第四十一話 天契

 皇姫たちはそれぞれ温度こそ違えど、試験の結果について思うところがあるというのは同じのようだ。


 スセリという人帝国の皇姫はアウレリスの言葉を諌めたが、俺に対する視線は厳格なものだ。人帝国は魔法よりも科学が発達している国だというが、皇家に伝わる剣技は他国を圧倒するものがあり、『刀士』と呼ばれる剣士たちは個人戦力の集合体としては七国屈指と言われている。


 皇姫である彼女もまた、その腰に帯びている剣――おそらくこの形状が『刀』だ――を振るうのだろうか。見てみたいという思いと、一介の護衛が抱くには大それた考えだという思いが入り交じる。


 だが今は何より、魔皇姫アウレリスに注目しなければならない。種族からくる成長の早さは、十三歳という年齢からすると考えられないほどに魔力を充実させ、それを溢れさせないように抑え込む技術も洗練されている。


 他の皇姫たちは年下である彼女をたしなめようとするが、それを意に介さないアウレリスの態度は、決して自らの力を過信しているということではない。


 彼女たちは、それぞれ自分が最強であると自認している。今は竜皇姫リューネイアが突出していても、ずっとその状況に甘んじるつもりはない。だからこそ、入学時の序列についても厳正でありたいということだ。


『ロイド、貴方が思う通りにしていいのよ。さっきは目立たないようにって言ったけれど、そうしてしまったら皇姫殿下たちは……』

『母国に戻られてしまうかもしれない。そうと限ったことでもありませんが、一度は学園に入学すると決めてここに来られた方々がそうすることは、七国の関係を悪化させることにも繋がります』


 ずっと何も言わずに控えていたミューリアが、魔力感応で語りかけてくる。緊張している彼女を安心させたいが、薄氷を踏む状況であることは否めない。


『皇姫殿下の皆様が入学されるというのは、六国の皇帝陛下が決定したこと……でも、それよりも。送り出したご息女が入学を取りやめて帰って来られるというのは、お父様にとって容易に受け入れられないのではないでしょうか……』


 皇姫個人の意志で、入学を取りやめるまでには至らないだろうが、本人が拒否した場合に学園側がそれを無視することはできないだろう。


 セイバ教官は表情を動かさず、皇姫たちの話に耳を傾けている。レティシア教官は隣に立つセイバ教官の様子を伺ったあと、意を決したように口を開こうとするが――皇姫たちを前にして、たった一言が状況を破綻させる可能性もある中で、言葉を慎重に選んでいることが見て取れた。


『レティシア先生、少し話させてもらってよろしいですか』

『っ……ロ、ロイド殿……いえ、ロイド君。皇姫殿下の御前です、魔力感応とはいえ、秘匿した会話をここで行うのは……』


 先生はやはり、俺の魔力を見た時に驚いていた様子だったので、それを引きずってしまっているようだ。しかし敬称を使いかけただけで、一生徒として扱ってもらえたのは有り難いことだった。


『僕と先生のやりとりが外に知られることは、そうそうありません。そこは安心してください……僕はマティルダ副学長から、皇姫殿下が安全に学ぶことができるように協力してほしいと言われました』


 俺は魔力感応で先生に語りかける。それは、これからすることの許可を得るためだった。


『その件については聞いている。しかしこの場をおさめることに対して、ロイド君が何かの義務を負うべきと私は考えていない。皇姫殿下たちのやりとりを傍観しているだけで、何を言うと思うだろうが……』

『リューネイア殿下は僕を名指ししています。名乗り出なければ、殿下は決して納得なさらないでしょう』

『君の実力については、授業が始まればいずれ他の生徒も気づくことになる。それでも君は、試験において突出した成績を示すことを望まなかった。今後もそうであり続けたいのなら、教官としてその意志を尊重したい。埋没しようと試みてなお、特別科に所属するだけの成績を残しているのだから』


 誰にも気づかれていなければそれでも良かった。護衛が表に出る必要はない。


 だが、竜皇姫は気づいた。そして皇姫たちを同率一位とする試験結果にも納得していない。納得できなければ教室には入らない、それは特別科というクラスが成り立たなくなることを意味する。


「教官のお二人に、改めて質問させていただきますわね。竜皇姫の言うように魔力測定の結果が私たちに秘匿されているなら、その理由を説明してください。もしくは、それを受け入れろというのなら、こちらからも一つ条件を出させていただきます」

「アウレリス、私意による言動は控えなさい。必要ならここに五国の皇姫が揃っているのですから、意見の統一を図るべきです。本来なら、鬼皇姫のことも待つべきですが」


 エリシエルに制止されても、アウレリスは悠然とした振る舞いを変えることはなかった。


 自分よりも幼く見えるが、理性によって抑制された聖皇姫の言動を前にして、魔皇姫は扇子を開き、口元を隠して微笑む。


「あなたの国と私の国とでは『天契』が異なります。千年前の皇帝たちは、不戦結界が成立したあとに天帝と契約を結んでいる。休戦に向けて進むことを約することと引き換えに、それぞれの国が一つずつ、国家の信条を貫く自由を得た……」


 天帝――アルスメリアが六国に対して与えた休戦の代償を『天契』と呼び、六国がそれに応じて立てた誓いを『地誓』と呼ぶ。


「本来なら、天帝国は六国を属国にすることもできたでしょう。が創り上げた結界を、私たちは千年破ることができていない。許された方法で、許された道を、許された時間に通ることしかできないのです。それが指し示す事実は一つ……天帝はまだ失われておらず、生きているということなのですわ」


