第3話

 思いもよらぬ唐突さで、別れは訪れる。あまりにも長い時間を一緒にいすぎてしまったのだと思う。砂原の劇団は売れに売れた。砂原個人も作家、演出家、俳優として高い評価を得た。砂原はきちんと研究生としての期間もまっとうし、某有名劇団の正式な劇団員となった。砂原からは定期的に台本を読んでほしいと依頼された。私にできることなど特にないというのに、彼は「読んだよ、だけでいいから」と新作を書き終える度に時にはデータで、時には紙の本の形で自分の作品を私のもとに持ち込んだ。

「読んだよ。今回も良かったよ」

 私は定型文を返すロボットのようにそう返事をし続けた。実際、良かったのだ。砂原は天才だから。


 ある時。ぱたりと砂原からの連絡が途絶えた。私は研究室での仕事が忙しかったし、砂原は友だちだが砂原の劇団には興味がなく、最近は映像作品なんかにも出ているというから忙しくしているだけだろうと思って気にも留めなかった。


 訃報が入った。

 誰の? 砂原美央みおの訃報だ。決まっているだろう。


 雑誌にもテレビにもSNSにも流れる前に、砂原の劇団の人間が知らせてくれた。スマホのディスプレイに浮かび上がる知らない11桁の番号と、狭野さんですかという聞き覚えのない声にああ悪いことが起きたのだと私はその瞬間腹を括った。


 砂原の葬儀は、近親者だけで行った。近親者というか彼が所属していた劇団と、彼が作った劇団それぞれのメンバーと、そして私。それだけ。砂原と砂原の両親をつなぐすべての書類や書面はもはや無意味なものになっていた。私がそうした。砂原に頼まれたのだ。俺法律のこと分からないんだけど、俺は俺としてだけ生きていきたい。どうしたらいいか教えてくれる? 砂原。おまえはとっくにおまえとしてだけ生きていたよ。


 遺骨はふたつの劇団の代表者と、私が預かることになった。


 焼かれて小さくなってしまった砂原。マスコミには明日連絡すると砂原が所属していた方の劇団の年嵩の男性が言っていた。そういえばこっちの劇団では砂原はおもに俳優として活動していたんだっけ。一度も見たことなかったな。ドラマや映画も見たことない。私は砂原美央本人と、彼の書いた物語しか知らない。

 今にも雨が降り出しそうな、陰鬱な曇天の下を駅に向かって歩いた。砂原を抱えて歩いた。途中、踏切を渡ろうとしたら遮断機が降りてきた。足を止める。


 砂原は病死だった。それもひとつの病に長く苦しんだとかそういうのではなく、本当に突然、本人もびっくりするような急死。唐突すぎてどうしたらいいか分からないね、と火葬場で、年嵩の男性が私に話しかけてきて、私は少しばかり驚いた。

「狭野さんでしょう」

 名を呼ばれた途端挙動不審になる私に男性は少し笑い、それから自身の名を名乗り(私でも知っている有名な俳優だった、喪服を着ているとこうも印象が変わるものなのか)、

「砂原が言ってましたよ。自分に演劇を与えてくれたのは狭野って男だって。俺の神様だって」

 神様。


 私がおまえの神様だったら、おまえをこんな風に逝かせたりしなかったよ。


 遮断機が降り切って、少し跳ねる。もう数秒も立てば電車がやってくる。なあ砂原。おまえを抱えたままここに飛び込んだっていいんじゃないか? 私はおまえの神様なんだから、それぐらいしたって許されるよな?


「バカじゃん! だめだよー!」


 声がした。ような気がした。

 抱き締めていた骨壷から視線を上げる。電車が私の、私たちの前を走り抜ける、瞬間、


「美央!」


 学ラン姿の砂原美央が確かにそこにいた。

 満面の笑みで、手を振っていた。


「楽し、かった、よー!!」


「狭野はるか! 俺の、神様!」


 聞こえた。ばか。そんな大声で神様なんて、言うんじゃねえよ。


 砂原美央の台本は今でも色々な劇団によって上演されているのだという。砂原が立ち上げた劇団による追悼公演に足を運びはしたが、舞台の上にも外にも砂原がいない公演は退屈で、私はすぐに劇場を出てしまった。私が演劇に関わることは、もう二度とないと思う。


 おしまい

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流れ星と神様 大塚 @bnnnnnz

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