第8話
駅前のビル。
菓子博覧会は好評で、今日も見物客で混みあっていた。
のだが、いよいよ最終日になってしまった。
その人だかりの中に、例の女性もいた。
その後方に、小原警視正がいた。彼に横には、立山警部補もいた。
「何だ!」
小原警視正が背伸びして、何が起こっているのか見ようとしている。
近頃の女は身長が高くなり、街路を歩いていても、小原には苦痛でしかない。
「この人出では、何も起こらないな。今日が最後だな!」
「はい」
立山警部補は長い髪をかき上げた。
「あいつ、この状況下で何をやる気なのだ?大体が、俺をこんな所に呼び寄せる必要があったのか?」
小原は愚痴った。このような状況で警備をやることは不可能であった。何を警備すればいいのだ・・・
(四個のチョコレートと言っていたが、どういう意味があるんだ?)
「あいつ・・・どうするつもりだ?」
あいつとは、もちろん九鬼龍作のことである。人ごみの中には男もいるが、中年の女が多い。
作品を見て、あれこれ話し、笑い、互いに批評し合っている。小原には、あいつらが本当に作品の良さが分かっていて、話しているのか首をひねってしまう。
龍作は白昼、堂々と盗む。
「あいつは、そういう奴だ。こんなものを・・・」
菓子・・・チョコレート菓子を盗んで、どうするつもりだ。
「おい・・・」
立山警部補がいない。
「あいつ、何処へ行った?」
小原はごった返した人での中を見回し、立山奈々子警部補が探した。
だが、彼女は何処にもいない。
「あいつ、何処へ行った?」
あいつは・・・消えてしまった。もちろん、何人かの警察官は私服姿で会場内にいることはいる。
その時、
ざわついた会場の中に、一瞬静寂が生まれる。
「何だ!」
ある場所に人だかりが出来ている。小原は行って見ることにした。
すると、そこには奇妙に着飾った中年の女がいて、チョコレートの作品を見ながら微笑んでいた。
「これは主人の作品で、私のアイデアもたくさん入っているんですよ」
高橋香美シェフの妻である強子が真っ赤な口紅をぬった口を大きく開け、自慢気に微笑んでいる。だが、次の瞬間、
「何ですか・・・これ!」
怒りをあらわにした。
「これは、主人の作品ではありません。まして、私のアイデアでもありません。誰か・・・人を、あの人を呼んでください」
と会場内に響き渡る声で叫んだ。
騒めきはさらに大きくなり、収まる気配はない。
「ああ、ああいうの、俺は一番気にくわないな」
ところで、チョコレートの作品だが、十五ミリの立体形のものが四つ並べてあるだけだった。周りはチョコレートで塗り固められているようだが、中身はそれぞれ違っていた。説明には、高級なシーチキンが入っているのもあるようだった。ビーフだったりも、入っている。そんな感じのチョコレートらしかった。
「こいつ、何を考えている!」
小原は正統派の人間だから、見当違いの行いをやる奴を極端に嫌う。
それにしても、この女・・・気が強そうに見えた。ということは、化粧や服の様子からも、このチョコレートを制作した奴は、絶対にこの女の尻に踏ん付けられている違いない。こんなことを考えていると、小原は結構楽しい気分になって来た。
だが、さらに現場は混乱する事態が起こった。高橋香美シェフの妻らしき女が、もう二人現れたのである。
「何に?高橋香美シェフに・・・それともシェフの妻、強子に?強子が三人・・・」
対面する。香美シェフでさえ本物がどれか見分けられない。立山警部補がいない。
「あいつ・・・何処へ・・・」
小原は人を掻き分け、前に進み出た。
「何が、怒ったんだ?」
と、言った後、小原は驚いた。眼の前に、同じ顔をした女が三人いるではないか・・・
二つの疑問に答えるべき人間が、この場に一人としていなかった。
「いない・・・」
と思ったのは、立山警部補が・・・である。
そこへ、当の高橋香美シェフが現れた。
