すがすがしいやつがしたい

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まっさらな世界に生えている一本のクソ長棒、それは当然のことながら軌道エレベーターである。人類はなんだかんだやり過ぎて地球で暮らしていけなくなり、空気と鉱物、水だけをくみ上げて宇宙で暮らすようになっているのである。


細かい理由などどうでもいい。大気汚染も水質汚濁もなんもかんも人類が生きているのが悪いのだ————最終的に防護服なしで外に出られないほどには地上は滅んでいるのであった。


そんな重金属酸性雨と強毒有機化合物大気の合わせ技によって叩きつけられる生物殺戮フィールドの中を、一人の少年が歩いていた。


「シュコー……シュコー……シュコー……シュコー……」


彼の酸素は尽きかけていた。


バイオハザード物質吹き荒れる恐るべき地上では、それぞれに耐性を持つように進化した凶悪生物以外は素のままで生存できない。そんなものを一呼吸でも肺の中に入れてしまったならば、一瞬のうちに肺胞を破壊されて血液を吐きながら斃れるのがオチである。そんな死に方を、彼はまだしたくはなかった。


しかし、彼の周りでくたばったものの酸素ボンベを使おうという覚悟の方だって、彼にはまだなかった。それは緊急用ボンベを装填する暇もなく散っていった、初恋の相手や友人なのである。

諸行無常と神の不在を感じることこそできても、ヴァルチャーとなることは彼には不可能。


ゆえに少年は、遠くに見える一本の枝へ向けて、ほんの少しの酸素を使い切りながら歩くしかないのであった。


「シュコー……シュコー……シュコー……シュコー…」


呼吸のペースは一定を保っている。そうしなければ定期呼吸プログラムによる酸素補給タイミングと合わなくなり、貧弱な装備に一瞬で極悪大気が充満することだろうからだ。それで3人のクラスメイトが顔を文字通り紫にして塵になるのを見た。恐怖。少年は死への恐れのみで、それを繰り返した。


「シュコー…シュコー……シュコー……シュコー……」


きっと届かないとはわかっていた。しかしスペースエレベーター・コープによる救助があるかもしれないと思うと、どうにか歩かなければやっていけないのだ。神はすでに死んでいるというのに、何を望むというのか。


それでも彼は歩く、歩き続ける。

身長の20倍はある遺伝子変異巨大シダに結晶化樹木の生える森の中を、恐竜型融合生物にナノマシン汚染進化物体の生きる森の中を、一人。


「ギギギゥグェァオアアア!!!」


「シュコッ!」


その上を古代恐竜めいた生物が飛び去ったので、少年は驚いて呼吸を乱した。

人間など一口で丸のみにしてしまいそうな巨大な口を持った、先祖返りしたかのようなバカでかい翼竜であった。スーパーエア・バトルシップを用いた地上遠足をぶち壊した主犯である。


いつも宇宙から眺めていた地上を、いつか見てみたいねとともに語った仲間を皆殺しにした恐るべき存在である。


「コ……コ……シュコッ、シュコー……シュコー……」


その時の映像が彼の頭によぎった。


200年前に作られたチープなゾンビ映画のように、雑に内臓が飛び出て雑に血液がばらまかれて、首が飛んでは腕が消える、そんな適当な日常風景のように友人たちが虐殺され、食われ、捨てられたのだ。呼吸が乱れて当然だった。

しかしなんとか息を戻し、彼はそれでも、進んでいく。


もう酸素は残っていないけれど、死ぬまで、ただ生きたいと願うから。



だがその時である。



「キュエリィオアグェエエエ!!!!」


その殺戮者は混沌たる目をもって少年の姿を捉えていたのだ。そして彼がたった一匹食べ残したおいしいおやつであることに気づき、ついさっきの呼吸停止の音を拾い降下してきたのだ!


「ギャプロブィイイ!」


それは白い腹にグレーの背中をしており、曇った空に紛れるように硬質の皮膚を固めている。両腕は指が棒のように伸びて翼膜を張っており、地上につく脚はまるで戦国時代のサスマタめいて複雑に絡み合い、逃がさぬように血塗れの棘を生やしていて、貪欲なる顎にはオンカロ標識のごとく鋭い牙が乱雑に並んでいた。


それは簡単に衝突事故速度で地面に着地して、強力で樹木を根こそぎ。少年を逃がさぬように倒して囲み、自分こそが絶対的強者であるぞと嗤って叫ぶのである。


なんという外道だろう。これが地上の食物連鎖という蟲毒の上にあるものなのだろうか。少年の呼吸がまた乱れる。どうしようもなくなり、彼の顔が青くなっていく。


ああ、これが自分の最後なのだろうか。


彼は虫かごの中に閉じ込められたセミの気分になった。脱皮をひとしきり観察されたら乾く前に雑に放り出され、固まり切っていない脚が折れて地に落ちアリにたかられるセミの気分である。巨大生物にオモチャにされる絶望である。


「コココココ……シュー……ココ……コ……シュコー……」


ボンベも悲鳴を上げた。一定周期以外の呼吸では外部空気を遮断しきれない作りなのだ、少年の現状同様仕方のないことだった。それはほんの少し、酸素を散らした。


「グゥェ?グゥエ?」


翼竜は少年が窒息死するかな? と嗤っていた。


それが少年のセンチメンタルとヴェンジェンスを同時に刺激するが、目の前のモノから生き延びることはできないとわかっていた。無情だった。


だからこそ、彼は舞い降りる死にひとつ、立ち向かうのである。

彼は飽きて一口に食べようと襲い掛かってきたそれに合わせ、ボンベを引っこ抜いてバルブを開くのだ。


「ォゴゲァ?!」


舐めてかかり過ぎていたそれは、いきなり突き出されたものを反射的に飲み込んでしまう。通常は酸素分圧がわずか5%という超低酸素環境であるがゆえに強毒有機化合物大気と酸が反応せずに発火しないが、この状況ではその内臓が焼尽されることは必至!


しかし火種がなければ炎は…………だが燃える! 燃える! なぜ!


答えは少年が翼竜の口に飛び込んだからであった。火花である!ボンベの金属と強靭な歯をたたきあわせることによって、急激な酸化を起こさせ火種としたのである!


しかしそれは当然諸刃の剣! そうすれば少年自体も生きているわけがない————しかし、しかし彼にとってはそれしか解がない! ならばするしかありえない!


おお、なんたることだろう。地獄の業火を吹き出しながら暴れる姿は、まるで空想上のドラゴンである。窮鼠が猫を毒殺する! おお、なんとも……なんとも悲壮な光景であろう!


当然防護服を溶かされた少年は、炎の直撃を浴びてままならない。爆発によって吐き出されはしたが、呼吸はできなくなったのだ、もう死ぬしかない。その背後では先に防護表皮を破壊されて先に翼竜が死亡し、急速に分解されて土に還るところである。彼もすぐに、そのあとを辿ることだろう。


だが、それでも。

彼は吹き飛んだ体を見ないようにして、圧力でつぶれなかった右の目を開き、最後の景色をしかとみた。


友と見たがっていた、地上というかつての楽園。

友と見たくなかった、地上という現在の地獄。


その両方を消えていく命に押し込めながら、彼はこの世界をそれでも嫌いになれなかった。


最後に一筋だけ見えた蒼穹は、まだ青かった世界のころのままだったのだから。


「きれいだ」


最後の息は、それで尽きた。

防護層などない人間は、一つ声を発するだけが、この地上では限界だった。



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盛大に何も始まらない 栄乃はる @Ailis_Ohma

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