第2話

そして。

その五日前。

JR京都駅に龍作はいる。

時間は・・・というと、午後の九時を少し過ぎている。

近くのホテルで、菓子博覧会が催されている。この時間にはもちろん閉まっている。その宣伝も兼ねて、京都駅ビルの二階のカフェテラスの中央に、日本で五本の指に入るといわれる高橋香美シェフのチョコレート菓子の一部の作品も展示されている。本来この博覧会は和を象徴するものであるが、特別に高橋シェフのチョコレートの作品も出品の運びとなっていた。菓子博覧会の宣伝効果も、というより若い女性を呼び込むための効果を大きな期待していた。

そこに、人だかりが出来ていた。チョコレートだからか若い女性が多い。それだれ充分宣伝効果があったということなんだろう。


その京都駅に警視庁の小原警視正が現れた。なぜか・・・ 九鬼龍作から、参上する、の警告があったのである。

 

《菓子博覧会》に参上する》


 という簡単な文面だった。菓子博覧会は二年ごとに催されるイベントで、会場は全国持ち回りとなっていて、今回は京都ということである。

 「あいつ、今度は、何をする気だ?」

 小原警視正は訝った。

 「可笑しな奴だ。あいつ、こんなことに興味があったのか?」

 小原は、こんな疑問を抱いた。

 ここ京都駅で小原警視正を迎えに出たのは、京都府警の立山奈々子警部補だった。

 「ご苦労様です」

 立山警部補は定石通りの挨拶をした。彼女は長い黒髪を後ろで束ねていた。もちろん身長は小原警視正より高い。

 今日は、十月十二日の午後九時をすでに回っていた。

 今、小原と立山はカフェテラスの前で、展示されている四つのチョコレートを見ていた。

 「警視正、見て下さい。四つとも宝石みたいに輝いていますね」

 立山警部補が四つのチョコレートに見惚れている。

 「宝石・・・」

 小原は何かを考える風な眼をしたが、すぐに首を振った。どうやら思い出したくない事柄があるように見えた。

 そんな小原正治警視正を見て、立山警部補はニヤリとしている。

 小原は立山警部補を見上げ、何かを言おうとした。

 その時、京都駅ビルの明かりが突然消え、暗闇になった。この時期だから、陽が沈むのも早く、おまけに今日は曇っていて余計に暗闇さを増した。外のビルのネオンの明かりは消えていないが、オフィスはもう誰もいないのだろう、真っ暗だった。この辺り全体が闇に包まれてしまっていた。幕末ならこんな暗闇には慣れているのだろうが、現代人はそうはいかない。

 こんな時間の京都駅だから、まだ行き来する人は多く、絶えない。騒めきは大きく起こった。

 「何だ!何が起こったんだ?」

 小原の声が響く。

だが、明かりはすぐに回復し、元の京都駅の明るさを取り戻した。ほんの四五秒のことである。

「おい!」

立山警部補はすぐに反応した。

「少しお待ちください。すぐに調べて来ます」

その間、小原の眼はガラスのケースの中のチョコレートに奪われた。

「宝石か・・・ふん、こんなものに・・・そんなに価値があるのか・・・俺には分からん。俺だったら一口で平らげとしまうが、九鬼龍作・・・俺を呼んでおいて、何をする気だ?」

四五分もすると、立山警部補が戻って来た。

「調べましたが、原因は分からないようです」

「そうか・・・会場の方に行くか」

立山警部補が先に立った。彼女は身長がそれほど高くない。といっても、いい体系の女子だった。

「分かりました。こちらです」

 

 一人の男がガラスケースの中のチョコレートを見ている。こんな時間のせいか、取り巻いていた女たちの数は少なくなった。

 小原警視正は一瞬立ち止まり、その男を鋭い眼で睨んだ。

 「どうしました?」

 立山警部補が訊く。

 「いや、何でもない。行こう」


 男の名前は、郷田貞之助。三十二歳。身長は意外と高く。肌が白い。どことなく冷たい感じがするのは、気のせいか・・・。

 時々顔を上げ、辺りをキョロキョロと見ている。

 誰かを待っているようだった。

 「・・・!」

 郷田貞之助の顔色が変わった。

 手を上げ、ここにいる、という合図をした。

 女は独りではなかった。二歳くらいの女の子を抱いていた。この時間なら寝ているのだろうけど、どうやら子供を預ける人がいないのかもしれない。

 「やや、ねむそうだね」

 貞之助はややの顔を覗き込んだ。

 笑った。だが、眠そうだった。若い母であるつやの眼にも、そう見えた。つやは、まだ二十歳を過ぎたくらいに見えた。

 「どうしたの?さっき真っ暗になったけど・・・」

 「分からない。どうしたんだろう!」

 素っ気ない返事が返って来た。

 つやは男を睨み付け、不機嫌な顔を向けた。

 この男の大嫌いなところだった。

 (もっと気持ちのいい笑顔を見せられないの)

 だが、つやは、何も言わない。

 「貞之助さん・・・」

 つやは疑念の眼を向け、逸らさない。

 つやは子供を抱き直した。

「その眼・・・ややに向けないでね、堪忍しておくれやす」

 つやは冷たく、言った。

 「いや、僕は・・・何も・・・」

 貞之助は口ごもった。

(いつから、俺は、こんなに気弱になってしまったのか?俺は元々無愛想だが、笑う時には・・・笑う・・・?)

その瞬間、この女との四年間の出来事を思い巡らした。つやと貞之助の年齢差は、十歳だった。初め、

(俺は、この子が好きだった。もちろん、今も好きなんだが・・・)

この気持ちは今も変わりない。

「お父さんの所に、おいで」

貞之助は両手を差し伸べた。だが、ややはつやの胸元に顔を伏せた。

「どうしたの?」

ややは首を振る。振り向き、父親の方を向こうとはしない。

「やめておくれやす!怖がってるわよ止めておくれやす」

つやはややを強く抱き締めた。

「行きましょ」

つやは先に歩き出した。

「菓子博覧会に行くんでしょ」

「今日は、もういい・・・」

貞之助は戸惑う。待ち合わせの時間は、午後七時だった。

「いや、もう終わっているんだ」

つやは京都駅の大時計を見ると、午後の十時になろうとしていた。

「来るのが遅れたのね。ごめんなさい。じゃ、帰りましょ」

つやは素っ気なく言い、さっさと歩き始めた。


 その頃、菓子博覧会会場に小原警視正と立山警部補がいた。もう来場者は一人もいなかった。

 「ここにも、あるな」

 会場内は甘い匂いで充満していた。入り口の所には、京都駅にあったチョコレートと同じものが展示されていた。

 「見て回りますか?」

 立山警部補が警視正の反応を気にした。彼女は、この人が不快な顔をし続けているのに気付いていた。

 「止めとく」

 とだけ、言った。

 「今日は、このまま帰る」

 小原は実に不快だった。

 俺が必ず九鬼龍作を捕まえる。      

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