机上演習開始

……………………


 ──机上演習開始



 戦場の霧という言葉がある。


 共和国の名将によって定義された言葉で、戦場においては全てを理解した上で判断を下すことが不可能だということを意味する。


 今回の机上演習はそれを示している。


 王国軍を指揮するハンマーシュタイン中将と共和国軍を指揮するミヒャエルは、それぞれ別の部屋で同じ地図を眺め、それでいてお互いの部隊の位置は偵察・捜索、あるいは不意の遭遇戦を行わなければ分からないという状況だ。


 これほど大掛かりな机上演習が行われるのは稀であり、多くの陸軍省や近隣の師団の司令官たちが注目していた。


「予定通りに部隊配置を、ディートリヒ」


「はっ」


 ミヒャエルはディートリヒにそう指示し、ディートリヒが事前の想定通りに部隊を配置する。装甲部隊が低地地方に雪崩れ込むB軍集団ではなく、A軍集団に集中していることをこの時点ではハンマーシュタイン中将は知らない。


「演習開始です」


 この演習はターン制シミュレーションゲームを連想してもらえばいい。それぞれのターンに駒をひとつずつ動かしていく。


 ただしヘックスのようなものは存在せず、定規で部隊の速度を基に駒を自由に進める。当然ながらひとつの場所にいくつもの部隊を配置することはできない。だから、あれだけ渋滞について苦しんだのだ。


「B軍集団を前進させる。降下猟兵師団も行動を開始。A軍集団は予定通り」


「はっ」


 反則がないか監視する将校の下、部隊の駒が進められる。


「ハンマーシュタイン中将閣下。やはり低地地方で交戦状態に突入しました」


「所詮は前大戦の焼き直しか。装甲部隊は?」


「まだ確認できていません」


「ふむ……」


 あれだけ装甲部隊の運用を訴えたミヒャエルが装甲部隊を投入してこないことへの違和感は感じられた。だが、奥の手として残しているのだろうとこの時点では思っていた。


「低地地方に向けて進撃。マーズ川下流を敵に渡す前に抑えるぞ」


「了解」


 そして、王国軍を示した駒が低地地方に進入する。


「B軍集団は予定通り進軍中。A軍集団も予定通りです。降下猟兵は低地地方の要塞群の制圧を開始。このまま進めますか?」


「オートバイ捜索部隊を先に進ませて敵の抵抗を確認。それからA軍集団のフリーデンタール教導猟兵連隊の降下準備を」


 フリーデンタール教導猟兵連隊──それは共和国国防情報局傘下にある共和国唯一のコマンド部隊だ。敵の軍服を着て偽装することもあるし、作戦前に民間人として敵地に入国しておくこともある。


 今回の低地地方に回した2個師団の降下猟兵師団の代わりに準備されたのは彼らだった。コマンド部隊というからには破壊工作も行える。彼らには敵の連絡線と通信線の遮断、及び敵要塞線の後方からの攻撃という任務が与えられていた。


