第3話 夢の行方

 俺は、夕暮れの赤い空に映える、おしゃれなデザイナーハウス、モダンな外観をした門を開けて、プール付きで芝生が敷き詰められた庭を通り、玄関のドアを開ける。

「ただいま」

 返事は返ってこず、しんとしている。あれっおかしいな。誰もいないのか?

 玄関から美術館並みに絵画が飾られた廊下を通り、突き当たりの階段を登る。白いふわふわ毛並みのマットが敷かれた階段は一切の音をかき消してしまう。思春期男子にとって、これは死活問題だ。

 そうして二階へと上がと、真っ先に目に付いたのはドアにかけられた。[製作中]という横書きプレート。

「そういうことか」 

 俺は自分の部屋に荷物を置いて、そのまま脱衣所へと向かう。入口に[入浴中]のプレートをかけ、カギを閉める。これのお陰で、お色気ハプニングが起きないのだ。何とも性教育によろしくないお家だこと!

 冗談はさておき、脱いだ服をドラム式洗濯機に投げ込む。

 脱衣所とは言ったが、もはや銭湯のそれである。大きさはワンルームくらいで、洗面台は二つ分の大きなやつだし。羽なし扇風機に、体重計(身長も測れるやつ)が置いてある。浴室は家族四人全員で入っても、余るほど広くバスタブはジャグジー付きである。


 ここまであからさまに金持ちアピールしているが、入浴剤は一般的なものを放り込む。そして段々とレモン色に染まっていく。

 俺は体と頭を洗った後、ちょうどよく広がったレモン色のお湯に、ゆっくりと入る。

 葛葉さん、何で俺のこと知ってたんだろう? 海外旅行はよく行ってたし、アメリカには、ちょっと友達家に遊びに行く感覚で行ってたな。お陰で英語が堪能になった。

 同年代の友達は、できなかったし、そんな暇なかったていうのが正解かな。

「さてそろそろ出ますか」

 ここまで、約十五分。脱衣所に戻りバスタオルで体を拭いて、ドライヤーで髪を乾かす。そして着替えを……あれ、服がない。正確には洗濯機の中に制服があるんだけど、着直すの面倒くさいしな。スマホは、バックの中にある。……仕方ない。

「綾乃、ちょっと良いか!」

 しばらくすると、軽く足音が聞こえてきて、女の子らしからぬ艶のある声が響く。

「兄さん、どうかした?」

「綾乃、悪いが俺の部屋からパジャマ取ってきてくれないか。ついでにスマホも」

「私、今、夕飯作ってるんだけど」

「俺の貞操がどうなってもいいのか!」

「兄妹なんだから、問題ないでしょう」

 それを言われると何も反論できないが、全裸で豪華な家の中を歩き回れというのか。

「それとも、自信ないの?」

 煽り気味に聞いてくるのが腹立つ。

「何が、自信ないって?」

「ソーセージ」

 やっぱりそっち系か。こいつには女子としての自覚があるのか?

「ソーセージ? 一体ナニを言っているんだ?」

「もしかしてまだ、亀さん出てきてくれないのかなあ?」

 男のプライドを侮辱するのもいい加減にしろ。その勢いで思わず引き戸を開けてしまった。

 そこには、しゃがんだまま、ニヤついた妹の姿があった、Tシャツの間から胸の谷間がチラ見えしているが、そんなものには気も止めず。

 パオーンという効果音の代わりに、鼻で笑いながら一言。

「黙れ小象」

 そういう例えは怒られるかもしれないので、やめましょうね。結局、パジャマとスマホは、自分で取りに行く羽目になってしまった。


 リビングには、ソファーとローテーブルそしてダイニングテーブル、壁掛けテレビと、ミニマリストばりに物が少ない、まぁ、なぜが、パーカウンターがあるけど。 あとは庭に出れる大きな窓と思わず見上げてしまうほどの高い天井くらいか。

「今日はミートパスタか」

「あっ象さん」

「やかましい!」

 俺は妹の向かい側に座り話を続ける。

「今日は、官能小説でも読んだのか」

「まぁ読んだことはあるけど……」

 いつの間にか妹が汚されていた。おいおい、待て待て! 妹はまだ中三だぞ! 誰が売りつけやがった。

「嘘って言ってくれえ……」

「兄さんも早くこっち来なよ。貸してあげるからさ」

「よしっ 話題を変えるぞ! さっきまで何作ってたんだ」

 俺は妹の性癖を知りたいと思うほど、変態でもない。

「小説の挿絵を書いてただけだよ」

「まさか官能小説に挿絵を⁉︎」

「話題変えるって言ったのそっちでしょう」

 そう言って文庫本サイズの挿絵を俺に手渡す。良かった普通の絵だ。

「おおっ今回も完成度高えなおい!」

「ありがとう。でも本当に脱下ネタしようとしてる?」

「脱ぐ下ネタなら、さっきやっただろう」

「はい、はい、分かりました。で感想はないの?」

「相変わらず、かっこいいイラストだなと」

「それだけ?」

「だってこれ、お前がネットに投稿してる小説の挿絵だろう。読ませてくれたことねえから、分かりません」

 と口では言っているが、綾乃が読ませてくれないのであって、読んでいないとは言ってない。

 この絵に描かれている子は、小説の主人公である妹キャラでもちろんブラコンだ。

 綾乃はラノベ作家志望で、イラストの腕はプロ並み。だから文庫本にもない。カラーの挿絵ができる。しかもラノベで女の子が主人公というのも珍しい。

 そして何を隠そう。こいつもブラコンなのである。いやいや本当だよ? 本人は隠しているつもりらしいけど。小遣い稼ぎにやっている動画投稿でブラコンって言われてるし、本人も認めてるから、間違いない。

