第5話
つやは貞之助の菓子作りに対する、その情熱、意欲が好きになったし、貞之助が創る菓子も好きだった。若いということが一層その気持ちを大きくさせていた。
(ただ、冷たさが嫌い)
このことは、つやには禁句だった。そう思うことが禁句であって、少なくともつやは口には出さなかった。
つやの家は料亭、町田屋で創業四百年の老舗で、京都では知れわたっていた。つやの母である女将は、郷田貞之助を人目見て、怪訝な眼をする。
(この人は、私の家系には似合わない)
率直な女将の感想だった。そして、この感想を以後ずっと持ち続けて、半ば貞之助を憎むことになる。
「私がこの仕事に携わって、どの位たつと思うの。人を見る眼は誰よりも備わっているし、私の眼に狂いはない」
と、女将は言い切る。さらに、
「あの男は人の上に立つような度量の座った人間ではない。働いている従業員を人とは思わず、こき使い、最後には裏切り、捨て去る」
ともいう。
「それで・・・」
と、女将はつやにいう。
「あなたは、この子をどうするつもりなの?」
「きい・・・」
と、いい、貞之助は女将から眼を逸らす。
(この人・・・また眼を逸らしたわ。どういうつもりなのかしら?)
「あなたは、何をやっていらっしゃるの?」
女将は聞いた。
「はい、チョコレートの職人です」
貞之助はきっぱりと言い切った。
そこで、貞之助は持っている紙袋から、四角い箱を差し出した。一片十五センチほどの小さなものだった。
「何どす?」
「私の作品です」
というと、箱を開けた。
四個のチョコレートがあった。一個一個それぞれ特徴があり、
「まず、これは・・・」
貞之助は説明をし始めた。自信のある説明で、それは貞之助の表情を見ていて、良く分かった。
女将から見て、右上のチョコレートは、
その下のチョコレートは、
左上は、
その下は、
「ぜひ、一口、試食してみて下さい」
女将はつやを一瞥した。
つやは頷いた。
女将は手に取り、ゆっくりと口に運んだ。
そして、噛んだ。
「確かに、立派なもの・・・いや、おいしいどす」
貞之助の無愛想な表情に笑みが浮かんだ。それを見て、
「ふっ・・・」
と、女将は笑った。
つやにも貞之助にも、そう見えた。だが、持った印象は全く別物だった。
つやは、
(女将は、この人を気に入ってはいない)
と見た。ところが、貞之助は、
(気に入られた・・・)
と、感動をした。
「ありがとうございます」
と、貞之助は頭を下げた。
女将は貞之助の創った四個チョコレートの一個しか食べなかった。しかも、残った三個のチョコレートを、その場に残して出て行った。
つやには姉もいる、兄もいる、だから、つやがこの料亭を継ぐことはない。だが、そうかといって、易々と娘を不幸にするような男に嫁がせる気は毛頭なかった。
のだが、この子は・・・何の躊躇もなく子供をつくった。
(こんな所は、私に似てる・・・)
「女将、いや、お母さん・・・」
つやという子は一旦こうと言い出したら、そう簡単に折れないのを、母の女将は知っていた。だからこそ、最後まで・・・つまりいい男に嫁ぐまで見届けたいと強く思っていた。小さい頃から、何かと母から口出しされて、いつも嫌気を表に出していたつやなのだが、母女将も強情だった。
つやも負けてはいない。その母の気性を、つやも受け継いでいたのだ。つやは、このまま、
「突っ走る気・・・」
になっている。
(お母さんなんかに、あたいの気持ちなんて分かるはずがない。絶対に、あの人と一緒になってやる)
つやはこう断言した。でも、残念ながら、こう思うだけで、つやにはどうしたらいいのか、迷っている。実際、貞之助は夢があった。将来、秋田で小さくてもいいから、店を持ちたいという。つやは・・・ひょっとして京都の女だからかも知れないが、現実的だった。夢は見る。しかし、いざとなったら、潔く夢など捨ててしまい、現実の生活を選ぶ。
(今は、我慢するしかないか・・・)
つやには、女将の気持ちを読みぬいている。
だが、つやの気になるのは、貞之助との心のずれが目立ってきているという事実である。
「いつから・・・」
つやは呟く。
しかし、つやにはその時期がいつ頃なのか思い浮かばなかった。
(もともと、私たちは・・・間違っていたのかな?)
そして、今という時間が動いている。
京都府警の立山奈々子警部補に先導され、小原警視正は会場を見て回った。いくつもの和菓子の作品が並べられている。もう会場には入場者はいなかった。
明日十時にはまた和菓子好きの入場者が押し寄せて来るに違いない。
「奴は、なぜ俺を呼び寄せた?」
小原警視正が呟いた。
「奴・・・?」
訝し気に、立山警部補がいう。
「九鬼龍作のことだ。俺をこんな催物に呼んで、何をする気だ?」
さて、今日の九鬼龍作だが、トロッコ列車で紅葉を楽しんでいた。もちろん、ビビもランもいる。トロッコ列車はほぼ満席だった。乗客は・・・というより、観光客は紅や黄色に色づいた樹々に眼を奪われていたのだが、時々黒猫とコリー犬の方を向き、眼を奪われていた。
ビビを抱いていたのは、女性だった。二十歳代に見え、均整の取れた体をしていて、黒い髪を肩まで延ばしていた。白いスラックスに紺のブレザーを着ていて、可愛いというよりきれいと言った方がいいかも知れない。
「あなたの猫ちゃんですか?」
前に座っていた五十くらいで小太りの女が訊いて来た。
「ええ、ビビと言います」
と答えた。
すると、周りから、
「ビビ・・・可愛い」
周りが騒がしくなった。
トロッコ列車のなかは紅葉処ではなくなった。
「みなさい、お座りください」
髪の長くきれいな女が立ち上がり、
「紅葉を楽しんで下さい」
と、いった。
しっとりとした秋風がトロッコ列車の中を掛けて行く。体の中を通り抜けて行く爽やかな風であった。
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