第3話 魔獣成者

 彼女は飛び出した。

 一面に広がる花畑を一蹴りで飛び越えるという常人ではあり得ない事象を起こして。素早く思考を切り替えたことから、このような行動に出るのは日常的なもののようだ。


「ハァ……ハァ……!」


 金色の髪を靡かせながら駆ける、駆ける、駆ける。速度が上がるにつれて木々や草花といった風景が横伸ばしていき、消え失せ、マトモな視界は前方の一点のみ。

 通り過ぎた彼女の跡には青い閃が生まれる。その中には淡い燐光が含まれていた。

 数秒もすれば彼女は目的の場所へ到着する。


「な……っ」


 口からを抑えたく成るような凄惨な光景で、漂う陰湿な雰囲気はこの一帯だけドンと暗雲が立ち込めたかのようだ。

 そこで女性は晴天の空に似つかわしくない血溜まりの中に動く人影を見つけた。


「た、助けてぇ……!」


 片脚を失った年端もいかない少年が、血の池の中を這いずりながら助けを求めいる。

 その周りには襲われて擱座かくざしたのであろう馬車と、恐らく子供を守ろうとした騎士だろうか––––煩雑に散らばった甲冑や血塗れの剣からそう考えざる負えないが––––人間だった頃の面影などはなく、ただ肉塊となって転がっている。幾つが胴体らしきものが残っているものもあるが、大きな風穴が開けられている。


「ホヒヒ……」


 奥には異様で明らかに生命倫理から外れた姿をした生物が立っていた。血の池が自分の領土だとでも言うように、中央でその存在を主張する。

 馬のような四脚から、人間のような上半身がついており、男性的な肉体でありながら顔は女性的なもの。胸筋は幾つもの層に膨れており裂け目があるように見えている。背中から蜘蛛の脚が翼のように生えている。

 その姿は正しく【魔獣】。


「貴様……ッ」


 ニタニタと笑う魔獣は真っ二つに裂かれた男女を蜘蛛の脚から出てくる糸で無理やり繋ぎ合わせて楽しんでいる。無垢で邪悪な笑みは、裁縫を覚えたばかりの子供が、新しい種類の品を作り始めたときのような顔だ。

 繋ぎ終えた身体をこれ見よがしに掲げる。


「お父様……お母様……ぁ……」


 あまりにも無残な姿に変えられた父と母を見て恐怖に顔を歪める。

 魔獣が少し動くたびつられて、糸で宙に浮かされているふたりの死体も揺れる。魔獣にとってふたりの身体は人形のようだ。


「っ……はぁっ……」


 息を荒くして、この状況を見つめる。


––––許さない。


 心の中で彼女は呟く。


 魔獣は生前2人が着ていたであろう男性ものの服と女性ものの服を死体に当ててジロジロと品定めをする。

 魔獣は遂に決めたのか、死体に男性ものの服を着せる。

 そして、地に足をつけさせると。


「–––––ッ!」


 死体が突如として動いた。縫い付けられた不気味な嗤いを浮かべながらにじり寄ってくる。

 蜘蛛の糸から伝った魔獣の殺意が宿った死体人形は、相手が自らの息子であることなど認識することなど出来ず、躊躇いなく手をかけようとする。

 脚を失った少年は避けられず、両親の顔が半分ずつついた怪物に恐怖するしかない。


「危ないッ!!」


 女性は燐光を纏い再び加速して間一髪、少年を抱きかかえて撤退する。


「………」


 安全圏まで離脱した彼女は、ゆっくりと少年を横たわらせる。


「《爛漫なる風よ・その聖なる翠の癒しで・負う人を快放せよ》」


 彼女が三節の唄を紡ぐと、燐光は翠色に輝き出して風を起こす。その天使の息吹を思わせる心地よい風が少年を包み込む。

 これは盾であり癒し。

 彼を包む内側の風は痛みを和げ、不安を取り除く。外側の風は敵からの攻撃を防ぐ盾となる。


–––––これが彼女が口にしていた【魔法】である。


「……不服そうね?」


 獲物を横取りされたと思ったのか、魔獣は真底面白くなさそうな様子で彼女を見つめる。

 しかし、それは彼女とて同じこと。

 思い出す、過去で呟いたこと。呟かれたこと。


『た、す……け……て』


 人を理不尽に苦しめ、悲しませる災厄は捨て置かない。


「私もよ」


 短いながら、彼女の言葉は明らかな怒気を孕んでいた。


「魔獣は絶対に許さない……!」


–––––弱きを守るは貴族の使命!


