第13話 姉妹それぞれの罪
まずいなあ、と思う。
わたしたちが公爵の娘であることを知っている人間なんて、この街にはいないと思っていた。
このリトリアまで、王都の人間はほとんどこない。
なのに、現実には一人いた。
街の住民だって、数万人はいるのに、ばったり会ってしまうなんて。
セレナは同じ暗殺者仲間で、仲も悪くはなかった。セレナは、没落した男爵家の娘で、王都の学園にもわたしと一緒に通っていたし。
わたしたちみたいな貴族の少女が暗殺者に選ばれているのは、理由がある。
貴族出身なら重要人物に近づきやすい。貴族社会のマナーも押さえているから、怪しまれにくい。
もう一つ、10代の少女なら、相手が油断するだろうということで、悔しいけれど、これは事実だった。
セレナが暗殺者になったのは、お金のため。
当主が病死して、領地は先代の借金のせいで失い、セレナはかなりの貧乏生活を送っていたらしい。
本当だったら、学園に通うこともできなかった。
けれど、もともとセレナの出身の男爵家は、フィロソフォス公爵家の分家だった。その縁で、公爵家の暗殺者部隊に拾われたというわけで。
そんなセレナが、どうしてここにいるんだろう?
けれど、どっちにしても、危険は排除しないといけない。
わたしはとっさに腰の剣を抜き放った。
ここで、この子は殺してしまうべきかもしれない。
お姉ちゃんが息を呑む。お姉ちゃんの前で、人を殺すのは避けたいけれど仕方ない。
でも、セレナもほぼ同時に、懐から短剣を取り出す。夕日が刃を照らし、きらめく。
あの短剣で、セレナも多くの人を殺したんだ。わたしと同じように。
セレナは微笑んだ。
「リディア先輩と戦う気はありませんよ」
「王家から言われて、わたしたちを殺しに来たんじゃないの?」
「私はもともと公爵家に仕えてた人間です。どうして王国の味方をするなんて思うんですか?」
「何が起こるかなんてわからないでしょう? わたしたちだって、ちょっと前までは王国の貴族だったんだもの」
「まあ、それはそうですけど。ともかく、大通りで話をするのはまずいでしょう? 他人に聞かれたくないこともあるでしょうし」
そう言って、セレナは路地裏へと足を踏み入れた。ついてこいということだと思う。
わたしとお姉ちゃんは顔を見合わせた。
お姉ちゃんは不安そうな表情を浮かべていた。
「あの子、ラルス男爵家の娘よね?」
「さすがお姉ちゃん。よく覚えているね」
わたしはちょっと驚く。お姉ちゃんの記憶力はすごい。わたしはお姉ちゃんのことも、セレナのこともよく知っているつもりだけれど、二人に接点はないはずだ。
有名人のお姉ちゃんと違って、セレナは目立たない子だったと思う。
それなのに、お姉ちゃんは名前を覚えている。
お姉ちゃんは肩をすくめた。
「公爵家の分家の子だもの。でも、あの子も私たちのことを知っているわけよね?」
「うん。でも、大丈夫……わたしたちの敵になるなら、殺しちゃうから」
わたしは言ってから、はっと口を押さえる。
相手は見た目はただの女の子だし、殺すなんていうべきじゃなかったかもしれない。
お姉ちゃんに嫌われたら、どうしよう? わたしはお姉ちゃんの顔色をうかがったけど、お姉ちゃんの翡翠色の瞳は澄み切っていて、わたしへの嫌悪は読み取れなかった。
わたしはほっとする。
でも、セレナを殺すにしても、事前にお姉ちゃんに言う必要はない。
わたしが一人で決めて、一人で実行すればいいんだ。
わたしは微笑む。
「行こう」
ともかく、セレナと話してみないといけない。
じめっとした路地裏の途中で、セレナはこちらを向いて立ち止まっていた。
セレナは楽しげな表情で言う。
「まさかこの街に来ているなんて思いませんでした。リディア先輩とソフィア様が、国を追放されたってことは知っていましたけど……。そちらはソフィア様ですね?」
