うろこびと

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 遠い遠い昔話だ。遠すぎる昔に、人間というのがこんなに斜めった建物を作ったくらいの大昔。横になった板を何十枚も積み重ねて、あの天の輪っかに届くくらいまで積み上げられたくらいの大昔のお話だ。


 ずっと夜の国があった大昔、人間は何度もこの星を壊そうとしたらしい。


 例えば新しい昼を作る兵器。例えば新しい生物を作る兵器。例えば新しい世界を作る兵器。例えば新しい物体を作る兵器。ありとあらゆる新しいものを作って、人間は兵器に仕立て上げた。



 その結末なんてこんなもんだ。あとで生きる僕たちがしりぬぐいしなくちゃいけない。後に生きる僕たちが、その名残で苦しまなくちゃいけない————だから。



「大丈夫なの?アリス」



 少女の声が、同じ少女を呼んだ。その声に彼女は答えて、ほんの少し溜めた理屈をどこかに放り投げる。


「もうしばらく、かかりそう。剥がしたくなってるから————みんなには待っててって伝えて」


「そう言っていつもそうじゃん。今回だけだよ?きっと通じるのはさ」


「通じてくれるんだ。ありがたいね、ベトール……でも大丈夫、きっと今日だけだから」



 アリスと呼ばれたそれは、細い指で自分の肩に4つ連なりへばりついている、真っ黒い鱗をつまんで呟く。

 生まれたときからずっとくっついている、自分だけの鱗。それと全く同じ色をしているままの、幼い自分の髪の色。



「本当にそうなの?いつもアリスは怖がりだから剥がれないって……」



 それに語り掛ける少女の髪は、深い緑色をしていた。



「今日こそは、きっとなれるから。だから、今日こそは————」


 アリスもそうなりたいと、自分の肩のそれにぐぐぐと力を込める。この中に本当のありようが眠っているんだ。これがいなくなった時こそ、自分の中にある力だのがようやっと出てきたりとか何だとかするんだって、オクニスが————!



 ということをしてみたけれど、やっぱり剥がせるわけはない。年相応に脱皮をしたことはあるけれど、最終離脱だけは人一倍遅れている。中身がいくら育って行くとはいえ、年下が先に仕事を手に入れていなくなっていくのを見るのは辛いのだ。


 だから今日こそは、今日こそは!

 そう意気込むアリスの右腕を、また別の人間が手を伸ばして止めるのである。


「やめときな。取れねえときは何やっても取れやしねえのさ。アタシがそうだった。まだアンタには早いんだろうさ、アリス」


 見上げると竜そのものといった風貌の人型だった。腕には翼膜が連なり、両足は獣のように膝が一つ多い。外皮全てが真っ赤な甲殻に覆われていて、けれどその下の肉体の形状は人そのものといった様子。


「ミィエル……」


 その名をアリスは呼んで、確かに彼女がそうだったなと息を吐いた。



「プロモーションは時が満ちれば勝手になるもんさ。こちとら取れたのが20だぜ?周り全員ポロッポロでもう恥ずかしいったりゃねえころなんだ、なのに取れたら護り手と来たもんだぜ?何があるかわかんねーのがそいつなのさ、アリス」


「でも、もう14だよ?そろそろそうなっても……それに、遅くに取れても歩きになっちゃったら、僕はどうすればって……」


 けれど、彼女にとってはまだ、今がいる。ミィエルがちょいと背中を示して、アリスに見せて答える。


「んなこた知るかよ。乗ってけ」



 そこは確か、彼女が最後まで竜鱗の残っていたと言われる場所。そして今の彼女にとっては、誰にでも見せる誇りそのものとなった、守る者としての面。だからそれに幼いころおぶさっていたことを思い出して、アリスは呟く。


「嘘つき。本当はずっと寂しい癖に」


「寂しいさ。でも、機械どもにお前らがやられるなんて思うと、そっちの方が寂しくなる」


 子どもの問いかけに、数倍の年を重ねたそれは微笑んだ。



「なんせアタシは護り手だ。誰かを守れないなら、そこにいる意味なんてねえのさ」


 そして赤橙の翼を翻し、ばさりばさりと空へ舞う。その様相はまるで竜騎兵。けれど乗るのは誰を守るでもない少女で、乗せるのは一人ですべてを守る老女なのだ。



「だから誰も死なない空は、いつだって綺麗に見えるんだ」


 彼女の目線に近づくにつれ、彼女の色のように染まった夕焼けが目に届く。どこまでもどこまでも赤い日が、いつまでも繰り返されてきた日の終わりの美に届く。永遠に終わらないだろう落日が、今日の日に輝く。


「お前が隣に来られるなら、こんな話を何度でもしてやる。だから鱗なんざ、気にしなくていいのさ」



 けれどそれはまだ、アリスには持つ者の世界だとしか思えなくて。




 だからこそ、竜の背でうとうととしていたアリスは急降下する勢いで目が覚めるのである。振り落とされそうな勢いで地面へと飛んでいく彼女は、見たことのない真っ黒い瞳をして、燃えるように熱い体をしていた。


「起こしたか、悪いな」


 けれどミィエルは、優しくだけあろうとして声をかける。あぎとから紅蓮を漂わせている彼女は、ファフニールにも類する悪竜のそれにしか見えない。


 だからそれは、持つ者にしかない必要の世界で。



「少し、行ってくる。帰ってきたら、カードでもしよう」



 赤いそれは、黄昏を背負って飛び立つ。彼女が行く先にも、同じ赤が広がっている。



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