女性もまとめて手中に収めようというのか。
放たれる赤い光が溢れ出す。防衛本能により女性へ放った時よりも強く眩い邪の光。
けれども、魔獣が相対するのは最強王者。
「小細工を」
魔獣の力は
「…………!?」
放たれる光が拡散することはなく、一点へと収束していく–––––青年の手のひらへ。魔獣は奪われたのだ、自身の力の支配権を。
ありえない現象に魔獣はおろか、女性や少年も眼を疑う。
「返そう」
「ッ!?」
制された魔力の塊が、槍となって魔獣を貫いた。奇怪な身体に風穴を開けた槍はあるべきところへ返っていく。
けれども、戻った魔力も王の物。
青年が魔獣を強く睨みつけた。
すると、どうしたことだろうか。魔獣は息ができなくなったかのように、首に手をやり口を大きく開いて空気を求めて苦しみ悶える。立つことすら出来ずに倒れ伏す。
数秒すると魔獣の体表がぶくぶくと泡立つ。まるで業火に湯立てられた地獄の釜の水のように沸騰しているようだ。
「なにが……」
正体は生体エネルギーの変化だ–––––魔獣の力を利用して内部から燃え上がらじている。
そして見る見るうちに魔獣の身体は崩壊していき……やがて、蒸発した。
残ったのは魔物の核である赤い宝石のみで、それも力を奪われたように黒ずんでいる。
「…………」
「…………」
見ていたふたりは息を出来ずにいた。ふたりとも魔物のあっけない幕引きにどう反応すれば良いのか、何を言ったら良いのか分からない。
魔獣を退治した青年も事務的に処理したといった状態で、何も感じていない。
「なあ」
核を回収した青年が振り返る。
「えっ! なに?」
彼の声を聞いて女性は背筋に冷や水をかけられたような反応する。
少年は彼女の後ろで小さくなっている。魔物とはいえ生き物が蒸発する様を直に見てしまったのだ怖がるのも無理はない。
青年は一度眼を泳がすが、再度女性を見つめる。
「………この世界に【死後の概念】はあるのか?」
「……え?」
「簡単に言おう、あの世という考え方はあるのか?」
「あ、あるけど……それが、どうしたの……」
「そうか」
青年は死骸の山を一瞥する。
「これがこの世界の【死】か」
形が残るのであれば、肉体がまだあるのであれば––––
(死後の世界があるなら……取り戻せるかもしれない)
こればかりは、こちらの世界観に賭けるしかない。それにこれは作ったものの、自分達の世界ではマトモに機能しない魔法。
青年は深く息を吸う。
「ねえ、なにを!」
「フンッ!」
女性が近づこうとすると、青年の身体から強く激しいエネルギーが発生する。ズズズと地面に痕をつけながらエネルギーの余波だけで、彼女は後ろへ押し戻される。
それは彼女が使う魔法ともどこか異なる超常の力。
腕を空へ掲げるとエネルギーの柱が天まで伸びていく。まるで宇宙にまで駆け上がるための階段のようだ。
「凄い、綺麗……」
「おお……」
少年は美しすぎるその光景に感動を覚え、女性も情動を詠嘆に口にする。
黄金のエネルギーは、空に伸び切ると根を張るようにして広がっていく。ある種の生き物のような動きをするそのエネルギーは、空にひとつの模様を作り出していた。
幾何学的な模様が空を彩る。
作られたのは魔法陣。
しかし、女性の使うものとは明らかに異質なもの。
「《ムヨオガス・レセナイヤチ・ミタウシテワマレセド》」
呪文もまた異質。
「ハアッ!!!」
黄金の魔法陣がゆっくりと降りてくる。何が起き始めたのかと、女性と青年は周囲を見渡す。
そして、目にするのだ。絶対的超常というものを。
一帯を降り注ぐ光が荘厳な黄金の間に創り変えた。。
そして遂に王の力が顕現する。
「あぁ……ああっ……!」
子供が一面に広がる有り得ない現実に口を開く。
魔物によって真っ二つに引き裂かれ弄られた少年の父親と母親の肉体が、黄金の光に当てられてあるべき御身を取り戻し始める。
そう、再生しているのだ。
父と母だけではない、殺された騎士達の身体も元に戻っていく。少年の斬り落とされた片脚すらも復元され癒えていく。
「…………」
女性はその中でなにかを捉えた。変なモヤのようなものが死した肉体に入っていくのを。
黄金の輝きが収まる。
そして––––––
「一体なにが……?」
「ミオ……ミオはどこ!!」
死体の顔が天を仰ぎ、起き上がった。骸に変わったはずの人々が
「お父様! お母様!!」
「おおぉ! ミオ大丈夫だったか!」
「大丈夫? あの魔獣は?」
歓喜に打ち震えながら少年は蘇った父と母に飛び込んでいく。
「あれ、俺たちは……」
「変な光線を浴びて……」
騎士達もゆっくりと立ち上がる。どうやら怪光線を浴びていた時期の記憶はないらしく、死という苦痛の記憶もないようだ。
「凄い……」
それしか言えなかった。
この世の理を打ち払い死した者を取り戻した青年は、ぐでっと背中から倒れる。
