第四十話 七国の縮図


 カノンは寝起きを俺に見られたということもあって、朝食の席で何か緊張しており、いつものように食べさせてくれたりはしなかった。


 そうなると、ミューリアもカノンに合わせて自粛しているのだが――出かける準備を終えて玄関ホールに姿を見せてからも、見るからに魔力が溢れかけている。


「母さま、これから皇姫様方と教室でお会いするのですから、その魔力は……」

「ええ、大丈夫……分かっているわ。ごめんなさいね、ちゃんと先生として切り替えるから」


 赤らんだ頬を押さえたあと、ミューリアは仮面をつける――外に出る魔力が一気に押さえられるが、それでも溢れそうになっていたりする。


「……お母様も我慢していらっしゃるのですね。申し訳ありません、兄様が私の恥ずかしいところを見てしまったばかりに……」


 なぜか悪者にされてしまっているが、ここは妹に早く気を取り直してもらうためにも、甘んじて好きにさせてあげるべきだろうか。


「いいえ、カノンちゃん。お兄ちゃんに添い寝をするのは悪いことじゃないわ。たとえ寝起きを見られて恥ずかしい思いをしたとしてもね、それは家族の勲章よ」

「家族の勲章……むしろ、誇りに思うべきということですか?」

「ええ。これからも私たちは、お兄ちゃんが巣立ちを迎える日が少しでも遅くなるようにしていきましょう」

「はい、お母様……!」


 この母娘はそろそろ誰かにお説教をしてもらった方が良いのではないだろうか、と思わなくもない。


「ソエルちゃんとコゼットちゃんも、途中まで一緒に行きましょうか」

「はい、奥様。猫の方はお留守番で大丈夫でしょうか?」

「さっき、首輪に鍵をつけてきたから。あれを持っていれば、この区画に入るための門は通れるし、遊び場にも移動できるわ」


 首輪といっても緩いものだが、俺の手でつけるとティートは特に抵抗はないようで、『必要なものだからな』と言っていた。


 騎獣は主人との結び付きが強くなると、契約に基づいて『召喚』などを行うことができるようになる。首輪などの装飾品を付けることもその一つだ。


 転生前に乗っていた竜との間には、契約という以上の感情があった。人間と竜でも関係はなく、俺は親友だったと思っている――最後に契約を解放したが、今もどこかに子孫がいて、どこかの空を飛んでいるのだろうかと想像する。


「お兄ちゃん、ティートちゃんは大丈夫よ。『猫の王』は獣帝国の『十二覇』だったこともあるくらい強い種族なんだから」

「『十二覇』……」


 千年前、確かに『猫』は『十二覇』に入っていた。『百獣』と言われるほど獣人族は種族が多く、それぞれが氏族を形成していて、頂点に立つ皇帝が直属の十二氏族を束ねることで統治を行っている。


 『十二覇』が入れ替わることもあるだろうが、『猫』の氏族がそれほど衰退するというのは考えづらい。それとも、俺の想像を超えるような出来事が、遠く離れた獣帝国で起きていたのか――だからこそ、ティートは天帝国に流れてきたのか。


 つい考え込んでしまったところに、ミューリアがぽんと肩を叩いてくる。


「ティートちゃんの事情は、話したいと思ったときにお兄ちゃんに教えてくれると思うわ」

「やはり……天帝国にバスティートがいたというのは、何か理由があると考えるべきということですね」

「でも、猫様は兄様と一緒にここにやってきました。猫様は、ずっとあの森にいたいわけではなかったんです。ここにいたいと思ってくれているのなら、私は猫様ともっと仲良くなりたいです。猫様に昔どんなことがあったのか、それよりも大事なのは、今の猫様が幸せかどうかだと思います……っ」


