妊娠
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──妊娠
ミヒャエルは頻繁に机上演習を行い、各戦闘団長に指揮する部隊がいることを教えた。戦闘団長たちは自分が戦時の際に指揮する部隊を把握し、師団長や連隊長と摩擦が起きないようにそれらを把握した。
部隊を動かしての演習も時折行われ、主に戦時における機動力の発揮や決断力とそのスピードが求められた。
そんな慌ただしい師団長の仕事の終わってからは自宅でガブリエラとミヒャエルはゆっくりと過ごした。
そんなある日。
「あの、ミヒャエル」
「どうした?」
早朝の出勤前の時間帯にガブリエラがおずおずと話し出すのに、ミヒャエルが怪訝そうな顔をした。
「どうも妊娠したみたいで……」
「本当かっ!?」
ミヒャエルががたりと慌ただしく立ち上がる。
「ちょっと。静かに。まだ決まったわけじゃありません。最近は忙しかったですから」
「そ、そうか。しかし、妊娠だと嬉しいな」
ミヒャエルはワクワクとしている様子だった。
「ええ。そう思います。念のためしばらくお休みを貰ってもいいですか?」
「もちろんだ。ディートリヒには俺から伝えておく。休んでいてくれ」
それからは大変だった。
ミヒャエルはすぐに病院にいくべきだといい、ガブリエラは大げさすぎるという。
「俺の母親は産後にインフルエンザで死んだ。そういうことにはなってほしくない」
「……分かりました。病院に行きます」
ミヒャエルは自分を生んだ後に母が死んだことを悔やんでいるのか、ガブリエラにずっと気を使っていた。
家事は全て使用人に任せてあるが、それでも足りないことがあればミヒャエルが自分から率先してやってくれた。
ガブリエラが酒を控えるのと同時にミヒャエルも酒を控え、食事は栄養のあるものをと使用人に頼んでいた。
「病院はどうだった?」
「妊娠で間違いないそうです。今のところ私も健康だと」
「そうか、そうか。それはよかった。これからも滋養のいいものを食べて、暖かくして過ごしてくれ。本当に心配なんだ」
「心配し過ぎですよ。軍務の方が大丈夫なんですか?」
「問題ない。第1共和国親衛装甲師団の練度は共和国一だ」
それから仕事や済んだガブリエラと早く帰ってくるミヒャエルというのが定番になった。部下たちも理解を示してくれているのか、不満が出る用はないようだ。
まあ、ミヒャエルのことだから文句が出ても聞きはしないだろうが。
しかし、こうしていると本当に大切にされているとガブリエラは思った。
「母が出産の経験があると思うので私が実家に帰るか、母にこっちに来てもらおうと思うのですが、どうでしょうか?」
「むう。そうだな。読めとして貰ったのに来てもらうのは失礼だ。お前が実家に帰った方がいいだろう。俺もそっちに顔を出す」
ミヒャエルは難色を示すかと思ったことも今回ばかりはスムーズに通った。
ガブリエラは実家に帰り、ミヒャエルはガブリエラの実家に顔を出した。
ガブリエラの妹のクラウディアはミヒャエルがいつもお菓子を持って来てくれるので、ミヒャエルが来るのを楽しみにしていたし、ガブリエラの父アルブレヒトと母デリアもミヒャエルを歓迎してくれた。
夕食はガブリエラの家で取ることが多くなり、自然とガブリエラの実家とミヒャエルの間に繋がりが生じる。
「やあ、ミヒャエルさん」
「やあ、ヘンリック君」
ガブリエラの兄であるヘンリックもガブリエラの様子を見に帰宅時間が早くなった。
ヘンリックは外務省で西北大陸担当部に所属し、合衆国との外交交渉を行う官僚となっていた。相当出世したらしく、ヘンリックだけの稼ぎでも、なんとかこの屋敷は維持できているというところだった。
足りない分はガブリエラが実家への仕送りという形で、幾分かの稼ぎを送っていた。
主にミヒャエルの領地から得られるものだが、ミヒャエルはそれに文句を言ったことは一度もなかった。
「ガブリエラ。体は大丈夫か? 何か辛いことはないか?」
「大丈夫です。どれも妊婦にはよくある症状だと。お医者さんにも見てもらっていますし、安心してください」
