紡がれる縁

 三年間、通い慣れた校門を通り抜ける。


 卒業式を終え、学友達との別れの挨拶と次の約束を済ませ、お世話になった学校から足を踏み出した。縁の結び目が変わったようで、解放感がありつつも少し頼りない気分。

 校門の両脇に立ち並ぶ、やがて咲き誇るであろうソメイヨシノを見上げながら、新入生は迎えてくれるのに卒業生は送ってくれないのかな、などと考えてしまう。


 ぽこん、と頭を叩かれる。

 卒業証書が収められた筒を振り回しながら、長年の親友であるくるみが笑いかけて来た。


「ほらほら、うさぎさん。

 そんなぼぅっとしていると、また転んじゃうよ?

 お主は何もないところでも転べるという特技をもっているしね!」

「もうっ! そんな特技はないよっ!

 ……こないだ躓いたのは、偶然だもん……」


 あはははははっ、と笑いながら、背中をばちんっ!と叩いてくる。

 だから痛いって。


「来月から、今度は大学生だね。

 また四年間、よろしくだね?」


 そう言って、隣を歩いているくるみちゃんに微笑みかける。

 小学校時代からつきあいが続く彼女と、なんと大学と、更に言えば学部まで同じ。


「ふふふ、互いに素晴らしい教育者を目指すぞ!

 あたしは若人との触れ合いを求めて、お主は小学校に置き忘れた恋心を求めて!」

「いやくるみちゃんは私を犯罪者にしたいのか!?

 生徒に恋心なんて探さないよ!」

「だぁってさ、高校を通して恋バナにまったく喰いついてこないんだもん、まなちゃん。何だかんだでモテるのに。

 ウサギが恋人より、教え子が恋人な方がまだマシじゃない? 種族的にもさ!」


 そんなことを言われても。

 中学生の時に辛い別れが続いて、新しい出会いにほんの少しだけ後ろ向きになっていたのは事実ではあるが、あんまりな言われようだよ。


「今は……うさえもんが調子が優れないから。

 そういう気分にはなれないんだよ、とても」

「むー……。それを出されると、愛ちゃんをいじりにくくなるなぁ。

 八歳だっけ? うさえもん。

 人間で言うと、七十歳も真ん中? お年寄りさんだぁ。

 長生きして、悠々とした老後を送ってくれるといいねぇ」


 それを聞いて、ほろ苦い笑顔を作る愛。

 同意を返さない様子に状態の悪さを察するくるみ。暗くなる雰囲気に、強引な話題転換を試みる。


「忘れ難き想い人ののぞみちゃんからは、便りは届いているのかな?」

「まぁ……ね。でも何か、いろいろ考えちゃって、返事がし辛くて……」


 希君がアメリカに引っ越してから、すぐにメールが届いた。

 やはり学校で学んだ英語ですぐに会話というのは無理なもので、そこには様々な苦労が書かれていた。それでもメールの続きを読むと、向こうでの奮闘ぶりが伝わってくる。

 環境を克服して、徐々に友達もできて、いろいろ挑戦チャレンジして、自分の世界を広げていくのが希君らしくて。

 狭い世界に閉じこもっている自分は返信に書く内容も思いつかず、最後に会いに行けなかった気まずさも手伝って、返事は遅れに遅れた。


 それでも。

 海外で頑張っている彼に少しでも力になってくれればと、応援のメッセージを込めた返信は送った。友達として。

 その後もやりとりは続いたけれど、なかなか書くことができない返信の遅さを気にして、メールではなく手紙のやりとりに替えてもらった。こっちの方が、ゆっくり考えながら文章を書くことができて、落ち着ける。


