第4話 花頼友子の献身

「ねえ、花ちゃん」

 と経理の牧田まきたさんが声をかけて来た。


「はい、何ですか?」

 と私が応えると、牧田さんはニヤニヤしながら


「花ちゃんってさぁ、なんだか最近、オシャレする様になったよね」

 と言った。


 今日は11月21日の金曜日。

 今は12時45分で、さっきまで会社のデスクでお弁当を食べていたところだ。


 社長は来客とランチに出かけたので、あと30分は帰ってこない。

 事務長の入江さんもハローワークに雇用保険の手続きに出かけたので、しばらく帰って来れないだろう。


 営業は全員が外回りをしているので、今は経理の牧田さんと私しか居ない。


「そう見えますか?」

 と私は訊いてみた。牧田さんは、


「見えるわよぉ。吉田君なんて事務所に居る時は、いっつも花ちゃんの事チラチラ見てるのよ?」

 と言いながら、またニヤニヤして「もしかして、吉田君にアピールしてるの?」

 と訊いてきた。


 私は首を横に振って

「いえ、全然そんな事考えてませんよ。ただ、秋になったから、秋らしい服を着ようと思っただけですよ」

 と言ったけど、牧田さんはあまり納得していない様子だ。


「そうかなぁ・・・、でも、ぽっちゃりさんも花ちゃんの事をジロジロ見てる事があるから気を付けた方がいいわよ?」

 と牧田さんは言った後、フフッと笑いながら首を横に振って、「まぁ、あのぽっちゃりが花ちゃんに何かするとも思えないけどね」

 と言いながら、人を小馬鹿にするような態度でカラカラと笑った。


 まただ。

 帆地槍ほちやりさんが居ないと、みんな彼の事を見下した様な事を言う。


 私が好きな帆地槍さん。

 いつも一生懸命に頑張っていて、私の幸せをいつも願っていてくれる人。


 そう、私の恋人になった人だ。


 親子ほどに歳も離れてるし、元々は恋人になって欲しいと思っていた訳じゃなかった。

 ただ、帆地槍さんを見てると何か安心感があって、男の人が恐いという気持ちも帆地槍さんには感じなくて、そして帆地槍さんの目を見ていると、まるで包み込まれる様な感じがして・・・。


 そう、まるで優しいお爺ちゃんと居る様な気持ちだったんだと思う。


 でも、8月に初めてデートをした時、そんな帆地槍さんが、私の心を見透かすかの様に・・・、いや、あれはそんなんじゃ無かった。


 帆地槍さんは、私の心を優しく抱きしめてくれていたんだと思う。


 だからあの時、私の心が帆地槍さんを求めたんだ。


 あの時に私が言った「帆地槍さんとなら、恋人同士でもいいかもって、今は思います」という言葉に、帆地槍さんは驚いていたけど、その後は一生懸命に私への気持ちを伝えてくれた。


 私がコーヒーを淹れた事への感謝。私が帆地槍さんに挨拶をした事への感謝。私の幸福をいつも願っていた事や、自分自身が不器用である事を吐露しながら、涙を零して、それでも一生懸命に自分の言葉をつむいでくれた帆地槍さん。


 その気持ちはとても純粋で、まるで少年の様でもあって、だけど、涙を流しながら帆地槍さんが言った「僕は・・・、花頼さんの・・・恋人になってもいい人ですか?」という言葉を聞いた瞬間に、私の心の中で全てが繋がった。


 そうか、私は帆地槍さんと恋人になりたかったんだな、と・・・


 だから私はあの時、とても素直に言えたのだ。「私の、恋人になって下さい」と。


 私の身体をいやらしい目で見ている男の人とは違う、表面的ではない、もっと心に触れる様に接してくれて、私の心を抱きすくめてくれた帆地槍さん。


 社長はよく帆地槍さんに声を掛けるけど、あれは雇用主として最低限の会話。

 裏では「あいつは簡単な仕事しかできねーからよ。だけど、真面目に仕事はするから、辞めさせられねーんだよ」などと言っていた。


 山本部長は「顧客の評判は悪くないけど、大手企業の相手は出来ないからね。将来性は無いと思うな」と言っていた。


 吉田君は「え、なんかぽっちゃりさんが居ると暑苦しくないですか?」などと言っている。


 事務長の入江さんは「まあ、会社に貢献して無い訳じゃないし、どうでもいいんじゃないの?」

 と興味さえ無さそうだし、経理の牧田さんは「ぽっちゃりにはいつもボーナス払って無いんだよ。だから花ちゃんも、ボーナス貰った話はしちゃ駄目だよ」と言っている。


 どうしてそんな風になるの?


