装甲兵総監部
……………………
──装甲兵総監部
「おはようございます」
「おう。おはよ──」
翌日ガブリエラがいつものようにミヒャエルの執務室に向かうと、彼がぎょっとした表情でガブリエラを見た。
「どうしました?」
「いや。化粧したのか?」
「ええ。一応は。薄くですけど」
「ふむ。女は化けるとは言ったものだ」
そんな言い方しなくてもいいのにとガブリエラはちょっとむかっとした。
「それで、昨日はどうだった?」
「ヘンツェ伍長にはお世話になりました。必要なものは概ね」
「結構。今日から忙しくなるぞ。まずはヘーリンゲン元帥閣下の呼び出しだ」
そう言ってミヒャエルが立ち上がる。
「やはり、勝手に大統領──閣下にあったのは不味かったですか?」
「確かにヘーリンゲン元帥閣下は北ゲルマニアの軍人だ。いい顔はせんだろう。だが、俺たちには大統領閣下の全面的な信頼がある。今さら、止めるには遅すぎるってものだ」
ミヒャエルはそう言ってニッと笑った。
「しかし、ペナルティはなしですか?」
「ほら。読んでみろ。この間の写真が載っとるぞ」
ミヒャエルが投げ渡したのは国家戦線党の機関紙“前線日報”だった。
「ええっと。『オットー・エアハルト大統領は将来有望な若手士官たちを大統領官邸に招いた。大統領は装甲部隊の重要性を尋ね、若手士官たちは大統領の指摘に同意して見せた。大統領は今後、装甲部隊を……』」
記事なそれからも続くが、概ねエアハルト大統領が軍における装甲部隊改革を主導したことになっている。
「何か手柄取られてません?」
「それを刷っているのは国家戦線党だぞ。当然、大統領が主導したことにしたがるだろう。だが、このおかげで俺たちが勝手に政治家を動かしたとは思われずに済む」
「まあ、それならそれでいいですけど」
政治家ってのは信頼ならないものだなとガブリエラは思った。ガブリエラたちが指摘したことがすっかりエアハルト大統領が提唱したことになっている。
「さて、乗り込むぞ。しゃきっとしておれ」
「はい」
いよいよ陸軍最高司令官とのご対面だとガブリエラは緊張する。
とは言え、晩餐会の席で会ってはいるのだ。だが、陸軍省のもっとも警備の固い執務室に陣取るヘーリンゲン元帥はまるで勇者たちを待ち構える魔王のようだった。
「ミヒャエル・フォン・ブロニコフスキーと副官のガブリエラ・フォン・ゲーリケ少尉だ。アポイントメントあがあるはずだ」
「はっ。確認いたしました、大佐殿。お通りください」
来客とのやり取りをする秘書も中尉ほど。副官は大佐だという。
「失礼します」
「来たか」
ヘーリンゲン元帥がガブリエラたちを迎え撃った。
ヘーリンゲン元帥は前大戦には歩兵少将として歩兵師団を指揮して参加したそうだ。ガブリエラがが装甲部隊による浸透攻撃を考えた9月攻勢にも突撃部隊のひとつとして参加している。
60歳越えで、頭髪は頭頂部から薄くなりつつあるが、鋭い眼光は恐らく前大戦時のままなのだろうなとガブリエラは思った。
「随分と手回しが上手いな、大佐。私も大統領官邸に呼び出されるまで何のことか分からなかったぐらいだ」
「大統領閣下には向こうからご招待を受けました。我々から働きかけてはいません」
「そういうことにしておこう」
確かにミヒャエルは大統領付き武官を机上演習に招待していたりしたので、“全くの軍然で大統領の目に留まった”わけではない。
「大統領閣下から最大限君に便宜を図るようにと言われている。このまま参謀本部においていてもいいが、それだと君の目指す装甲部隊の改革に手が出せまい」
ヘーリンゲン元帥はそう言って書類を差し出した。
「陸軍に新しく装甲兵総監部を設立する。君にはそこの参謀将校になってもらう。装甲兵総監部には装甲部隊に関する全権が与えられる予定だ」
「総監部長は?」
「オイゲン・フォン・ヴァイクス騎兵大将。装甲部隊には理解のある将官だ」
「騎兵大将、ですか」