 ――それは、違う。


 千年の間に、結界で隔てられた国々で、事実が捻じ曲げられている。


 アルスメリアが崩御したあと、彼女は永久皇帝となり、天帝国には皇帝が不在となった。


 少しずつ、少しずつ。失われない結界に縛られて休戦を続ける六国の間に、疑念が生まれていたとしてもおかしくはない。


 記憶は摩耗する。アルスメリアの名は忘れられ、男女のいずれであったのかも曖昧になっていく。千年が経つとは、そういうことだ。


「……恐れながら、申し上げます。天帝国に皇帝が存在しないのは、天帝の地位を継承するお世継ぎがなかったためです。かの天帝が今もご存命であるというお言葉は、アウレリス殿下のお心遣いによるものと感謝いたします」


 この場にいる中で、天帝国で最も高い地位にあるミューリアが、代表して謝意を述べる。


 天帝国では、永久皇帝であるアルスメリアに奉じられるような祭儀は存在しない。今も神のごとき存在として、人々は天帝が生きていると信じる向きもある――しかし。


「ですが、天帝陛下は地上にはおわしません。不戦結界は陛下が御身を捧げて完成させたものであり、それが示す事実もまた一つのみです」

「……あなたは天帝国の方のようですが、教官の制服を着ていらっしゃいますわね。そのような立場のあなたが言うのであれば、今の発言については軽率だったと認めましょう。しかし天帝が今も生きているかのようにこの世界が動いているのは事実です」

「アウレリス殿、『天契』に基づいて何かをするという話のようだが……今の発言を聞く限り、天帝の生死すら疑う貴女が『天契』を持ち出すことには疑問を覚える。『天契』はそのまま、天帝と六国の契約を意味するのだから」


 人皇姫の指摘を受けると、アウレリスは豊かな赤い髪をかきあげ、そして答えた。


「今の発言は確かに私見ですが、誰もが疑問に思っているはずですわ。千年も続く結界を神の如き魔法の才で築き上げたというのは、あまりにも私たちの知る『魔法』の可能な範囲を逸脱している。それほどの魔法使いであれば、死すら超越することができてもおかしくはない。笑われてしまいそうですけれど、私はそう思っていますの」

「それなら最初からそう言えばいいのに。魔帝国が天帝国に攻め込もうとしてるんじゃないかって思われても無理ないよ?」

「ユズリハ、私もそう思ったけど言っちゃだめだよ。私たちは喧嘩をするためにここに来たわけじゃないんだし……まず試験結果のことがはっきりしないと、私たちもアウレリスの側につくしかないしね」


 アウレリスは七国の歴史をただ知識として学ぶだけではなく、自分なりに疑問を突き詰めようとしている。


 転生するまでの間、アルスメリアがこの地上から消えていたこと。その身体がどこにも喪われていたことは、俺が誰よりも良く理解している。


 しかし、そうではない。俺が七歳のとき、ミューリアは天に魂の行方を問う魔法陣を使い、この世界にアルスメリアの魂が存在することは示唆された。


 流離した、魂の光。それを俺は天帝国で見つけられなかったのかもしれないし、天帝国には一つも無いのかもしれない。しかし世界のどこかにあるなら、必ず見つけ出す。


「……あなたは、どう思いますか? 天帝国伯爵家、ロイド・フィアレス」


 不意に向けられた問いではない。アウレリスは話しながらも、ずっとこちらの様子をうかがっていた。


 昨日、聖帝国護衛のクラウディナと話したときには、『誰が試験で最高の成績を残したか』を悟っているのは竜皇姫だけのようだった。


 しかし今は、アウレリスも『俺』だと知っている。なぜ知り得たのかは、ジルドが魔帝国に属することから自ずと想像はつく。


「今回、魔帝国から試験を受けた生徒の中で、最も爵位が高い者……侯爵家のジルド・グラウゼル。彼を倒した者こそがロイド、貴方だと聞きましたわ。初めは自分で負けを認められずにいましたけれど、事実は事実……」

「それが理由で、ロイド殿を良く思っていないということなら、皇姫として恥じるべき狭量と……」

「エリシエル、綺麗ごとはそれくらいになさい。貴女もまた、皇姫の成績に関わらず横並びの順位とすることには納得がいっていないはず。昨日話したときにも強い反論はしませんでしたわよね」

「……他国の民に対して皇族の立場で圧力をかけるようなことは、望ましくありません。昨日の時点では、迷いがありました。しかし一晩考えて、今は学園の意向に従うと決めています」


 争いを好まず、民に対しても公正と寛容を是とする。聖皇姫に対してはそういった印象を持っていたが、その彼女でさえも、試験結果の秘匿に完全には納得していない。


「ジルドは一般科に配属されることを拒否しようとしていましたけれど、それは彼個人が決めることですから、どちらでも構いません。しかし……『魔皇姫』として、自国の貴族がどのような形であれ他国の貴族に破れたとき、通すべき信条があります」


 静かなままだったセイバ教官の表情に、緊張が走る。隣りにいるレティシア教官も。


 これからアウレリスが言うことを、二人は想像できているのだろう。勿論、それは俺も同じだ。


「魔帝国の天契は、『誇りに基づくものであれば闘争を許可される』ことですわ。今でも魔帝国では望んだ者同士が決闘を行い、貴族内での序列の入れ替えが起きています」

「……それは、戦うことでしか強さを判断できない種族だから。竜人族は序列をつけるために争ったりはしない。相手の強さは見れば分かる」

「竜帝国の天契は、皇姫であるあなたが闘争に臨むことを許す類のものではありません。この場にいる皇姫の中で、私だけが今、この場で申し込むことができるのです。ロイド・フィアレス、あなたとの手合わせを」


 手合わせというのは、あえて言い方を選んだだけだ。


 実質上は『決闘』そのもの。ジルドのかたきを討つという理由ではなく、魔皇姫個人の誇り――彼女が試験結果を受け入れるために必要な、通過儀礼。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る