 私なんて、ただの事務員だ。


 雑用しかしていないのに月収25万円でボーナスを含めれば年収は375万もある。


 一人暮らしが出来る程ではないけれど、いつか経理の牧田さんが見せてくれた給与リストを見たら、帆地槍さんのお給料は毎月23万円でボーナスも無いという。


 年収で276万円。毎月の手取りで18万円。帆地槍さんの成果を考えれば、どう考えても安すぎる年収だ。


 それでも文句も言わず、一生懸命に働く帆地槍さん。


 みんなが貰っているお給料の一部は、帆地槍さんが貰うべきお金だ。


 だから私は思った。

 ちゃんと帆地槍さんに還元しなくちゃいけないと。


 休日出勤がある時は、いつも帆地槍さんにやらせてばかりで、みんなは休暇を楽しんでいる。


 ならば私も帆地槍さんを手伝わなければならない。


 そして、帆地槍さんにもちゃんと休んでもらって、私が帆地槍さんをねぎらうんだ。


 そんな事を考えて私は社長に言った事がある。


「社長、私も帆地槍さんの休日出勤を手伝わせて下さい」

 と。


 社長は「そんな事しなくていいよ」と言ってたけど、私が「もっと仕事を覚えたいので」と食い下がったら、「わかったわかった」と言って、帆地槍さんと一緒に休日の仕事をさせて貰える事になった。


