第6話 敵襲

 まどろみながら、昔の夢を見ていた。

 

 わたしは――リディア・フィロソフォスは、幼い頃から、いらない子だった。


 公爵家の次女といっても、愛人の娘だったから、お父様もわたしの扱いには困っていたようだった。

 おまけに、わたしのお母さんも、わたしにはさっぱり無関心だった。


 ソフィアお姉ちゃんのように、わたしは期待されたり、望まれたりする存在ではなかった。


 そのままだったら、わたしはずっと屋敷の隅で育って、下級貴族の妻として厄介払いされるか、修道院送りになっていたと思う。


 そうならなかったのは、公爵家お抱えの女性魔術師が、わたしのことを弟子にしたいと申し出たからだ。


 わたしに無関心だった公爵家の人たちは、特に反対もせずにそれを許した。


 その女性……わたしの師匠は、わたしに才能があると言ってくれた。

 実際、わたしはぐんぐんと魔術が上達した。頭の回転もそれなりに早いほうだったと思う。


 そんなわたしを見て、利用価値があるとお父様は思ったらしい。


 そして、わたしは公爵家の身内の人間でありながら、魔術を使って身を立てることとなった。

 貴族の庶出の娘として、怪しまれず、高貴な人々に近づき、そして暗殺を行う。 

 

 同時に、わたしに課せられたのは、異母姉であるソフィアを守ることだった。


 わたしはずっと、影からお姉ちゃんを守ってきた。


 お姉ちゃんは、わたしにとって憧れの存在だった。


 わたしの持っていないすべてを持っている存在。

 それがソフィアお姉ちゃんだった。


 ソフィアお姉ちゃんは、美しく、聡明で、高潔で、不正を許さなかった。

 未来の王妃として、みんなから期待されていた。


 わたしはそんなお姉ちゃんに嫉妬心を持たなかったわけじゃない。


 わたしは魔術を覚え、暗殺者として育てられたのに、お姉ちゃんは生まれながらに、みんなからその存在を肯定されている。

 わたしはお姉ちゃんが羨ましく、まぶしかった。


 でも、お姉ちゃんへの負の感情は、11歳のときにすっかりなくなってしまった。

 

 きっかけは、些細なことだった。

 わたしは、中庭で魔法の練習をしていて、それを見たお姉ちゃんがわたしに声をかけてくれた。


 そのとき、普段は話さないお姉ちゃんが、わたしの魔法を褒めてくれた。そして、「リディアは、私にはないものを持っているわ」と言ってくれた。


 それから、わたしは――。 


「……リディア」


 わたしの名前を呼ぶ声に、わたしは目を覚ました。


 少し固いベッドの上に、わたしは寝ていた。そして、同じベッドに、ソフィアお姉ちゃんがいる。


 逃亡途中で、無事に近くの小さな街について、わたしたちは宿に泊まっていた。

 お姉ちゃんがわたしの服も用意してくれて(しかもけっこう可愛い服!)、怪しまれずに済んだ。


 ボロ布で宿に入るわけにはいかなかったものね。

 ちゃんと寝間着も用意したので、今は二人とも薄手の寝間着姿だ。


 ただ、お金は節約しないといけないので、ダブルベッド一つの小さな 部屋を借りている。

 おかげで同じベッドで寝ることができるんだけどね。


 お姉ちゃんは、不安そうに、翡翠色の瞳でわたしを見つめていた。

 わたしは微笑む。


「どうしたの? お姉ちゃん?」


 お姉ちゃんはもじもじと、恥ずかしそうに顔を赤くした。

 わたしはぴんと来る。


「眠れないの?」


 ソフィアお姉ちゃんは、小さくうなずいた。

 慣れないベッドの上で、しかも昼間は殺されかけて……眠れなくても当然だと思う。


 逆に、わたしは疲れのせいか、すぐ眠ってしまったみたいだった。

 お姉ちゃんが、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「こんなことで、起こしちゃってごめんなさい。本当は、明日に備えて、あなたも私もゆっくり休まないといけないのに」


「ううん。お姉ちゃんが隣にいるのに、すぐに寝ちゃうなんて、わたしももったいないことをしちゃったもの」


「あなたって……」


 お姉ちゃんは顔を赤くして、恥ずかしそうにした。

 照れてくれているのだと思うと、ちょっと嬉しい。

 

 わたしはいいことを思いつく。


「ね? 眠れないなら、抱きしめてあげよっか?」


「え? な、なんで!?」


「だって、お姉ちゃん、不安で眠れないんでしょう? わたしがすぐ近くにいれば、安心かなって」


「それはそうかもしれないけど……」


 お姉ちゃんは言ってから、しまったという顔をした。

 わたしはにっこりと笑う。


「あ、わたしのことを頼りにしてくれているんだ? それなら、抱きしめてあげる!」


「や、やっぱり、遠慮しておくわ」


「えー、どうして?」


「だって、あなた、なにか邪なことを考えていそうだもの」


「えー、失礼だよ、お姉ちゃん。わたしはただ、お姉ちゃんの体をじっくり触ってみたいなと……」


「やっぱり邪なことを考えている!」


 お姉ちゃんは叫び、わたしはくすっと笑う。


「冗談だよ。お姉ちゃん」


「あなたが言うと、冗談に聞こえないわ……」


 わたしは微笑んで、そっとお姉ちゃんに手を伸ばす。

 その金色の美しい髪に、わたしはそっと触れた。


 お姉ちゃんはびくっと震える。


「り、リディア……」


「嫌?」


「嫌じゃないけど……でも……くすぐったい」

 

 お姉ちゃんは、顔を赤くして、ぷいっと横を向いてしまった。


 わたしはふふっと笑って、お姉ちゃんの金色の髪を撫でる。

 それは、すごく綺麗で、とってもさわり心地が良い髪だった。


 今は、わたしだけが、お姉ちゃんに触れることができる。


 そして、わたしは、誰にも……アトラス王子殿下にも、わたしたちの敵にも、お姉ちゃんを渡すつもりはなかった。


 そのとき、部屋の床が赤く光り始めた。

 わたしの設置した魔法陣だ。


「な、なにこれ?」


「この部屋に仕掛けた魔法だよ。入り口のところに結界が張ってあるの。誰かが侵入するのを止めてくれるし、無理に破壊しようとしたら、警報音が鳴るって仕組み」


 実際、部屋には甲高い音が鳴り響いていた。

 これがあるから、わたしは安心して眠っていた。もし眠っていても、この魔法陣があれば、わたしを起こしてくれる。


 そして、今、敵の来襲を魔法陣が知らせてくれていた。

 わたしはお姉ちゃんからそっと手を離す。


 せっかくのお姉ちゃんとの時間だったのに。

 

 わたしは、ベッドから起き上がった。


 もし、敵が王国からの追手だったら? 


 わたしは自分の実力に自信があるけれど、でも、無敵ではない。

 勝てるかどうか、わからない。


 それでも、わたしは戦うしかない。

 お姉ちゃんが不安そうにわたしを見上げる。


「リディア……」


「大丈夫。わたしがお姉ちゃんを守るから」


 わたしは深呼吸して、そして、微笑んだ。

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