第2話『天才はだらしない』
家についた俺は急いで自宅の鍵を開ける。
カバンからカードケースを取りだし、黒い機械部分にかざす。中でガチャッという音が鳴った。
その音で俺の帰宅に気付いたのか、隣の部屋の扉がそっと開いた。
「ごはーん……」
間から顔を覗かせるのは黒色のパーカーに身を包む白髪の少女だった。フードには猫耳まで着いていて可愛らしい。パッと見小学生らしい容姿をしているが、これでも俺の歳と一つしか変わらない。なんなら先輩である。
先程まで寝ていたのか、半目で欠伸しながら呟く。
はだけたパジャマからは肩が露出しており、男の俺を前にしてもその無防備さを正すことはない。このだらしなさが、この子の大きな特徴でもある。
「あぁー、ご飯はもう少し待ってくれ。推しが今から配信するんだよ」
「むぅ……詩葉の命より推しを優先するのかぁ〜」
「ご飯くらい自分で作れるようになりましょうね、先輩」
俺の言葉に不服そうな顔を浮べる。
少女の名前は黒ヶ咲 詩葉。平たく説明すれば、この子は『天才』だ。職業はラノベ作家。引越しの挨拶の時に本をもらった。
読んで一週間は思い出し泣きするくらいには、感動した。
このアパートに引っ越してきたのはちょうど二ヶ月前くらい。
別に転校生というわけではなく、ここから程近い実家から引っ越してきただけらしい。
理由は執筆に集中したいから。
学校に来ることは少なく、生活力が全くと言っていいほどない。掃除も料理も、太陽の出ている間は外にすら出たがらない。
そんな『天才』=『変わり者』の世話を俺がしている。
まぁ世話と言っても、夕食を作ったり、週一で部屋の掃除をしに行ったり。過保護な母親のような関係性だ。
「今日のご飯はなに」
「まだ買い物に行けてないからなんなりと、お嬢様」
「じゃあハンバーグがいい。それと、詩葉もあとで一緒にスーパー行く」
いつも外に出たがらない省エネ人間が、自ら外に出ると言い出した。
どんな風の吹き回しなのか。俺は思わず驚きで口を覆う。
成長を目の当たりにできた我が子を見るように。
「珍しいな、自分から外に出たいと言い出すなんて……詩葉も成長したなぁ!」
「これでも歳上、もっと敬って」
相変わらず不機嫌そうに。
でも心なしか、ドヤ顔で詩葉はドアの奥の闇へと消えていった。
詩葉の部屋は常に暗い。自称節電らしいが、目が悪くなるからできればやめていただきたい。
何度注意しても聞かない。まぁ小説を書く環境は人それぞれらしいから、下手に注意できないが……。
「あ」
俺は本来の目的を忘れていた。
時計を見ると配信まで三十秒くらいだった。
ドアを開いて、駆け足で自室のPCへと向かった。
着替える時間すら惜しい俺は、制服のままその配信を見ることにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「凪斗、ずっとにやにやしてる。推しの新衣装、そんなに可愛かったの?」
「まじで可愛かった。何百枚スクショしたことか……是非、先輩にもレーナお嬢様を布教したいですよ」
一時間半くらいで配信は終わった。
時間も時間だったので、俺は制服のまま、詩葉とスーパーへ来ていた。
詩葉に口元が緩んでいるのを見られた。そんな気持ち悪い人を見るような顔をされても仕方ないだろう。あの可愛さ、思い出すだけでにやけてしまう。
「それより先輩、今日は小説書いたんですか。この間林田さんに原稿急かされてましたよね」
「ぎくっ……」
「そんな露骨に目を逸らさないでください。一応俺も山田さんに頼まれてるんですよ、先輩のこと」
山田さんは詩葉の担当編集者だ。詩葉を急かしにマンションまでよくやってくる。
詩葉が引っ越してきてまだ二ヶ月だが、多分五回以上は来ていると思う。
そんなイベントが隣で頻繁に行われているということもあり、山田さんとは俺も顔見知りだった。
いつもスーツを着ていて、如何にもキャリアウーマンって感じが山田さんに対する第一印象だった。
今となっては詩葉に振り回され、憔悴しきっている顔の印象しかないが。
そんな山田さんに、俺は世話役兼監視役を頼まれている。原稿の催促や、挙句には健康面の管理まで。あらゆる面倒を、悪く言えば押し付けられている。
だからというわけではないが、よく手土産をくれる。自分では買わないであろう、少し高級な洋菓子だ。
「で、本当は何してたんですか? 正直に言わないと人参買っていきますよ」
「それはぁ! ……寝てた、寝てましたよ。書こうとは思ったんだよ? でも筆が進まなかったの」
「まぁそこらへんはあんまり分からないんで何も言えないですけど、とりあえず頑張ってください。ちゃんと書けたらハーゲンナッツ買ってあげますよ」
「え、ほんと!?」
その喜ぶ表情は五歳児の様だった。
まぁ、何がともあれやる気が出たようなのでいいとする。少しお高めのアイスなんかで原稿の執筆速度が上がるなら安いもんだ。
「そんな世話焼きの後輩くんも、友達はできたの? 先輩すごく心配だよぉ」
「いやいや、今更そんなものできま……せんよ」
「んー、なに今の。何かあったのか!」
「ほ、ほんとに何もないですよ。そんなことより行きましょう。もう閉店前の音楽流れてますよ」
友達はできていない。今更作ろうとも思わない。
けど友達ではなく、謎の関係は確かにできた。
あれを詩葉に言うとしたら、どう説明したらいいんだろうか。
学校一の有名人に催眠術をかけられて、連絡先を交換して、また催眠術をかけられる約束をして…………。
謎だ! まったく理解できない!
今一度脳内で整理してみたが、我ながら理解できないこの関係性。
詩葉との関係性も不思議だが、俺と九重さんの関係性は不思議を通り越して謎だ。
「凪斗は演技が下手だからなぁ〜、何か隠してるのばればれだよ。……おんなか! 女ができたのか!」
「僕が彼女なんかできるわけないでしょう。仮にできてもその恋愛感情はあっちの勘違いだと思いますし、どうせ振られますよ」
「むぅ、凪斗はそのネガティブな性格を直した方がいいと思う」
ネガティブというか。
これは事実だ。今までの人生の経験から得た答えなのだから。
「じゃあ先輩はまず人参を食べられるようになりましょうね」
俺は無慈悲に、目に入った人参をカゴに入れる。その様子に、詩葉は涙目で反抗する。
「やっ、やめ……人参だけはぁ……」
「ダメです、野菜の栄養もちゃんと取りましょう。ちゃんと食べると約束するなら二百円分のお菓子だけ買ってあげますよ」
「えっ、それは悩むぅ……」
数秒の熟考の末、詩葉はお菓子コーナーへと行った。
そして三十秒くらいで帰ってくると、
「人参、食べる……」
もうこの人、小学生だろ……。
ランドセルを背負っても違和感ないであろう萎れた詩葉の後ろ姿を見て、俺は小さく微笑んだ。
子供が出来たらこんな感じなんだろうか。
……悪くないな。
俺はありもしない未来に感心するのだった。
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