第4話
郷田貞之助は秋田市からバスで一時間ほど山間部入った町で育った。町と言っても名前だけで、集落はまばらで、ひと昔前なら村と言った方がいい。高校は秋田市内まで通った。それ程勉強は好きではなかった。負けず嫌いということもあって、いくらか勉学に励み、一応進学校に合学した。
だが、貞之助はその高校を卒業すると、自衛隊に入った。家が経済的に、貞之助を大学にやる余裕がなかったからである。貞之助は三重県久居市にある陸上自衛隊に入隊した。そこで、六年勤め、金を貯めた。
秋田人の訛りに苦労した。
「おい、お前、何を言っているのか、分からんぞ」
貞之助は尻を蹴飛ばされても、耐え、我慢した。
長い、長い六年であった。
その後、二年フランスに渡り、菓子作りを勉強した。主に、チョコレート作りの修行をした。そして、日本に帰ると、京都に出た。
なぜ・・・京都なのか・・・彼にはっきりとした知識があったわけではないが、チョコレートと和菓子の和合が、いつしか彼の頭の中で目まぐしく動き回っていたようだ。
貞之助の頭のなかには、故郷が常にあった。
もともと貞之助はお菓子のシェフになり、自分の店を持ちたい。それは、漠然とした欲望で、チョコレートの職人ではなかった。彼の頭の中ではごっちゃになっていたのだが、その気持ちのまま突き進んで来た。
テラスのショーウィンドーに貼られた紙面に、
その深夜、京都駅は完全に闇となる。龍作の宣告が残されている
近いうちの、この四個のチョコレートを頂戴に参上します
という短い文面だった。
当然、警視庁の小原正治警視正に連絡され、彼が京都にやって来るという筋書きとなった。この事実は、もう関係者に伝わっていた。
「もう、そろそろここを出て行こう」
と、貞之助はいう。
「どうしてどす?」
「ややも出来たことだし・・・」
貞之助は言葉を飲み込んだ。
「やや・・・は関係ないどすよ」
つやは貞之助は睨んだ。
「問題は、私たちのことですえ?」
と、続けて、つやはいった。
「堪らないんだ、ここにいるのが・・・」
「何が・・・堪らないのどす?」
「君のお母さんが・・・」
貞之助は心の内を吐露したのだが、その眼は怯えていた。
「女将の何が・・・?」
貞之助は言葉に詰まった。
「はじめ、あなたは喜んだじゃないの」
「うっ・・・」
確かに、そうだった。
「あの頃、あなたには何もなかった。そう、お金も、よ。そこで、女将は、うちの離れが空いているから、そこに住めばいい。ぜひとも、そうしなさい」
貞之助は困っている。
(確かに、そうだった。あの頃、俺はまだまだ修行中で、何もなかった)
貞之助は黙ったままだ。
「そろそろ秋田に帰ろうと思うんだ?」
貞之助はまたいった。
つやの返事を待った。だが、
「だめどす」
即座に、つやは返答をした。
「なぜ?」
「分かっているくせに。まだまだ・・・よ。あなたの力は・・・」
言い及んだつやである。内心、もっと言う気構えはあったが、声を飲み込んだ。
しばらく沈黙があった。
どれだけかして、
「ふぅ・・・」
と、吐息をついたのは、貞之助の方だった。
「私・・・京都を離れたくないのよ」
「つや、何を言っているんだ。秋田で・・・私の大好きな故郷で私たちの店を持てたらいいわよって」
つやの表情は不満げだ。
「確かに・・・そんなことを言ったわね。でも、それは・・・昔のことどす」
「昔・・・そんな・・・」
「やや、こっちにおいで」
ややは母つやの手招きに、すぐに反応した。もう二歳だ。しっかりとした足取りで、母の元へ、やって来た。
「この子は・・・私が京都で育てます。ええ、育てますとも、立派にね」
郷田貞之助の顔色が変わった。
すぐに、つやが反応を示した。
「何ですか!言いたいことがあるのなら、言って下さい」
「この子は、私の子でもあるのだ」
「そうですよ。当たり前でしょ。それにしても、あなた、標準語、うまくしゃべれるようになりましたね。あったころは、まだまだ秋田の訛りが出ていましたけどね」
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