「そしたら、希ちゃんがいま日本に帰ってきているって知ってた?」

「なんでくるみちゃんそんなこと知っているの!?」


 初耳だ。

 自分の知らない情報をくるみちゃんが持っていることに軽く衝撃を受ける。


「ふふふーん。あたしにもたまに連絡はあるのだよ。

 君達のように奥ゆかしい手紙のやりとりではなくてメールだけど。

 主に愛ちゃん情報を切り売りすると、受けが良いのだよ」

「また、そんなこと言っちゃって……」


 と言いつつも、何となく、希君とくるみちゃんのやりとりが想像できた。

 面白いことを言えて、話題も豊かなくるみちゃんとの会話なら希君も楽しいだろうなあ、と本心から思う。


「春休みを利用して、日本に戻ってきているみたいだよ。

 そのうち、お主にも声がかかるのではないか?」


 にやにやしながら冗談めかして言ってくるくるみちゃんに苦笑する。


「そんなことはないよ。そもそも帰国を知らなかったくらいだし。

 希君は、アメリカで頑張って自分の生活を作っている。それでいいんだよ」


 ちぇー、つまんないのー、とぼやくくるみちゃんの声を聞きながら、卒業式の後に会う約束をしている同級生達との待ち合わせ場所に向けてゆっくりと歩いて行った。


***


「――というわけで、今、希君が帰国しているみたいだよ。

 覚えている? うさえもんが学校で飼われていたときから一緒だったよね。

 一時は毎週のようにうさんぽに連れて行ってもらった男の子だよ」


 クッションの上に丸まって気怠げにこちらを見るうさえもんの背中をなでながら話しかけた。

 時折、こちらの話に合わせてその長い耳をぷるる、と動かしているのを見ると、本当に話を聞いているように思えてくる。


「アメリカって言って、とっても遠い所に行って頑張ってるんだ。

 そっちの学校は九月が新学期なんだってさ。

 引っ越した時に一学年下にしてもらったから、今度の九月に最終学年になって、来年早々には大学の受験なんだって。アメリカにいるにせよ、日本に戻るにせよ。

 希君はどうするんだろうねぇ」


 そう言えば、あの時なんかね――、と、うさえもんの背中を撫でながら、気が付くと希君の話を続けている自分に気づく。

 うさえもんはそれを咎めるでもなく、止めるでもなく、時折耳をぷるると動かしながら、黙って撫でられている。

 聞き流すのも慣れっこだよ、と言わんばかりだ。


 ふと。

 何かを掘り返すかのように交互に前脚を動かして、うさえもんが私の服を引っ掻き始める。

 こんなに活発に掘り返す動きほりほりをするのは久しぶり。どうしたのか。

 うさえもんを見ると、じっと窓の外を見て、それから再びほりほりを繰り返す。


 ――お外に行きたいの?


 体調を気遣って、随分と外出はさせていなかった。

 今日は外の天気も良く、気温も寒すぎず暖か過ぎず。風も凪いでいて穏やか。

 たまには外気に触れたいのかも知れない。


「抱っこをして温かくしながら一緒に散歩するくらいならいいよね?」


 誰にともなく言いながら、近くにある抱っこ紐を引き寄せた。


***


 麗らかな春の陽気を肌で感じながら、胸元に抱いているうさえもんになるべく衝撃が行かないようにのんびりと歩く。

 道端の草が芽吹き、新芽の良い匂いが満ちている。

 柔らかな陽光を浴びながら公園を散歩していると、心を煩わせるあれこれのざわめきが息を潜め、心穏やかな気持ちを楽しめた。


「――愛ちゃん?」


 不意打ち。

 まさに、気分としては不意打ちだ。

 心をざわめかせる声が背後から耳に入り、体が反応してぴょこん、と軽く跳ねてしまった。


「希君? なんでこんなところに?」


 心臓がばくばくと高鳴っているのを鎮めながら振り返る。

 顔は赤くなっていないかしら。


「いま学校が春休みで、家族と一緒に一時帰国しているんだ。

 母さんが急に言い出した話で、手紙にも書いたのだけど間に合わなかったかな?

 本当を言うと、愛ちゃんに会えないかな、と思ってメールを書こうと思っていたところだったのだけどね」


 そう言って手に持ったスマートフォンを軽く持ち上げた。


「どう誘ったらいいのか分からなくって。少し懐かしくなってこの公園まで来て考えていたんだ。

 会えて良かったよ」


 そう言って、希君は優しく微笑んだ。

 予定がないことはくるみさんに確認していたんだけどね、という呟きまでは拾えなかったものの、目的が自分であることに少し驚く。

 ……まだ気にかけてくれて、わざわざ時間を割いてくれるとは。嬉しくて、軽く心臓が止まった気すらした。


「うさえもんの調子が悪いんだって? くるみさんが言っていたよ」


 そう言いながら近寄ってきて、抱っこ紐に包まれるうさえもんを眺める。


「愛ちゃんはうさえもんのことは良いことしか書いてくれないから。

 中学の時、僕が海外に出発する時、来られなかったのも、うさえもんが危険だったからなのでしょう?」


 苦笑しながら顔を上げ、私を見た。

 ばれてた。


「よ、余計な心配かけちゃあ悪いかな、と思って……

 遠いから、何もできないだろうし……」

「うん。分かるけど。でも、教えて欲しかったな。

 僕もうさえもんとは友達だと思っているからね」


 お互いに奥歯に物が挟まったような話し方。

 あれ? 折角、希君と会えたのに、私は何の話をしているのだろうか?