 そして、私が帆地槍さんの代休申請をして、帆地槍さんと同じ休日を過ごせる様にした。


 この会社には、良識人の皮を被った汚れた大人ばかりがいて、曇りの無い澄んだ心の持ち主は帆地槍さんしか居ない。


 私も心に傷を負っていて綺麗なんかじゃないけど、帆地槍さんを便利な道具みたいに扱ったりするような、腐った人間には成りたくない。


 家だってそうだ。お父さんも腐ってるし、それを放置しているお母さんだってどうかしている。そして、そんな環境から抜け出せない私もやっぱり何かがおかしい。


 みんなは帆地槍さんを精神障害者だと言って酷い事をしているけど、本当に精神障害を持っているのは、私や周りの大人達の方だ。


 むしろ、本当の人の心を持っているのが帆地槍さんだ。


 だから私は帆地槍さんに何かを与えられる様になりたいんだ。


「どうしたの? 花ちゃん」

 と牧田さんが私に訊いた。


「なんだかボーッとしてたわよ?」

「あ・・・、すみません。ちょっと考え事をしてました」

「もしかして吉田君の事?」


 そんな訳が無いでしょう。


 という言葉をなんとか飲み込んで、


「全然違いますよ」

 と言って席に着いた。


 その時、オフィスの扉がガチャリと開いて、社長が帰って来た。


「ふう、この格好だとちょっと寒かったな!」

 と社長は両手でワイシャツだけの上半身をさすっている。


「花頼君、ちょっとコーヒー淹れてくれる?」

 と社長が言った。


「はい」

 と私は立ち上がり、給湯室に行って、社長用のコーヒーカップにコーヒーを淹れて、社長のデスクまで持っていく。


「どうぞ」

 と言ってカップを社長のデスクに置いた。


「おお、ありがとう」

 と社長は言って、コーヒーをすすり、「やっぱり花頼さんが淹れるコーヒーは旨いね!」

 と言って笑っている。


「どういたしまして」

 と私は無表情で応えた。


 その時、オフィスの扉がガチャリと開き、帆地槍さんが帰って来た。


「ただいま帰りました」

 と帆地槍さんがバッグのストラップを肩から降ろしてデスクの上に置く。


「おう、ご苦労さん!」

 と社長は声をかけるけど、牧田さんはPC画面を見ているだけで無視をしている。だから私は

「お疲れ様です!」

 と出来るだけ元気な笑顔で声を掛ける。


「あ、お、お疲れ様です!」

 と帆地槍さんが私の声に反応して、とても嬉しそうに応えてくれる。


「あ、あの、お得意先のB商事さんから、沢山の注文がありましたので、商品の手配を下の階でお願いしてきます」

 と帆地槍さんが言って、バッグから分厚い注文用紙の束を取り出している。


「あ、お手伝いしますよ」

 と私が言って、帆地槍さんの元へと駆け寄る。


「おお、じゃあ下の階で手配を頼んでおいてくれ」

 と社長が私たちを見て声をかけた。


「穂地槍さん、凄い注文ですね!」

 と私が言うと、帆地槍さんは

「う、うん。クリスマス商戦で使ってくれるらしくて・・・」

 と照れているみたいでとてもカワイイ。


「じゃあ、一緒に行きましょうか」

 と私はオフィスの扉を開けて、エレベーターのボタンを押して帆地槍さんが出てくるのを待つ。


「あ、ありがとう」

 と言って注文書の束を手に歩いて来る帆地槍さんが扉を潜った時に、丁度エレベーターの扉が開いた。


 私はエレベーターの扉を押さえて帆地槍さんが乗り込むのを待ってから、私も一緒に乗り込んだ。


 エレベーターの扉が閉まり、カゴの中は私と帆地槍さんの2人きりになった。

「は、花頼さん。4階のボタンを押さなくちゃ」

 と帆地槍さんが言ったけど、私は

「少しだけこのままで・・・」

 と言って、頭を帆地槍さんの腕にもたれ掛けた。


「は、花頼さん?」

 と帆地槍さんが心配そうに言ったので、私は4階のボタンを押して、エレベーターが動き出したのを感じたその時、思い切り背伸びをして、帆地槍さんの頬にチュッと唇を付けた。


「あ、え? あ、あの、え?」

 と帆地槍さんを少し混乱させてしまったみたいだけど、


「穂地槍さん、大丈夫ですよ」

 と言って、注文書の束を受け取った。


 エレベーターはすぐに4階に着いて扉が開いた。


「さ、降りましょう?」

 と私が手を引くと、帆地槍さんも

「あ、うん」

 と言って降りてくる。


 そして4階の作業所の扉を開けて

「すみませーん」

 と作業員の一人に声を掛けた。すると、すぐに初老の男性作業員が駆け寄ってきて、


「お疲れ様です。 おお、こりゃすごい量の注文書だね」

 と言って、「ちょっと仕分けを手伝ってもらえると助かるんだが」

 と私の顔を見る。


「はい、私達もお手伝いしますので、一緒に仕分けちゃいましょう」

 と私が言うと、男性作業員はにっこり笑って

「助かるよ」

 と言った。


「こんなに沢山の注文を取ってくれたんだから、会社には帆地槍さんにボーナスを出して貰わないといけませんね!」

 と私が言うと、男性作業員はピクっと眉を動かしたけどすぐに注文書に目を落として

「そうだねぇ・・・」

 とだけ言った。


 その後は私も黙って仕分け作業を手伝い、仕分けが済んだ時には

「じゃ、後は宜しくお願いします!」

 と言って、帆地槍さんの手を引いて4階の扉を開けて階段室に出た。


「あ、ありがとう。花頼さん」

 と帆地槍さんが言ってから、「あ、あの、さっきのは・・・」

 と私がキスをした頬を手で触れながら帆地槍さんが私を見た。


「沢山の注文を貰った帆地槍さんに・・・」

 と私は言いながら帆地槍さんの左腕に自分の腕を絡めて抱きつき、「私からのお祝いですよ?」

 と言って帆地槍さんの顔を見上げた。


 帆地槍さんは、顔を赤くして私の顔を見て目をキョロキョロさせながら


「あ、あり、ありがとうございます」

 と応えてくれた。


「ぼ、僕も花頼さんに何か、で、出来ればいいんだけど・・・」

 と帆地槍さんは一生懸命に私の事を考えてくれる。


 だから私は思った。


 この人となら、きっと大丈夫だと。


 だから言えたんだと思う。


「じゃあ、今週末の土日は、私とずっと一緒に居て貰えませんか?」


 と・・・

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