「何だ・・・」
当の高橋香美シェフも、三人の自分の妻を見て、戸惑っている。この場にいる人も同じである。
「あなた」
三人の妻が同時に夫である高橋香美シェフの名前を呼んだ。だが、彼は、そこに展示されているチョコレートに気付いた。
「違う。これは、私の作品ではない」
と、高橋香美シェフが言い出したのである。
「郷田、郷田はいるか!」
高橋香美シェフは厨房の方に向かって、叫んだ。
「そうですよね、あなた。これは、あなたの作品ではないですよね。私のアイデアではありませんよね」
「そうですよね」
「そうですよ」
周りは何が何か分からない状態になってしまった。この時、一人の高橋香美シェフの妻が何処かに消えたのを、小原は気付かない。
会場内の人たちも騒ぎ出した。その中で、最も苛立っていたのは、小原警視正である。
「郷田は・・・」
高橋香美シェフはこう言うと、ガラスのケースを取り除こうとした。
この時、
会場内の明かりは消え、真っ暗になった。急な暗転だったので、大騒ぎだ。
「周りのドアを開けろ!」
小原警視正が叫んでいる。
「開かない。開きません」
誰かが叫んでいる。男の濁声だ。ここに忍んでいた警察関係者なのだろう。
外の様子を窺うと、それぞれのドアに鍵が掛かっていて、高橋香美シェフの妻似の女がかつらを取り、その姿を現していた。立山奈々子警部補である。会場内の騒めきが外まで聞こえて来る。
「もう、いいかしら」
立山警部補がニンマリして、笑っている。彼女は手を上げた。小原警視正が会場内に警官を張り込ませていたように、龍作も警察ほどではないが、数人の仲間を、立山警部補を含め、次の準備をしていたのである。
会場内の明かりが点いた。
「何だねこれは・・・?」
奇声を上げたのは、小原警視正である。
ガラスケースは取り除かれ、仲の四個のチョコレートの内、一つが潰され、他の三つが消えてなくなっていたのである。そして、
潰されているチョコレートから水色に光るものが見えた。
「これは・・・」
小原警視正の眼の色が変わっている。
「俺は・・・こいつをはっきりと覚えているぞ。あの宝石だ。十七年前、東京の宝石店から消えた四個の宝石の内の一つだ。それが、なぜ・・・ここにある」
小原はそれを手に取った。
「重い・・・」
本物だろう。
小原はすぐに龍作の名前が浮かんだが、なぜか・・・あいつが、あの事件に関係しているとは考えづらかった。それなら・・・。
「郷田は、どうした!」
高橋香美シェフはすぐに厨房に走った。続けて、小原も後に続いた。
残った人たちは何が起こったのか理解できずに、ぞろぞろと会場内から出て行き始めた。
同じ顔をした女が二人、互いに顔を見合わせ、黙っている。しばらくして、
「あなたは・・・誰?」
もうひとりのあなたは、シェフの妻を見て、
「私は・・・あなたではありません。私は・・・」
私・・・彼、九鬼龍作は変装の化粧を拭い始めた。すぐに正体が現れ始めた。女だったのが、男に変わった。
シェフの妻強子は口を抑えた。かろうじて、声を張り上げずにいた。
「誰?」
妻は訊いた。
「九鬼龍作といいます。脅かして、謝ります」
「九鬼・・・」
立山警部補が走って来て、
「早く・・・行きましょ」
手で、裏出口を示した。
ピピッ
見上げると、ピックルが、こっちだよと呼んでいる。龍作は、
「行くよ」
と声を上げた。
小原は高橋香美シェフに続いて、厨房に飛び込んだ。だが、そこには郷田はもう誰もいなかった。アルバイトの少年が紙切れを持って来て、
「これを・・・」
といい、高橋香美シェフに渡した。
「郷田とは、誰だ?」
小原は怒鳴った。今の彼には、これといって理解出来ていることは何もなかった。ただ、この宝石が十七年前に起こった事件のものだということである。
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