 そのフリーデンタール教導猟兵が降下する前に、ハンマーシュタイン中将のターンが回ってくる。


「敵降下猟兵、低地地方の要塞線後方に降下。低地地方にて敵装甲師団と交戦。突破されました。いかがしますか?」


「間違いない。敵は低地地方を取りに来ている。進軍を急がせろ。予備軍も投入」


「了解」


 ここで見事に回転ドアは作用し始めた。


「B軍集団、マーズ川下流を制圧」


「前進を継続」


「A軍集団、敵歩兵連隊と接触」


「アルドゥエンナ猟兵師団だな。突破可能か?」


「第1装甲師団のアントン装甲戦闘団ならば突破可能です」


「では、突破だ」


 頼むからそのままB軍集団に食らいついていてくれとミヒャエルは祈った。


「アルドゥエンナ猟兵師団第1連隊が敵装甲部隊と交戦。突破されました」


「アルドゥエンナ猟兵師団をマーズ川まで下げろ。側面を固めるぞ」


「了解」


 王国軍主力部隊はそのまま低地地方に雪崩れ込んでいく。


「B軍集団、敵主力先鋒と思われる中規模の部隊と交戦を開始」


「前進を継続。ただし、急ぎすぎるな」


「A軍集団、突破しました。アルドゥエンナの森付近の要塞線にてフリーデンタール教導猟兵が降下に成功。このまま進みますか?」


「事前の準備通りだ。事前の準備通りだ、ディートリヒ。突破しろ」


「了解」


 共和国軍の装甲部隊は敵に見つかることなく、アルドゥエンナの森を抜ける。アルドゥエンナ猟兵師団が後方に下がったせいで、彼らを妨げられるのは混成第15軽機械化歩兵旅団、第5軽騎兵師団だけになってしまった。


「低地地方にて敵装甲師団を確認。交戦開始」


「予定通りだな。だが、装甲部隊では突破はできん」


「……混成第15軽機械化歩兵旅団後方に敵の装甲部隊です。突破されました」


「何?」


 ハンマーシュタイン中将はこの時点で違和感を感じ始めた。


「A軍集団、敵砲兵陣地を攻撃。撃破判定です」


「A軍集団はそのままだ。突き進ませろ。突撃あるのみだ」


「敵軽装甲部隊とオートバイ捜索部隊が接触」


「敵を迂回して突破。スダンに向かえ。既に2日だ」


 3日でマーズ川に、4日でマーズ川を。


「予備戦力は順調に低地地方を進軍中です、閣下」


「……何かがおかしい。どう突破するつもりだ、ブロニコフスキー」


 しかし、ハンマーシュタイン中将は既に全軍に低地地方に進軍せよと命じてしまっている。予備軍も投入した。何かあっても手駒がない。


 だが、自分の判断は間違っていないはずだとハンマーシュタイン中将は思い、そして彼は致命的な親切な一押しをしてしまう。


「A軍集団、スダンを突破、スダンを突破。このまま後方に向けて突撃します。よろしいですか、大佐殿?」


「歩兵部隊は追いつてきているか?」


「はっ。後方から自動車化歩兵師団が前進中です」


「では、南方ストンヌ高地において予備的攻撃を実行後、いよいよ収穫だ」


「了解」


 一方のハンマーシュタイン中将陣営はパニックに陥っていた。


「て、敵はスダンを突破しました! その後南方に機動しストンヌ高地を制圧! また敵装甲部隊がパリ―シィと低地地方の連絡線の遮断を開始!」


「な……。まさか……」


 どっちだ。どっちが狙いだ。


 南方に向けて機動しストラティスブルグムにいる大軍勢の背後を取るのか? それとも北に機動して低地地方の部隊を狩り取るのか?


 あるいは両方?


「低地地方に侵入した全軍を後退させろ。全軍に総退却を命令」


「了解」


 だが、その時には既に包囲網は完成しつつあった。


「A軍集団戦闘第1装甲師団ソンム河口域に到達。自動車化歩兵師団も展開中」


「B軍集団を押し進ませろ」


「了解。B軍集団を前進させます。敵は総退却中につき、重装備などは放棄との判定」


「結構。押し潰せ。各装甲師団は敵の装甲部隊による反撃に備えろ」


「捜索部隊を出しますか」


「そうしろ」


 低地地方に侵攻した軍は包囲された。


「包囲されました。重装備は放棄され、反撃は不可能。敵低地地方部隊からの圧力大。このままでは低地地方に進行させた全軍を喪失します」


「……装甲部隊は?」


「北部戦域については行動不能との判定」


「南方の部隊は?」


「第4機甲師団の1個装甲師団が行動可能」


「その1装甲個師団で側面を攻撃。ソンム川河口を攻撃せよ」


「了解」


 そして、ここにきてミヒャエルが最大の危機を迎える。


「敵装甲部隊の反撃。第5自動車化歩兵師団が交戦中。牽引式対装甲砲効果なし。敵は歩兵魔甲騎兵を使っています」


「畜生」


 このままではソンム河口域を奪還され、包囲網に穴が開く。


 敵の歩兵魔甲騎兵には装甲師団が装備している巡航魔甲騎兵の火砲は通じない。


 最大の危機だ。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る