第4話『逃げ回る天才』

 土曜日の朝。

 日々の疲れを癒すため、休日は目覚ましをかけず、自然起床を心がけている俺は今日インターホンの音に起こされた。


 時計を見ると針は九時を少し過ぎたところを指していた。

 平日の俺ならとっくに起きている時間。自然に起きても本来は二度寝する。


 けど、出ないわけにはいかないので半目で重い体を起こす。

 欠伸をしながらインターホンの場所へと向かう。


 俺のマンションはエントランスにオートロックがあるため、映像が映るとしたらまずそこだ。

 でも今回のインターホンは違う。俺の部屋についているインターホンが押された。つまり押したのはマンションの住人。


「……はーい」


 押した相手はなんとなく予想がついている。


「開けてー」


 この聞き慣れた声は相変わらず生気を感じない。インターホンのカメラを手で隠しているが、誰かが来たかはこの特徴的な喋り方から容易に予想ができた。


 面倒くさいと思いつつも、無視する訳にはいかないので玄関まで向かう。


「なんの御用でしょうか、先輩」

「凪斗の家に缶詰、しにきた」

「いやいや、土曜日の朝ですよ。世間一般の学生は休日っていうんですよ、わかりますか? 缶詰ならホテルでやってくださいよ」


 そう言って、俺はそっと扉を閉めようとする。

 だが、詩葉はそれを許すわけもなく。扉は閉じる寸前で止まった。


「凪斗、詩葉は仕事なの。少しだけ匿って」

「今匿ってって言いましたね。また山田さんに原稿の催促されているんでしょう。……嫌ですよ、僕まで怒られるの」

「そこは大丈夫、先輩として怒らないように注意してあげる」

「何を他人事みたいに……」


 呆れたように、俺はため息を吐いた。

 缶詰とは簡単に言えば、作家に仕事を早く進めさせるために編集者が取る最終手段。


 詩葉の所属するレーベルでは基本的に缶詰場所はホテルらしいが、詩葉の場合は俺の部屋が一番居心地がいいらしく、こうして山田さんに追われている時は俺の部屋へと逃げ込もうとする。


 さらには山田さん曰く、ホテルより俺の部屋の方が執筆速度は上がるらしい。

 多分山田さん的には、経費も使わない上に、監視役の俺がいるこの部屋の方が良いんだろうな。



「一応山田さんにも連絡しときますよ」

「うぅ、山田こわい……」

「呼び捨てって……」



 仲がいいのか悪いのか。

 こんなレーベル内トップクラスの問題児を抱えて、デビューからずっと担当してるんだから、山田さんはきっとすごい人なんだろうな。


 いつも世話を焼いてる俺が思うんだから間違いない。それに仕事になると、詩葉はさらにだらしなくなる。


 仕事の世話か……考えるだけでお腹が痛くなってくる。


「とりあえず入っていいですよ。あ、ちゃんと仕事しなかったら追い出しますからね」


 詩葉は適当に頷くと、靴を脱いで遠慮なく入ってきた。

 夕食はいつも俺の部屋で食べている。この場合は遠慮がないというより、慣れすぎてもはや自分の部屋のように感じているだけだと思うけど。


「朝飯は食パンでいいですか? あ、そういえば先輩パン嫌いでしたね」

「凪斗は詩葉のことよく分かってるね、えらいえらいする」

「そういうの大丈夫なので早く原稿進めてください!」

「むぅ、日に日に凪斗が山田みたいになってきてる」


 まぁ内容で言えば、俺がやってる事と山田さんがやってる事は似ている。内容が違うだけで、どちらも詩葉の世話をしているようなもの。


 適当に詩葉を催促した後、俺は山田さんにメッセージを送る。

 返事はすぐに来た。


 頭を下げる犬のスタンプと同時に、『夕方には一度顔を出せると思いますので、すみませんがそれまで先生をお願いします』と丁寧な文が添えられいる。


 もちろん山田さんの担当は詩葉だけではない。一日中忙しそうなのも仕方ないだろう。

 だからこそ、詩葉はあまり山田さんに苦労をかけないであげてほしい、っていうのが俺の感想だった。



「ご飯はいい。とりあえず凪斗の寝室を借りるけど、いい?」

「まぁいいですよ。またお腹減ったら言ってくださいね」


 俺の部屋は2LDKだ。一つの部屋を使われようが、まだ部屋は余っている。

 とはいえ、寝室を使われて落ち着いて二度寝できない。


 俺は暇なのでリビングでスマホゲームすることにした。



 それから時間は過ぎ、気付けば時刻は十二時ちょっと前になっていた。

 寝室を覗くと、いつもの詩葉とは明らかに違う詩葉がそこにいた。


 集中力は一向に途切れることなく、タイピングする手は休まず動き続けている。

 考えることなく、直感でそのまま書いているのが伝わってきた。


 何度か見たことはあるが、正直何回見ても詩葉の本気モードには驚いてしまう。

 正真正銘の『天才』が、自らの書く物語に目を光らせていた。


 すごく楽しそうな詩葉を見て、俺はオムライスを作りにキッチンへと向かった。


 結局詩葉は昼ご飯を食べることなく、そのまま書き続けた。

 その手を止めたのは山田さんが来た夕方の五時頃だった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「ほんっっっっとうに! 白柳くんには感謝してます!」