「強いて言うなら、お前に似てるってことかな」

 綾乃は手元のメモ帳に俺の言葉を書いていく。

「それって、褒めてるの?」

「褒めてるぞ。そりゃもう自画像レベルだ」

「なんか良い気しないなあ」

 続けて俺は素人なりのアドバイスをする。

「特徴がない上に表情が固い」

 シャーベンの芯がピキッと折れる。

「その子は……クールな子でして」

「もしそうなら、せめて澄んだ目で、微笑ませてみろよ」

 この絵がどんな場面なのかは知らんが、確かにこの少女は、クールなキャラだ。黒髪ショートでボーイシュな服を着ているのは、綾乃そのもの、こいつも、あまりかわいいものを好んだり、人に媚びたりしない性格なので、そう言ってしまうのは分かる。

 しかし、そもそもこの作品は、そのクールな妹が兄に好かれるために、兄の思い人に弟子入りして女子力アップを目指す話のはずだ。いつ聞いても、とんでもない設定だな。自分で言っててすげえ恥ずかしい……

 ごほんっ! にもかかわらずだ。物語も本筋に入ってかなり経つと言うのに、挿絵がクールな妹しかないのは問題だと思う。もちろん他のキャラも描いているるが、イマイチかわいさが伝わって来ない。

 読者も話の内容にばかりコメントをしている。それがまた評判良いから余計もったいない。 小説家志望としてはそれが本文なんだろうけど、兄さんとしては絵の方にも注目してもらいところだ。

「まぁ、とにかくだ。絵のタッチは悪くない。もう少し表情豊かにした方が良いぞ」

「表情を描き分けるの苦手なんだよね」

「鏡を見てスケッチって言っても、お前の表情が乏しいからな」

「一応、他の絵師さんの絵は模写してるんだけどなあ」

 自分の表情が乏しいことは認めてるんだな。俺も絵に関しては、素人だし、大したことは言えないが、こいつの、努力するのが当然だと思える精神はきっと誰にも真似できることじゃない。

「イラストの書き方の本とか読んでるんだろう」

「うん、だけど理屈で説明されても、筆が乗らないからさ」

 何なんだこいつは、さっきまでクールなキャラでしてとか言い訳がましいこと言ってたくせに、こういう時は先手打ってるよな。

「まだこの子が笑ってくれるか分からないし」

「それ先に言えよ」

「でもこの子、私のお気に入りだし」

 主人公だから当たり前かもしれないが、俺からしたらナルシスト発言にしか聞こえないぞ。

「じゃあ、あれだ。他の誰かに描いて貰えよ」

「それは、ヤダ」

「自分は人の絵真似しといて、お前は頑固な父親か」

「父親みたいなものだからね」

「父親ってのは、娘の笑顔を見たがるもんだろう」

「そうなの?」

「真剣な顔して打ち返してくるな!」

「そういうもんなの?」

「少なくとも、俺はそうだぞ」

 我ながら、恥ずかしいことを言ってしまった。

「ありがとう、兄さん」

 暖かく透き通った声、パステルカラーの背景が目に浮かぶ。俺はとっさにスマホのシャッターを切る。

「ほらっこれが笑顔の表情だ」

 そう言って綾乃に一枚の写真を送る。瞬間、綾乃のスマホが震えた。

「自分の顔を見てデッサンするのはちょっと……」

「何を今さら、さっさと食器片付けて勉強するぞ」

「今日もよろしくお願いします。先生!」

 あざとかわいい……!

 ダイニングテーブルに、教科書、ノート、筆箱を置いて、今度は隣同士に座る。今からやるのは高一の範囲で、俺にとっては復習、綾乃にとっては予習になるという一石二鳥のお勉強タイムだ。まぁ最近は綾乃のほうが賢くなってるけどな。

「やっぱり、お前って小説家志望なのか」

「そうだけど、急にどうしたの?」

 迷いなく言い切ってしまえるのが、羨ましい。

「せっかくそういう話をしてたし。お前も今年受験だろう。だから改めてっていうか」

「何しんみりしてんの? らしくないよ。何かあったの?」

「あったといえば今日、転校生が来た」

 ラブレターの件もあるがそれは黙っておこう。

「転校生ってどんな子⁉︎」

 綾乃は身を乗り出して食い気味に聞いてきた。そんなに気になるのか。

「アメリカからきた女の子で、名前は葛葉花音」

「アメリカ!どこの州から来たの?」

「いや、そこは聞いてない」

 まずアメリカから来たってことに驚くべきだと思うが、俺達にとっちゃ第二の故郷みたいなとこあるもんな。

「じゃあ体重何キロ?」

「デリカシーのカケラもないな。安心しろ美少女だ」

「うわっキモ⁉︎」

「おいつ! 美少女だからって嫉妬するじゃないぞ」

「兄さんがキモいんだよ」

「知ってるよ!」

「で、他に情報ないの?」

「俺に惚れてるかもしれない」

「そういうの良いから」

 この目は、あれだ。酒に酔って調子に乗って娘にダル絡みしてきたお父さんを見る目だ。

「だいたい転校初日に惚れられるわけないじゃん」

「そうだよな」

 でも昔会ったことはあるっぽいんだよな。俺のこといきなりあだ名で呼んできたし。ダメだ。全然思い出せねえ。

 本人に聞くにしても、だからどうしたってなるよな。それでもし会ってたとしたら気まずくなるだけだろうし。

「まぁとにかく、あまり入れ込まないようにね」

  妹にそんな忠告をされるなんて、情けない兄さんでごめんな。今度は成功させるから応援しててくれ。

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