 彼女は強い口調で宣言し、右手を前に突き出す。


「《赤王なる蟒蛇よ・渦巻く邪念もろとも・焼き喰らえ》!」


 今度は燐光が赤く染まる。彼女の手先に光で描かれた魔法陣が浮かび上がる。

 その魔法陣から現れるのは五匹の巨大な蛇。炎が模った蛇は地面を飲み喰らいながら魔獣に迫る。大蛇が通った跡には、溶けて液体と化した土のみ。

 一匹目が咆哮をあげるようにしてその顎を開く。そのまま魔獣を呑み込み、爆炎をあげる。二匹目、三匹目も続いて突撃し大きな火柱をあげる。

 耳を塞ぎたくなるような大音量の爆発が郊外一帯に広がり、衝撃波が大地を震動させる。


「––––––ンンッ!!」


 巻き上げられる土煙と昇り続ける爆煙を切り裂いて、影が飛び出す。

 魔獣だ。

 多少の火傷や砂埃は被っているものの目立った外傷は見受けられない。どうやら、馬力のある四脚を利用して寸前のところで回避したようだ。

 残りの四匹目、五匹目の炎の蛇を攻撃も素早い身のこなしで躱していく。


「魔獣の中でも上位クラスのようね……グッ!」


 翠の燐光が散る左手を直ぐに自身の後ろに回す。すると、燐光が蒼く輝くと共にグシャリと肉が弾ける音がし、小さな肉片が飛び散る。


「くっ……」


 彼女は背後からの攻撃をいなすと、すぐさまバックステップで距離を取る。

 先ほどまで自身が立っていた場所にグッタリと居座るのは死体人形。回避しながら奇襲をかけてくるとは、かなり器用なことができる魔獣だ。

 彼女が知っている魔獣の中でも相当高位の存在なのは疑いようがなかった。


「ッ!」


 魔獣は追撃をかけるように、強靭な脚力を活かして天高く飛ぶ。


「!!」


 彼女は転がるようにしてその場から撤退する。数瞬後、自身が先ほどまでいた場所に、数メートル級のクレーターが生み出される。

 もしあのまま押し潰されていたら、周囲に自身の脳みそや臓物がばら撒かれていただろう。

 魔獣と死体人形が立ち並ぶ。


「《撃てアン断てドゥ斬れトロア》!」


 体勢を立て直した女性は、突き出した右手から翠色の燐光が一気に放出され魔法陣が形成される。けれども魔法陣からはなにも出ていないし何も見えない。


「……?」


 魔獣は何も起きない魔法を鼻で笑う。

 それが命取り、だ。


 油断をしなければもっと早く聞こえていただろう。

 空間を切る風の音が–––––


「ンンンンンン––––––ッッ!?」


 血潮が風に乗り舞う。

 気づくのが遅れた魔獣は回避出来ない。その身を斬り付ける不可視の風刃に魔獣特有の蒼い血が塗られ輪郭を得る。

 脇腹、右前脚、左腕に深々と一撃を浴びせる。もし、前脚より先に左腕を飛ばした風刃が魔獣に到達していれば、首を斬り落としていただろう。


「■■■■■■■■■■!!!」


 肉体にある神経や骨まで切り裂いた攻撃に、魔獣は苦悶の唸り声をあげる。

 

「あら、そんな余裕もあるのね?」


 彼女は不敵に笑う。

 魔獣は意味がわからず困惑するも痛みで叫び続ける。


「ふっ」


 ぷつ………ドスっ。


 突如、死体人形が琴切れたように倒れ伏す。魔獣が死体を操っていた糸が切れたのだ。

 それと同時に––––


 魔獣の眼が背後へ向けられる。


 間に合わない。


「■■■■■■■■■■■■■■ッッ!!!!!」


 魔獣の蜘蛛の脚が––––

 馬の四脚が––––

 残りの片腕が––––

 紙切れを破り去るかのように、全てが容易く斬り落され手脚や肩の断面から血煙があがる。ボワっ!と勢いよく噴き出す血は、魔獣へ致命傷を与えたことを確信させる。


「これが貴様がやったことだ」


 魔獣は立つこともままならず、身じろぎすらできずに慟哭の叫びのみをあげる。


「直接……トドメを指す」


 目許が怪しく曇る。

 それは彼女の【魔獣は絶対に許さない】という思想の表れ。一歩、また一歩と動けなくなった魔獣へと近づいていく。


「《雷帝の矛よ・天嵐纏いて・仇敵を穿て》」


 後悔する時間など必要ない。死ね––––そう宣告する眼差しで魔獣を見る。

 両手に燐光が現れ、粗暴で荒々しく火花が散る二つの巨大な金色の魔法陣が現れる。バチバチとスパークを発生させながら、作り出されるのは雷の槍––––いや柱だ。

 これを叩きつけられれば、断末魔を轟かせることなく魔獣は消滅するだろう。


「死ねッッ!!」


 雷の柱を掲げた、


 その時。


「ダメ!! お姉ちゃん逃げてえええええええ!!!」


 少年の叫びは遅く、魔獣がにたりと微笑んだタイミングと同じであった。


「ッッ!?!?」


 魔獣の胸部が蠢き、花開くようにしてその孔が明らかになる。

 胸部に収められていたのは巨大な赤い宝石。この魔獣の心臓部であり、力を使うときに使用する魔力貯蔵庫。秘められた魔力量は凄まじく、純粋なエネルギーとして解き放てば––––