「そうか。ならいいんだが……」
ミヒャエルはガブリエラを実家に預けなければならなくなったことに少しばかり罪悪感を感じている節があるとガブリエラは思っていた。
とは言え、ミヒャエルの妊婦を心配する気持ちは分かる。彼は出産によって弱ったところをインフルエンザに襲われた母を失っているのだ。
「しっかり栄養は取ってくれよ」
「あまり栄養ばかり摂ると太りますよ」
「お前が太ったとしても俺は気にせん。文句を言う奴がいるならぶん殴ってやる」
「はいはい」
そして、次第にガブリエラのお腹は大きくなっていった。
「もう産まれるのか?」
「もう少しです。ちゃんと師団長はやってますか?」
「やっている。だが、今は共和国の未来よりこっちの方が大事だ」
「全く」
ミヒャエルが恐る恐るガブリエラのお腹に触る。
「蹴ったのか?」
「ええ。蹴りました」
「嫌われたのだろうか……」
「赤ちゃんにはよくあることだそうですよ」
ミヒャエルが落ち込むのに、ガブリエラは苦笑い。
「名前を考えないとな」
「まだ女の子か男の子かも分からないのに」
「む。そうだな……」
ガブリエラは自分のお腹を優しくさすった。
「女の子だとしたら将来何になってもらいたいですか?」
「うむ。お前に似ているだろうから、文学部に通わせたいな。そして、将来は小説家にでもなってもらいたいものだ」
「男の子だったら?」
「そうだな。やはり国のためになる仕事をしてほしいな。官僚でもいい。だが──」
「軍人はダメだ、と」
「その通り。もうブロニコフスキー家から軍人を輩出する必要はない」
もう俺たちは国のために存分に軍人として尽くしたとミヒャエルは言う。
「私も軍人にはなってほしくないですね。きっとあなたと比較されますよ」
「そうだとしたら、きっとこの子の方が高く評価されるだろうな」
俺は問題児だったからなとミヒャエルは自嘲する。
「だとしても、今はいい旦那さんですよ」
「期待に沿えたなら何よりだ」
ガブリエルとミヒャエルはとりあえずこの子には軍人にはなってほしくないということで意見が一致した。
そして、ガブリエラのお腹は膨れていき、ついに出産のときを迎えた。
こうなるとミヒャエルにできるのは医者が『母子ともに無事です』と言ってくれるのを待つばかりである。
母が死んだ時代と違って医学も進歩している。母のように死ぬことはないはずだ。
そう思っていてもミヒャエルはガブリエラのことが心配でならなかった。
どの時代でも出産というのは体力を消耗し、それでいて感染症のリスクがあるものだとミヒャエルは認識していた。
ガブリエラには栄養のあるものを食べていてもらったが、どれほど出産というのは体力を使うのだろうかと心配になる。あの細い体で出産に耐えられるのだろうかと。
そう思うのも仕方ない。ミヒャエルは母を出産で失っているのだ。
やがて、医者が処置室から出てきた。女医だ。
「どうでしたか?」
「母子ともに無事ですよ。心配なさらず。暫くは安静にしておきましょう」
ミヒャエルが噛みつくように尋ねると医者が苦笑いを浮かべた。
「問題はないんですね?」
「ありませんよ。さあ、ご家族に会われに行ってください」
ミヒャエルはそう言われて恐る恐る処置室の中に入る。
「あなた……」
「ガブリエラ。大丈夫か?」
「全然。死ぬかと思いました」
ガブリエラがため息をつく。
「ほら、お父さん。元気な男の子ですよ」
「おお……」
ミヒャエルは生まれたばかりの子供をその両手に抱きかかえた。
「俺たちの子だな」
「ええ。私たちの子です」
生まれた立派な男の子は病気などもなく、新生児室から出て、ガブリエラたちの屋敷に連れて帰った。
名前はアウグスト。騎兵大将であったガブリエラの祖父の名前から取った。
思えばふたりの出会いは騎兵大将であったアウグストの蔵書から始まったのだ。そのお礼を込めてアウグストと名付けることにした。
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