 カノンが天使と呼ばれる理由を、こんなときに最も強く感じさせられる。


 ティートが天帝国にいた理由、ここに来た理由。それを確かめなければならないという義務感は、どれだけ取り繕っても、ティートとの間に壁を作るということになる。


 それよりも、まず騎獣として一緒に来てくれたティートに感謝すること。カノンが言うように、ティートがここにいたいと思ってくれているのなら、その気持ちを嬉しいと思うこと。昔のことを聞くなんていうのは、心を許せる間柄になってからでいい。


『……まったく。いつまでも玄関で話しているから、おちおち外に出られないではないか』


 外からティートが魔力感応で語りかけてくる。扉を開けると、ティートは前庭の木陰に座って、頬をこすりながらあくびをしていた。


「あ……す、すみません、猫様がいらっしゃるとは知らず、私、勝手なことを……」

『構うことはない。私のことを尊重してくれるという言葉は、素直にありがたい。身の上を話したくて、ロイドと契約を結んだわけではないのでな』

「それは……現状のところは、っていうことでいいのかな」


 ずっと秘密があるままというのは、大人であれば理解すべきだと思いはしつつも――しがらみを取り払って言ってしまえば、寂しいものだ。


『おまえがその強さの理由を私に明かしたら、私も気まぐれを起こすかもしれん。それくらいのものだ』

『ありがとう。可能性がないっていうよりは、随分と優しい答えだね』

『言っていろ』


 ぷい、とティートは俺から顔をそむけるようにすると、待っていられないというように先に門から出ていった。尻尾は立っておらず、ふわふわと宙に揺れている。


「兄様、猫様に何をおっしゃったのですか?」


 カノンが楽しそうに聞いてくる。俺は肩をすくめる他はない――強さの理由を明かすというのは、ヴァンスという名もアルスメリアの名も使わず、雲を掴むように実体のない話を聞かせることになる。


「僕はもっと、ティートと一緒に鍛錬をしなくちゃいけない。そういう話をしただけだよ」

「それも大事だけどね、お兄ちゃん。今日は、皇姫さまがたとの顔合わせがあるでしょう。気を引き締めて、失礼のないように……それと、注目を浴びないように。お兄ちゃんくらいの人材だと、他国がいつでも引き抜きを狙ってきちゃうんだから」


 そういった声がもしかかったとしても、丁重に断る以外の選択はない。


 ないのだが――カノンは何も言わないままで、俺の手をそっと握ってきた。


「兄様のことは私がちゃんと繋ぎ止めておきますので、何も心配はいりません」

「ふふっ……それじゃ私も繋ぎ止めに協力を……そんなにあからさまに逃げなくてもいいじゃない」


 ミューリアは普通に抱きしめようとしてくるので油断ができない。母親だからと甘んじて受け入れようものなら、脳裏に戒めの言葉が響いてくる。


 ――君は女神の彫像のような、起伏の大きな体型が好きなのだな。


 ――彼女に聞かせたら喜ぶかもしれない。初めは男というだけで怖がっていたが、君のことは認めているようなのでな。


 彼女というのは、アルスメリアの侍女のことだ。俺たちが転生したあと、彼女がどうしたのか――それは知る由もなく、アルスメリアがその後の身の振り方をどう指示したのかも俺は知らない。


「はぁ……先生としてお兄ちゃんに接していたら、お母さん焦れったくてもどかしくて、大変なことになってしまいそうよ」

「お母様、長くご指導を続けていただくためにも、学園ではしっかりお勤めをなさってください。私も応援しています」

「そ、そうね……こほん。あなたたち、襟を正しなさい。そして楽しくお話しながら、転ばないように足元に気をつけて、ゆっくり学園に行くのよ。歩き疲れたらすぐ先生の胸に飛び込んでいいわ。頑張っておんぶしてあげる」


 先生とは生徒に対して公平であり、時に厳しく、むしろ常に厳しめであるべきだということについて、昨日のうちに母に理解してもらうべきだった――さすがのカノンも困り笑いをしているくらいなので、ここは俺が道中で先生としての心得を説くべきだろう。


