第2話 お買い物デート(中編)
「銀座でデートなんて初めてですね!」
と
「は、花頼さんと一緒に、銀座に来たのは、は、初めてだね」
と僕はにっこりとしながら言った。
「き、今日も花頼さんは、お姫様みたいだ」
と僕は言いながら、自分の恰好が花頼さんとは不釣り合いなんじゃないかと不安になった。
だけど花頼さんは、僕よりにっこりしてて、
「ありがとうございます!
と言ってくれる。
8月に恋人同士になってから、これまでに8回デートをしたけど、花頼さんはいつも綺麗なのに、僕はいつも不格好で、だけど花頼さんはいつも僕の腕に自分の腕を絡めてくれて、とても嬉しそうにしてくれる。
僕はデートの事がよく解らないので、花頼さんがいつもお店を予約とかしてくれて、僕がお金を払おうとしても、いつも花頼さんがお金を支払ってしまう。
僕はとても申し訳ない気持ちになって、4回目のデートの時に、僕の貯金を花頼さんにあげようとしたら、花頼さんは首を横に振って、
「私は帆地槍さんに喜んで欲しいと思ってるだけですから、あまり心配しないで下さい」
と言っていた。
「あ、ご、ごめんなさい」
と僕は謝ったけど、僕も花頼さんに喜んでもらえる様になりたいと思っていて、だけど、どうすればいいのか解らなくて・・・
それに、今日も花頼さんはお姫様みたいな格好なのに、僕は汗で透けた白いワイシャツとベージュの綿パンで、なんだか皮が剥けた山芋みたいだ。
しかもズボンのチャックがシャツを噛んでしまって半開きだし。
今は肩に掛けたカバンを身体の前にして両手で押さえてるから見えてないけど、花頼さんが知ったら、残念な気分になるかも知れない。
だけど、僕は花頼さんに隠し事はしたくない。
だから、ちゃんと言おうと思った。
「あ、あの・・・」
と僕は頑張って花頼さんの方を見て口を開いた。
「ぼ、僕も花頼さんに、喜んでもらえる事がしたくて、だけど、ズボンのチャックが閉まらなくて、ご、ごめんなさい」
花頼さんは僕を見て、少しふふっと笑いながら
「それは大変ですね。確かあっちに小さな公園がありますから、そこでチャックを直しましょう?」
と言ってくれた。
「あ、う、うん。あ、ありがとう」
と言って、僕の手を引いて銀座の裏通りに向かって歩いていく花頼さんに付いて行った。
しばらく歩いて裏通りを抜けると、歌舞伎座の向かい側に出てきて、花頼さんはそのまま銀座と反対方向へと歩いて行く。
すると、昭和通りを越えた所に、小さな公園があった。
公園に入ると、そこには「健康小路」と書かれた足ツボを刺激するイボイボが付いた通路があって、その脇にベンチが並んでいた。
今日は平日だからか、公園には人が居なくて、とても静かだ。
「帆地槍さん、ここに座ってもらっていいですか?」
と花頼さんは言って、僕がベンチに座ると、花頼さんも隣に座って、僕のズボンのチャックを見た。
「帆地槍さん、ちょっと触っていいですか?」
と花頼さんが言うので、
「う、うん。お願いします」
とお願いした。
すると花頼さんは、ズボンのチャックを一度全開にして、シャツを中に押し込んでから、チャックをまた閉めてくれた。
なんだ、一度開ければ良かったのか。
「はい、これで大丈夫ですよ」
と言って花頼さんはにっこりして僕を見た。
「あ、ありがとう。ぼ、僕が自分でやろうとした時は、う、うまく出来なくて・・・」
と僕が言うと、花頼さんは
「ううん、いいんです。帆地槍さんはそれでいいんです」
と言った。花頼さんは、僕の隣に座ったまま、
「でも、帆地槍さんのズボンのチャックに触るのは、ちょっと緊張しました」
と言った。
「あ、ご、ごめんなさい。指を挟むと大変だもんね」
と僕が言うと、花頼さんは首を横に振って、
「私・・・、男の人が少し怖いから・・・」
と言って少し俯いた。
そうだ。
花頼さんは、家でお父さんに乱暴されそうになってから、男の人が恐くなってしまったんだ。
