第3話
その少し前、京都の路面電車・嵐電の嵐電の車内。
二歳の女の子が黒猫のビビと眼が合い、笑った。
ビビも、前々からそうだったが、ちっちゃな女の子に興味があるのか、ショルダーバッグから顔を出しっぱなしだ。
嵐電の車内は紅葉シーズンに入り、混んでいた。ほとんどが観光客で、それでも地元の客だろう、降りて行き、運よくビビの前の席が空いていた。
若い女だが、二歳くらいの女の子の母親だろうか。若い母は、つやと言い、二歳の女の子は、ややという。その若い母が、女の子の耳元で、何やら呟いている。
こくり、と、ややは頷いた。
そして、ゆっくりと立ち上がり、ビビの前の空いている席までやって来た。
「いいどすか?」
龍作は笑みを浮かべ、頷いた。
つやは、電車の揺れに倒れないように、ややの小さな体を支えている。路面電車はよく揺れた。この日、初秋にしては、少し暑いくらいの日和だった。中には扇子で襟元に風を送っている若い女もいた。
「可愛いね」
ややは返事をしない。ただ、秋の日の輝きか眩しいのか、眼を細めていた。ビビはじっとややを見て、時々首を傾げている。
「触っていいですか?」
つやは龍作を見て、怪訝な眼をした。ちょっとおっかなそうに見えたのかもしれない。
龍作はコクリと頷いた。
「いいって、やや」
二歳の女の子は母に支えられながら、ビビの傍に来た。
そして、こわごわ小さな手を出した。
この時、ビビは、
ニャー
と鳴いた。
一瞬、怯えた表情をしたが、ややはビビの頭に手を置いた。そした、優しく撫でた。
ニャニャ
嵐電の車内の乗客は、誰もがこのやり取りに眼を奪われている。みんな、いい笑顔で微笑んでいる。
「名前は、何ていうんですか?」
「ビビって言います」
「まあ、可愛い名前ですね。ビビちゃん、こんにちは」
ビビはつやの顔を大きな目で見た。
ニャー
「ややも、ビビちゃんと呼んでごらん」
二歳の女の子は、母に促されて、
「ビビちゃん・・・」
といった。
ビビは、今度は小さな女の子を見て、
ニャニャ
と二度鳴いた。
離れた席から見ている父郷田貞之助は、この様子をじっと見ている。父らしい笑みを浮かべることなしに、無表情のままだった。
龍作は父親に時々眼をやり、その反応に注目している。
終点の嵐山の着くと、みんなが嵐電を降りる。
「どちらへ行かれるんですか?」
つやが訊いて来た。
「トロッコ列車に乗ります」
「そうですか。紅葉は、今が一番いい時期ですよ」
龍作は頷いた。
「ビビちゃん、また会えるといいね」
ビビはショルダーバッグから顔を出し、ややを見ている。余程、この小さい女の子が気に入ったようだ。
「きっと、また会えると思いますよ。けっこう、私の勘は当たるんですよ」
町田屋という老舗の料亭は、嵐山にあった。
今の女将は、みつえといい、四代目である。今五代目の町田さやが、若女将として修行をしている。
みつえには三人の子供がいて、長女のさよは女将見習いとして、町田屋で働いている。長男の大は大手銀行の京都支店で就職している。
女将のみつえは、この老舗の料亭を受け継ぎ、次の代に譲渡さなければならないという使命感が強かった。長女のさよにしろ長男の大にしろ、みつえの思い通りに育てたことになる。後は、気掛かりなのは、次女のつやなのである。
出来うるならば、京都の老舗の料亭に嫁がせたいと思い、女将のみつえは画策していた。のだが、
「私、この人と同棲するから」
と、ある時、こう宣言された。
まあ、それもいい、とみつえは思った。そう、
それも、一瞬・・・だった。
「どんな人なの?」
みつえは恐る恐る聞いた。というのは、小さい頃からとんでもないことを言い出す性癖があったからである。
「秋田の人だよ!」
つやは、きっぱりと言い切った。
この時、つやは気付いたのか・・・分からないが、女将のみつえが一種顔をしかめたのである。
みつえは気を取り直して、
「何をやっている人なの?」
と、訊いた。
「チョコレート職人」
「そう」
この後、みつえは郷田貞之助について、つやから詳しく聞いた。
女将のみつえは二人の関係を承諾したわけではなく、一旦二人は町田屋の離れに居住させた。そうしないと、つやは何を仕出かすか分からなかったからである。
ここに住んで、もう二年半になる。
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