 ◆◇◆


 『碧海の区』において、特別科校舎は周囲を水路に囲まれており、そこに結界も敷かれているため、一般科と自由に行き来することはできなくなっている。


 しかし、校舎の大きさ自体は、特別科の少数の生徒だけが学ぶということに関係がない。皇姫が学ぶために改修がなされたのか、数年前から準備して建築されたのかは分からないが――この校舎の作りは、魔法学園が皇姫に見合う環境を用意しようとした結果として、まるで宮殿のようになってしまったのだろう。


 宿舎区から転移してきたあと、校舎まで続く長い石畳の道を歩く。前庭にはこの島特有の種なのか、特徴的な形の葉をつけた樹木が植えられている。和らげられた陽の光の中で、魔力で動く噴水が虹を作っている。


 校舎の入り口には軽装ではあるが、武装した女性が二人立っている。刃のある武器は持っておらず、長棒ロッドを持っているが、両者ともにかなりの手練れだ。ロッドには魔石がついており、魔法発動の補助に使うものと見てとれる。


 警備兵とあわせて『人形兵』が要所に配置されているので、警備の目が届かない死角は少ない。しかし完全とは言い切れないので、俺たち護衛と連携してくれると有り難いのだが――と思ったが、警備の女性は表情一つ動かさず、こちらに挨拶をする様子もない。


 話をするには、任務外の時間に接触する必要がある。しかし一国の護衛が警備兵に接触すると他国の警戒を招くため、まずは六国の護衛と一度は話す場を設けたい。


 そうすると問題になるのが、同盟下においても存在する国同士の対立だ。教室に入ればその場で学友というわけにもいかず、各国は互いにどう動くかと身構えているだろう。


 校舎一階、中央玄関から入ると、そこは広いホールとなっている。領内の学校をミューリアと一緒に視察したことがあるのだが、こんな作りの校舎はやはり見たことがない。


 そのホールから入ることができる教室もまた、1クラス分の人数が使うには広いようだ。そして、入り口がとても広い。どこからでも入ってくれという、壁を廃した作りだ。現状では魔法を利用しなければ実現できない、高度な建築様式である。


『……兄様、皆様は何かを待っておられるのでしょうか?』


 カノンが声に出さないのは無理もない。ホールの中で、ちょうど六角形の頂点に位置するように、皇姫と護衛がそれぞれ距離を取っているのだ。鬼皇姫だけは今日も不在だが、鬼帝国出身の生徒はこの場にいる。鬼皇姫の側近か、あるいは鬼帝国の貴族だろう。


 クラスには皇姫と護衛以外の生徒も配属されたはずだが、ここには姿を見せていない。俺とカノンは今日教室に来るようにと言われていたが、それは特例ということになるのか――それとも、天帝国に属する生徒が俺たちだけなら、自動的にこのクラスにおいて天帝国を代表する役割を担うことになるのか。


『僕たちを待っていた……やはり、そういうことになるのかな』

『兄様、いかがなさいますか……?』


 彼女たちが『自分より試験成績が上位だった者がいる』という事実を、到底看過することができないと言うのなら――この場に集まった理由など、一つしかない。


 俺たちが来たことに気づいてか、教室からセイバ教官とレティシア教官が出てくる。二人とも緊張した面持ちでいるが、セイバ教官はまず俺の方を見た。


 「申し訳ない」と唇が動く。事前に説明を受けていたので、こちらとしては了解していると応える他はない。


「皇姫殿下の皆様に、改めてご挨拶を申し上げます。私はセイバ・ミツルギ、魔法戦術を担当する教官です」

「私はレティシア・プリムローズと申します。魔法理論を担当しております」


 二人が一礼しても、皇姫たちの中で礼を返したのは聖帝国、人帝国の皇姫だけだった。他の帝国では、皇族が他者に頭を下げることはない。魔皇姫アウレリスは、教官が話していてもずっと腕を組んだままでいる。