わたしは何も返事をしなかった。セレナもソフィアお姉ちゃんと話したことはなくても、顔を知っているわけで、ごまかせない。
公式には、わたしたちは辺境の街コンスタンツァに追放されることとなっていた。
わたしたちの死を望む誰か――たぶん王家は、わたしたちを殺したつもりでいる。でも、それは一般には知られていないことだ。
どっちにしても、わたしたちはコンスタンツァに行っていることになっている。セレナがここにわたしたちを殺しに来るはずはない。
わたしたちも、跡をつけられないように工夫したし、もしわたしたちの跡をつけることができるなら、道中で襲えばいい話だ。
だから、冷静に考えれば、たしかにセレナはわたしたちを襲いに来たんじゃなくて、偶然、会ったのだとは思う。
「そういうセレナこそ、こんなところに何の用事?」
セレナは微笑んだ。
「任務の内容を言えないことは、同じ暗殺者のリディア先輩なら知っているでしょう?」
しまった。
お姉ちゃんが「暗殺者?」とつぶやく。これだと、わたしの正体がバレちゃう。
わたしは慌てて、セレナを止めようとしたけれど、遅かった。
「リディア先輩はすごいですよね。公爵令嬢なのに、魔術と暗殺術を学んで、一流の暗殺者になって、何十人も何百人もの人を殺してきたんですもの。それも、姉であるソフィア様を守るために」
「ち、違う! ……お姉ちゃん、今のは……」
もう遅い。
ソフィアお姉ちゃんは、わたしの正体を知ってしまった。セレナがなんで、わたしの正体をバラしたのかはよくわからない。
任務のことが極秘なのと同様に、暗殺者であること自体も極秘だ。
たとえ、それが公爵家の長女が相手であっても。
でも、セレナのことなんて、今はどうでもいい。
わたしは冷酷な人殺しだ。お姉ちゃんが……そんなわたしのことを知ったら、わたしの憧れていた仲良し姉妹にはなれないかもしれない。
わたしは怯えて、お姉ちゃんを見つめた。
仮に目の前のセレナが敵になっても、何も怖くない。セレナは実力者だけれど、戦うことに変わりはない。
でも、お姉ちゃんに嫌われるのは、怖かった。
それは、わたしの存在価値を否定されることと同じだ。わたしはお姉ちゃんを守るために生きてきたのだから。
ソフィアお姉ちゃんは、わたしを翡翠色の瞳で見つめた。
「暗殺者って、どういうこと?」
わたしは観念して、お姉ちゃんに事情を説明した。もともと、わたしは魔法剣士兼暗殺者として育てられてきたこと。お姉ちゃんの護衛を影から務めてきたこと。
お姉ちゃんはびっくりして固まっていたけれど、しばらくして、ソフィアお姉ちゃんは優しく微笑んだ。
「そっか……そういうことだったのね。ありがとう、リディア」
「え?」
「どうしてリディアがあんなに強くて、私を守ってくれるのか、不思議だった。でも、今、理由がわかってほっとしているの」
「わ、わたしは……何人もの人を殺してきたんだよ? ここに来るまでだって、三人も人を殺しちゃった。お姉ちゃんは、わたしのこと、怖くないの? 嫌ったりしないの?」
「全部、私のためだったんでしょう? あなたのことを怖がったり、嫌ったりする理由はないわ」
「でも……」
わたしはうつむいた。お姉ちゃんがわたしのことを許してくれても、できれば、お姉ちゃんには、わたしの正体を知られたくはなかった。
ただの仲良し姉妹でいたかった。
そんなわたしの手を、お姉ちゃんは握る。
わたしがびくっと震えて見上げると、お姉ちゃんはまっすぐにわたしを見つめた。
「私もね、人を殺そうとしたことがあるの」
お姉ちゃんは静かにそう言った。
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