それなのに僕は、花頼さんに何もできてない。
「あ、あの・・・、ぼ、僕はまだ、恋人みたいな事がうまく出来ないから・・・」
と僕は、花頼さんが喜ぶ事を言いたかったんだけど、何を言ったらいいのかがよく解らなかった。
だけど、解らない時は、ちゃんと人に訊かないといけないと思って、
「だけど、ぼ、僕は花頼さんが喜ぶ事がしたいから、何をすればいいのか、お、教えてほしいです」
と言った。
花頼さんは僕の顔を見て、少し微笑んでから、
「嬉しいです」
と言って花頼さんは、自分の身体を僕の身体にくっつけて、僕の左腕に両手を絡めて頭を僕の肩の上に乗せるようにして体重を預けて来た。
「しばらく、こうしていたいです」
と言って、花頼さんはふうっと息を吐くと、長い睫毛を伏せて目を瞑った。
「ね、眠い?」
と僕が訊くと、花頼さんは小さく首を横に振って
「帆地槍さんの肩、柔らかくて安心するんです」
と言った。
「あ、うん・・・」
と僕も頷いて、
そうか、僕はじっとしてた方がいいんだと思った。そして、
「僕も花頼さんとこうしてると、とても安心するよ」
と言って花頼さんと同じ様に目を瞑る事にした。
目を瞑ると、遠くに聞こえる車が走る音や、公園の木々の葉が風に揺れる音が聞こえる。
秋になって日差しも柔らかくて、時々気持ちいい風が吹いて、汗が乾いていくのが分かる。
「キス・・・」
と花頼さんが言ったような気がした。
だけど僕は、空耳かなと思った。
だって、キスって結婚する時にする事だから、僕達にはまだ早いと思った。
だからきっと、魚の事だと思った。
もしかしたら今日はお寿司が食べたいのかも知れない。
だけど・・・
と僕は思った。
もし、花頼さんが唇をくっつける方のキスの事を想像してたらと思うと、僕の心臓がドキドキと高鳴りだした。
僕は、キスなんてした事が無い。
キスをする順番とか、ちゃんと勉強しておけば良かったと思った。
いきなり唇と唇のキスをするなんて、図々しいと思われてしまいそうだ。
プールに入る時は、急に水に入ると心臓に悪いから、心臓から離れたところから水に漬けるといいって聞いた事がある。
だから、最初はジュースを買って、間接キスから始めるのが正しいのかも知れない。
だけど、その前にほっぺにキスをするのが正しいのかも知れない。
更にその前に、手の甲にキスをするのが正しいかも知れない。
もしかしたら、足の甲にキスをするのが一番正しいのかも知れない。
恋人の経験が沢山ある人は、いったいどうやって唇のキスまで辿り着くんだろう?
僕はフランス料理のマナーも知らないけど、恋人のマナーはもっと知らない。
僕は少しだけ目を開けて、花頼さんの顔を見た。
僕の肩に置かれた花頼さんの頭の向こうに、長い睫毛と小さな鼻が見えた。
すごく近くに花頼さんの顔があって、唇は見えそうで見えない。
首を伸ばして花頼さんの唇を見ようとして、眉を上げて目を見開いて、鼻の下を伸ばして、やっと少し花頼さんのピンクの唇がチラリと見えた。
途端にさっきのキスという言葉が頭の中をグルグルしだして、心臓がバクバクと激しく鳴り出して、また不整脈かも知れないと思った。
「ふふっ、帆地槍さんの心臓の音が聞こえます」
と花頼さんは言い、頭を僕の肩に乗せたまま目を開いて僕の顔を見た。
僕はひょっとこみたいな顔をしてたのを慌てて元に戻して、
「あ、ご、ごめんなさい。し、心臓、う、うるさいよね?」
と僕は言い、「い、いま心臓を止めるから」
と右手で胸をギュっと押したり叩いたりした。
すると花頼さんは、慌てて僕の右手を両手で掴み、
「心臓を止めたら、帆地槍さんが死んじゃいます。帆地槍さんは死んじゃダメです」
と言いながら、僕の胸に横顔を押し付ける様にして、両手で僕の身体を抱きしめた。
「私、帆地槍さんの心臓の音が好きなんです。こうしてると、安心します」
と言った。
ぼ、僕の心臓の音が好き?