 気まずい。そうか、隠し事をすると、こういう風に追い込まれるのか。


 長年、自分の気持ちを心の奥底に封じ込めて来た代償。

 希君と会えて嬉しい気持ちと、どことなく後ろめたいような気持ち。自分の心が調和できない。

 嬉しさが言葉にならない。


 焦って相手を見ると、希君も視線をあらぬ方向に向けてそわそわしている。

 ひょっとして私と同じなのかも知れない。こんなことを話したいわけではないんだ、と。

 でも、言葉を紡げない。

 何を話したら良いのだろう? 共通の話題って? ああ、とにかく天気の話でも――


「きゃっ!?」


 変な声を出してしまった。


「どうしたの!?」

「いや、うさえもんが――」


 突然、抱っこ紐の中で暴れ始めるうさえもん。


「こんなに暴れるなんて、最近ではなかったのに。

 そんな動いて大丈夫なの?」


 どうやら、希君を見て暴れているようだ。


「少し抱っこさせてもらっても良いかな?」

「うん、ゆっくり、丁寧にお願いね」


 希君の腕の中に収まるうさえもん。

 おっかなびっくり、抱きしめる。


「よしよし、久しぶりだね、うさえも――おん!?」


 ようやく丸くなって落ち着いたと思ったら、今度は体を伸びあがらせて希君の下顎を頭でぐいぐいと押し上げている。

 ――だから何をやっているの!?


 希君のところからうさえもんを取り戻したけれど、まだ鼻をぷうぷう言わせながら暴れている。


「ひどいよ、うさえもん。僕のことを忘れてしまったのかい?」


 下顎をさすりながら困った顔をしている彼を見て、つい吹き出してしまう。


「愛ちゃんまで……」

「違うの、違うの! きっと、うさえもんが、私達がうまく喋れていないから見ていられなかったんだと思うの!

 だから、もっとしっかりしろ! みたいにうさえもんが文句を言ったんだと思うと、つい可笑しくなっちゃって。

 昔からそういうところあったよね、この子は!」


 うさえもんという共通の話題を再発見した私達は、一気に昔のように笑い合いながら話せるようになった。


 うさえもんがウサギ小屋を脱走して美小兎のところまで走って行ったこと。

 散歩うさんぽで美小兎に毛繕いして傍で丸くなっていたこと。

 その美小兎がお月様に行った亡くなった時に、かなり危険な状態にまでなったこと。


 私と、希君と、うさえもんと。

 楽しい昔話は、いくらでも掘り起こせる気がした。

 それから私の高校生活や、希君の向こうの生活まで、いっぱい話ができた。


 これも、うさえもんが体を張ってくれたおかげ。

 また、うさえもんにお世話になってしまった。


 ――て、うさえもん!?


「やだ、この子、ぐったりしている!」

「え! ごめん、つい話しに夢中になって、気づかなかった!」

「こっちこそ、忙しいのにごめんね! 私、もう帰るね!」


 うさえもんのことしか頭になくなってしまった私は、慌てて、それでもうさえもんの負担にならないよう、なるべくゆっくりと帰った。


 その晩、希君からメールが届いた。

 公園で会ったときは、何て書いて良いか分からないと言って送れなかったメール。

 でも、一度、一緒に笑い合ったらわだかまりが溶けて流れ去ったように、不思議と自然にメールを送り合えた。


 そうして昔を思い出したように、長くもない日本滞在中だろうに、希君は何度か電話もしてくれた。

 九月に進級して、大学のことを考えなくてはならない事。

 大学を日本にするのか、アメリカにするのか、悩んでいる事。なんでも日本に何かを残してきた気持ちになっていて、最後の所で決めきれないとか。

 それから私とうさえもんに会えてとても楽しかった、と言ってくれた事。

 それ以外にも、いっぱい話をすることができた。


 こんな楽しい数日間は、本当に久しぶりだ。

 これもあの子のおかげかな。またお世話になっちゃったね。


 ありがとうね、うさえもん。

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