「彼も今さら騎兵が活躍するとは思ってはおらん」
「了解しました。拝命いたします」
ミヒャエルが頷く。
「結構。装甲兵総監部は陸軍省別館2階の倉庫部屋になっていた場所に設置される。さあ、任務に取り掛かりたまえ、大佐」
ヘーリンゲン元帥はそう言って、ガブリエラとミヒャエルを送り出した。
「とりあえず、手の空いている下士官と兵卒どもをあつめなければならんな」
「まずは下手の片づけから、ですか。順調なスタートのようで」
「全くだな」
それから陸軍省内で手隙の“予備戦力”をミヒャエルは動員すると、陸軍省別館2階にある倉庫部屋の大掃除に入った。
まずは参謀たちの仕事する場所の整備。
それから総監部長の執務室の整備。
タイピストたちや実務レベルの仕事をする人間のスペースを確保。
ガブリエラも窓を拭いたり、床を掃いたりして掃除に参加した。
とりあえず、机だけでも設置し、仕事ができるようにしようとしたが、机の配置で揉める。総監部長の執務室にもっとも近い位置に座るのは誰か。タイピストたちをどのように配置するか……。
ミヒャエル曰く、デスクひとつとっても戦術であり、部屋の中の書類の流れを制御することで、影響力の強弱が決まるという話だった。
ガブリエラはただ椅子があって、机があって、タイプライターがあれば仕事はできるだろうに呆れた。
結局のところミヒャエルの巧妙な企てによって、書類は全てミヒャエルを通して総監部長の執務室に流れるようになった。総監部長の執務室から流れる書類もミヒャエルを通すことになる。
これで書類作戦には勝利したというようにミヒャエルが満足する。
ガブリエラはただただ呆れた。
「総監部長閣下をお迎えに行かなければならないな。向こうから来てくれるかもしれないが。しかし、騎兵大将とは。昔の騎兵将校と言えば反装甲兵の筆頭のようなものだったからな」
「こちらの動きを制しに来ましたかね?」
「それはないだろう。装甲部隊の改革が進まずにせっつかれるのはヘーリンゲン元帥だ。ヘーリンゲン元帥も自分の軍歴に大統領の不興を買って更迭という染みは付けたくないだろうさ」
それにここに来てわざわざ装甲部隊の改編を妨げる理由もないとミヒャエルは言う。
「じゃあ、純粋に騎兵大将が職務に向いていると」
「そういうことなんだろうな」
それからガブリエラたちはまずは出迎えのために参謀たちを集めた。
「ディートリヒ。昇進したのか」
「ええ。この間、机上演習後に。こうして装甲兵総監部の配属になりました」
机上演習で作戦参謀を務めたディートリヒ・シュトラハヴィッツ装甲少佐──装甲中佐に昇進は、ミヒャエルにそう挨拶した。
他にも若手の装甲将校や砲兵将校、歩兵将校が集まっている。
下は大尉、上はミヒャエル──大佐。
本来ならばヴァイクス大将の下に着く少将レベルの将官が必要なのだが、装甲兵総監部に行きたいと思った少将はいないようだ。
「ご苦労、諸君」
そして、参謀も集まったところで、ヴァイクス大将が姿を見せた。
彼も前大戦時には将校だった。もっとも前大戦の泥沼の塹壕戦で騎兵が何をしていたかというのはガブリエラには謎だったが。
彼はやや後退した髪とモノクルをかけた60代ほどの痩せた男性で、自分の下に集まった将校たちをじろりと見渡すと、ミヒャエルに目を向けた。
「ブロニコフスキー大佐。ヘーリンゲン元帥からは君のやりたいようにやらせろと言われている。私はただ盲印を押すだけだ。君のやりたいようにやりたまえ」
「畏まりました、大将閣下」
そう言うとヴァイクス大将は執務室に引っ込んだ。
「よかったですね。楽な仕事になりそうで」
「そうは言えんさ。俺がうっかり間違っても訂正してくれる人間はいないということなんだからな」
そして、装甲兵総監部での仕事が始まった。
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