 ――皇帝が頭を下げることは、一人の個人としての行為ではない。


 ――三千万の民の誇りを冠として戴いている。それを決して忘れてはならない。


 それがアルスメリアの考え方だった。各国でそれぞれ考えが異なることについては、彼女は特に問題視していなかった。


 いつか各国が融和するために、一度結界という境界線を引いて仕切り直す。天帝国が全てを支配し、慣習に従わせる形の平和ではなく、彼女は互いを尊重し合うことを望んでいた――しかし。


 千年経っても、七つの国はまだ分かり合うことができていない。考え方の違いが、そのまま他種族と相容れない理由となっているままだ。


「……アウレリス、腕を解きなさい。これから指導を受ける相手に対して、皇姫といえど敬意を示すべきです」


 聖皇姫エリシエルの声が響く。凜としたその響きは、決して声を張っているわけではないのに良く通った――鈴が鳴るような声とはこのことだ。


 エリシエルの問いかけにも応じず、不敵な笑みを浮かべていたアウレリスは、やがて腕を解いて返答する。


「六国の合議の結果として、私たちはここに来ました。帝位継承権を持つ者たちが学園という場で交流するという目的は、魔皇帝陛下のご意志としてもうかがっています……しかし、各国の代表を一つの場所に集めるというのはどういうことか。魔皇家の一員として、エリシエルを含めた各国の姫と無条件で馴れ合いのようなことをするのは主義に反すると、それははっきりと言わせていただきますわ」

「馴れ合いとは違う、互いに尊敬できる関係を作ること……それが教皇のご意志です。あなたも皇家の一員であるなら、皇帝陛下の決定を遵守すべきではないのですか」

「我が皇帝陛下は、何よりも優先すべきは魔帝国の誇りだとおっしゃるでしょう。全て納得したうえでなければ、同じ教室で学ぶなんてことはできませんわ。そうでしょう? リューネイア」


 アウレリスに名前を呼ばれた竜皇姫は、宝石色の緑の瞳に感情を宿さず――いや、どうやら想像していた以上に豪胆な人物ということに、今この場で気付かされた。


「……何か言った? 今、眠ってたから」

「目を開けたままで眠れるのも、竜人族の特徴とは言いますが……目蓋は閉じることをお勧めしますわよ」

「退屈なことを話してるから、眠くなっただけ。昨日確認したはず……魔力測定で、一部だけが感知できる高い成績を出した生徒がいる。『それ』を含めた順位を発表するべきと言った」

「リューネイア殿、同じクラスで学ぶ生徒に対して『それ』という言い方は感心しない。例え皇姫であっても、人を物扱いすることは許されることではないぞ」


 竜皇姫をたしなめたのは、人帝国の皇姫――長い黒髪を後ろで一つに結んでいる少女だった。


 彼女は男性のような服装をしているが、それは人帝国の皇家における正装の一つだからだ。その文化は千年前から変わっていないので、時間が流れても廃れない伝統ということか。


「スセリ、クラス委員っていうのにでもなるつもり? 話に聞いたけど、男女で一人ずつ選ぶんでしょ」

「きっとそうだよ、ユズリハ。スセリだとどっちが男の子か分からないけどね」

「……そのような安い挑発には乗らんと言ったはずだが?」

「二人で一人前の獣皇姫では、昨日言ったことも覚えていられないのですわね」

「……ねえ聞いた? クズノハ。アウレリスはあたしたちに勝てる気でいるみたい」

「そうだね、ユズリハ。怖いもの知らずってこういうことだよね」


 このホールは、まさに七国の縮図だ。一部の国同士には、いつ火がついてもおかしくない争いの火種がある――それは事実として、真摯に考えるべきことだ。


 皇姫たちは将来、各国を統治する存在になる。年齢が近いこともあり、七国にとっての中立地帯である魔法学園で交流し、友好を深める――それで全皇帝の意見が一致しているということなら、七国の関係は変わらないままなどではなく、変わろうとする動きが確実に出てきているのだと言える。


 しかし彼女たちには、皇帝たちの意向よりも優先すべきものがある。


 それは国家の威信を背負う者としての、誰よりも強くあるべきという誇りだ。

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