「だ、大丈夫……!?」
女性は青年に駆け寄る。が、虚な目の青年は拳を突き出しそれを止める。
「服、着ろ……」
そして、青年から数着の服が投げ渡される。女性は不思議に思いながら顔を下に向ける。
直後––––
「〜〜〜〜ッッ––––!!!」
赤裸々に声にならない声が森林全体へと響き渡った。
☆
女性含め、死体組は顔を赤面にしながら青年から渡された服を着て……数刻が経つ。
「この度はどうもありがとうございました」
少年の父と母が青年と女性に頭を下げる。
青年は着替えた女性に耳打ちして起こっていた事実を話し、事情を夫婦と騎士達に話す。もちろん、生き返ったとはいえ死んだという事実は伏せている。
「まさかアリアンドラの長女様に助けて頂けるなんて……」
「いえいえ、私は特に何も……」
女性は目だけを動かし、この場を収めた張本人を見る。魔獣を倒し死者を蘇らせた超常なる男は、その影もなく地面に仰臥している。
そんな彼にミオと呼ばれた少年が歩み寄る。
「おじさん、おじさん……おじさん!」
屈んでその身体をゆする。
「なに……?」
「さっきはありがとう!」
ミオは魔獣から助けてくれたこと、両親やみんなを取り戻してくれたこと。その全てを笑顔で感謝する。
「………」
青年は衝撃を受けたように眼を見開く。動揺し、眼が右往左往している。
「………うん」
なにを考えていたのだろうか。
「それは全部あの
「?」
「え……?」
少年は何を言っているんだろうと目を点にして首を傾げる。女性も同様だ。
青年は起き上がるとミオを連れて両親の側にやってくる。
「感謝なら全部、彼女にお願いします」
女性は、彼が何を言っているのか理解できなかった。
「いや、魔獣もむぐっ––––!?」
訂正しようとする女性の口を片手で塞ぎながら、前に出る。
「自分なんて来たは良いものの、何を役に立てなくて……寧ろ足を引っ張っちゃって……」
自嘲するように引き攣った表情で彼を出任せを口にする。それを聞いていたミオも女性も首を傾げるしかなかった。
「カルリア夫妻! 馬車が直りました!」
「分かりました! –––––ありがとうございました、アリアンドラ様」
そう言って夫妻はミオと両手を繋いで馬車へ戻っていった。去り際まで、ミオは不思議そうに青年を見ていた。
「…………僕も捌けるか」
青年は奇抜を返して森の中に消えて行こうとする。
「待って!」
女性は青年の肩を掴んで引き留める。
「なんですか……?」
「さっきなんであんなホラふいたのよ」
「ホラではないでしょう。貴女がいなければあの子は助からなかったし、両親も蘇らなかった」
青年にとっては事実だ。
ここにいるのは偶然。彼女の行動に感化されたのかは分からないが、彼女が【この場】にいなければ、彼も来ることはなかった–––––少なくとも青年はそう思っている。
「でも、実際に助けたのは貴方でしょう!?」
何をしていない。そして事態から察するに自分はあの魔獣のいいようにされていたことだけは女性も分かっていた。
あの人たちに感謝されるべきは自分ではなく、目の前の彼だ。それは受けるべき賞賛であり、ましてや自嘲してまで他人に渡すものではない。
「……さっきから何を怒っているんですか?」
しかし、青年の顔は先ほどの困惑した彼女の顔を鏡に映したようなもの。つまり、本当に理解できていないようであった。
「……もう良いわ。なら質問を変えます。さっき使った魔法はなに? あんなもの見たことないし聞いたこともないわ」
(当然だろ……僕が作ったオリジナルなんだから……)
似たような魔法はこの世界なら探せばあるかもしれないが、少なくともこんな大掛かりな形式を取るのは自分だけだろう。
「時でも戻したの? それに死者蘇生なんてタブーなのも良いところだわ」
「時が戻ってたら馬車も戻るでしょう」
「つまり別の方法ね。なら」
「もう良いでしょう? ごっゴホッ」
さっきの魔法の影響なのか、肉が痩せこけ目許には酷いクマができ、何度も咳き込む。見るみるうちに体調が悪化しているのが分かる。
「そう……分かったわ」
女性は青年の肩から手を離す。
しかし、その眼はずっと彼を捉え続けていた。
「でも……」
嬉しそうに、歓喜に打ち震えるように。
「やっと、やっと見つけたわ––––」
彼女は俯いて微笑む。
「ねえ貴方、名前は?」
答えるべきか否か、しかしここで知り合ったのも何かの縁かもしれない。彼女もアリアンドラと名乗ったのだ。ならばこちらも答えるのが、礼儀だろう。
「アッシュ。アッシュ=レイ」
「そう、ならアッシュさん–––––」
数秒の間をおいて、彼女は高らかに宣言した。
「このエリス・ルナ・アリアンドラのモノになりなさい!!」
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