僕の心臓は今、すごく不整脈みたいだから、バクバクと鳴ってて僕の耳にも聞こえて来るくらいにうるさいと思う。
で、でも、心臓の音を聞くなんて、こ、恋人同士は、こうするのが正しいのかな。
花頼さんが言うなら、きっと正しい事だから、きっと僕もそうした方がいいと思った。
「ぼ、僕も花頼さんの、心臓の音を、き、聞きたいです」
と言った。
花頼さんは身体を起こすと、僕を見てにっこりしてくれたけど、すごく顔が赤くなってて、熱があるんじゃないかと少し心配になった。
「あ、あの・・・、大丈夫? 熱が・・・」
と僕が言ってる途中で、花頼さんが両手で僕の頭を抱えて、自分の胸に抱いた。
「もがっ」
と僕は変な声が出たけど、僕の顔は花頼さんの両腕で胸に抱かれて、服の上から花頼さんのおっぱいが僕の顔に当たってて、おっぱいはやっぱり柔らかくて、花頼さんはすごくいい匂いがしてて、ほんのりと温かくて、そして、ドキドキと花頼さんの心臓の音が聞こえて・・・
「ああ・・・、本当だ・・・」
と僕は、身体の力が抜けていく様な感じになった。
ドキドキと聞こえる花頼さんの心臓の音を聞いていると、とても安心した。
僕は目を瞑って、花頼さんの心臓の音をずっと聞いていたい気持ちになった。
僕が女の人について知っている事は、おっぱいが柔らかいって事だけだ。
だけど、今日僕は初めて、女の人の心臓の音を聞くと、とても安心するって事を知った。
「帆地槍さん・・・」
と花頼さんの声が頭の中に直接響いてくるみたいだ。
「はい」
と僕は花頼さんの胸に顔を埋めながら返事をした。
花頼さんの心臓の音がだんだんと早くなって、身体が少し震えていた。
僕は、花頼さんが少し寒いのだと思って、両手を花頼さんの背中に回して、そっと抱きしめた。
すると、花頼さんが、右手で僕の頭を撫でてくれた。
ああ・・・、とても安心する・・・
と僕は思った。
僕の方がうんと年上なのに、花頼さんはまるでお母さんみたいだ。
だけど僕は大人だから、ちゃんと伝えなくちゃ。
そして僕はゆっくりと身体を起こして顔を上げて、
「とても安心します」
と言いながら花頼さんの顔を見た。
花頼さんの顔はさっきより赤くなってて、少し瞳も濡れていて、やっぱり少し熱があるんじゃないかと心配になった。
「あ、あの、だ、大丈夫?」
と僕が訊くと、花頼さんは
「大丈夫じゃないかも知れません・・・」
と言って、「帆地槍さんの事が、食べちゃいたいくらいに変な感じです・・・」
と身体を起こして、自分の手で自分の身体をギュっと抱きしめた。
ぼ、僕を、食べる?
僕って、食べれるの?
ぼ、僕が太ってるから、美味しそうに見えるのかな。
こ、恋人って、そういうのだっけ?
僕は混乱してたと思う。心臓も不整脈みたいにドクドク鳴りだして、何が何だか分からなくなって、
「ぼ、僕は・・・、お、美味しそう?」
と訊いてみた。すると花頼さんは、
「わ、私にもよく解りませんけど・・・」
とまだ寒いのか、震える身体をギュっと抱きしめながら、
「帆地槍さん、今日はどこかに泊まりませんか?」
と、声まで震わせながら、花頼さんは、そう言ったのです。
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