 玄関を開けると、大きな声で感謝の言葉を述べてきたのは詩葉の担当編集者、山田さんだった。


『もうすぐ着きます』と、律儀に連絡をくれてから五分後、うちにやってきた。


「これ! 心からのお品物です!」


 渡された袋を見て、中身は予想出来た。

 駅前に最近できた洋菓子店。そこの超人気バームクーヘンだ。


「あ、あはは。ありがとうございます、いつもお疲れ様です。どうぞ、上がってください」

「はい、すごく疲れてます……特に『怪獣』先生には……白柳さんこそ、いつもうちの先生をありがとうございます」

「踏んだり蹴ったりではありますけど、乗り掛かった船ですしね〜」


「「あはは〜」」


 お互い謙遜はない。

 だってお互い詩葉のことを知っているから。

 苦労している者同士、そこら辺はしっかり理解し合っていた。


「それで先生はどちらに?」

「あぁ、そこの部屋です。奥の部屋がリビングなので、先輩との話が終わったら来てください。お茶を用意しておきます」

「うぅ、これが今の男子高校生。女の私より生活力&気遣い力がある……」


 廊下を歩きながら、後ろで山田さんが何か涙目になって呟いてるけど聞こえなかった。

 山田さんは寝室に入っていくのを見送って、俺はリビングへと向かった。



 十分くらいか。

 心なしか上機嫌の山田さんと、どっと疲れた顔をした詩葉がリビングに入ってきた。


「お疲れ様、先輩。お茶入れてますよ。あ、山田さんもこちらへどうぞ」

「ありがとうございます、白柳さん!」


 席に着くと、山田さんは俺が入れたお茶を口にした。

 詩葉は俺の隣に座った。


「疲れたぁ……詩葉を癒して、凪斗ぉ」

「頑張りましたね! 本気モードの先輩相変わらずかっこよかったですよ」

「ほんとぉ〜?」

「ほんとほんと。ご褒美にアイス買ってあるので、持って帰っていいですよ」

「んーっ! 凪斗は天才!」


 天才に天才と言われてしまった。

 まぁアイスのおかげだろうけど。


 とはいえ、よくこの時間まで休むことなく書いていたな。トイレの音すらしなかった。


 本当に、すごい集中力と持続力。普段の生活でもそれを持ってくれていたら……いや、もしそうだとしたら、この『天才』は生まれていないかもしれない。


「原稿は進みましたか?」

「はい! もうすごく進んでました! これなら締切日よりも早めに終わりそうです!」

「おお、本当ですか!」


 俺も詩葉の新刊を楽しみにしている一読者でもある。好きなラノベの新刊が出るのはやはり嬉しいものだ。


「あ、よかったら山田さんもご飯食べていきますか? 仕事終わってから来たと思うので、多分お腹減ってますよね」

「え、ご飯まで作ってくれてるんですか!?」

「そんな本格的なものじゃなく、昼間に作ったオムライスですよ。多めに作ったので、もしよければと」

「うぅ、白柳くんが高校生じゃなかったら今頃結婚を申し込んでるかもぉおおおお」


 山田さんのオーバーリアクションに、俺は思わず苦笑いする。

 山田さんの年齢は二十代後半だとかなんとか……先日親友が結婚したらしく、ここ最近このような発言をよくしている(※詩葉情報)


「山田、男子高校生を狙うのは犯罪」

「いいですねー、若いって」

「あはは、山田さんもまだまだお若いですよ、俺の同級生って言っても通用するんじゃないですか?」

「お世辞もうまいなんて……」

「なに、凪斗。山田のこと狙ってる??」


 まさか。

 こういう人は自己肯定感が低くなるってよく聞くしな。身近な人間が褒めてあげるのが一番効果的と心理学の専門書に書いてあった。


 ジト目の詩葉を宥め、俺はキッチンへと行く。

 ラップしておいたチキンライスを炒め、冷蔵庫から卵を六つ取り出す。



「二人とも、オムライスはケチャップでいいの? 一応ソースもあるけど」

「詩葉はケチャップ」

「あ、マヨネーズあるなら私はマヨネーズだけで!」

「わかりました」



 今日はなんだか賑やかな夕食になった。

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