「グアアアアアアアア!!!」


 放たれる前の魔法程度であれば打ち消し、相手を吹き飛ばすことなど造作もない。赤い閃光と共に吹き飛ばされた彼女は何度も地面に身体を打ち付け、木に背をぶつけてようやく止まった。

 強い衝撃に思わず胃液を撒き散らす。


「………くっ」


 閃光が徐々に弱まる。視界が戻り始め敵がいた方へと鋭い視線を送る。


「––––元に、戻ってる……!?」


 魔獣へ伶俐な目を向ける彼女の眼が、驚愕へと染まる。切り落としたはずの腕や脚が漏れなく全て再生しているのだ。

 光に視界を奪われた数秒のうちに、今までの攻撃が無意味にされたことに言葉を失う。


「あ、ああ……」


 傍らで見ていた少年は、もう絶望しきっている。それはトドメをさせなかったこと以上の、他のことに怯えている様子だ。


「……?」


 しかし、女性にはそれが分からない。

 ただ回復したならもう一度攻めるのみ。


「なら!!」


 彼女は腕を動かす。魔法を出すのか?いや、呪文は唱えず口は閉じたまま満面の笑みを浮かべる。

 この状況下でどうして笑えるのか。

 決まっている。

 動かした手でその身を包む被服を掴む。


「ハアッ!!」


 彼女は裂帛の叫びをあげる。

 それはあろうことか、自身の服を破り捨てるために出した声であった。

 ケタケタと歯を鳴らしながら魔獣は嗤う。大きく裂けている口はどこまでも歪み、少年の不安を煽る。


「………」


 少年は瞳を閉じる。

 彼女が辿るこの後の運命を察しながら。


 数分前、彼女が到着するより少し前。

 少年やその家族を守ろうとした騎士たちもまたあの怪光線にやられたのだ。

 馬車の目の前に現れた魔獣。それを退治しようと騎士たちが剣を構えた次の瞬間、虫のように蠕動した胸筋が口を開き、あの赤い閃光を放った。

 あの光線を浴びた騎士たちは、防具や服を捨て去って自らの腹に剣を突き立てたのだ……!


 

 そう彼女もまた、騎士たちや死体人形と同じく……玩具へ作り替えられてしまったのだ。


 そんな状態であることを知らない彼女は、ありもしない自信で満ちた笑顔のまま、おもむろに歩いていく。

 純白で麗しい肌が燦々と降り注ぐ陽の日を照り返す。隠すことなどせず、見せつけるように揺れる豊満な胸と尻が振るわれる。

 もちろん通常時の彼女であれば、このような痴態を晒すはずもないのだが今は魔獣の愛玩具。

 玩具が飼い主を前に恥じることなどあり得ない。少なくとも彼女はそう思って–––刷り込まれて–––いる。


「さあ、行くわよ」


 そう言って彼女は戦闘体勢を取る––––訳もなく、敗北を認めたかのように腕を頭の後ろで組み、喉元を差し出す。

 魔獣は女性の口を蜘蛛の糸で厳重に閉じる。両腕は頭の後ろで固定させる。

 何を思ったのか、魔獣は無防備な彼女の頭を鷲掴みにして少年の前に連れてくる。絶望をより鮮烈に刻み込ませるために。


「あ、ああ……」


 今にも握りつぶされそうな彼女を前に、少年はどうしようもない災厄を目の前にして身を震わせることしかできない。

 彼女が殺されれば少年を覆っている風を止む。けれどもここにいるのは自分だけで、自分を助けに来てくれた人が無惨に殺されていく様を見届け、後を追うしか道はなかった。

 きっと、自分も彼女も魔獣によって死後も肉体は弄くり回され、尊厳を踏み躙られるだろう。

 涙が零れ落ちる。


「嫌だよ……助け……」



 そして、振り下ろされた–––––



「っ……」


 切り裂かれ、生暖かい血が自分に降りかかることを連想する。


「……?」


 しかし、その瞬間はいつになってもやってこない。どうしてだろうか、少年は目を開く。

 そこには首筋を断つ寸前で止められた手刀と、目を泳がせて停止している魔獣がいた。まるで自分よりも大きく手に負えない何かに遭遇してしまった野良犬のように怯えた表情。

 理解した時、少年を気づく。


「誰か、いる……?」


 自分以外にもいた。この場に【人】が。

 そう分かった途端、少年の口から悲痛の叫びが漏れ出した。


「助けてえ!!!」


 森の中に児玉する叫びに呼応するようにして、木陰に潜むように存在していた人物から衝撃波のようなものが放たれる。

 手を翳すなどの動きなどなく、ノータイムで繰り出された攻撃を魔獣が回避することは出来やしない。

 吹き飛ばされた衝撃で持っていた女性を手放してしまう。


「あ、あれ……?」


 魔獣の呪縛から解き放たれたのか、女性は口許についた蜘蛛の糸を引き千切る。少し記憶が飛んでおり、事態が理解できていない彼女だが、少年同様にその存在の気配を感じた。

 それは誰あろう––––


「さっきの……」


 花畑で話し合った青年に他ならなかった。

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