第二十六話 獣皇姫姉妹

 コロサリウムを出て、俺たちは次の試験が行われる会場に向かう。


「兄様、先ほどの場所が模擬戦に使えそうなのに、どうして場所を移動するのでしょう?」

「普段の授業で行う模擬戦なら人数が少ないけど、千人となると特殊な方法が必要になるんじゃないかな。それと、もう一つ……」


 港とクリスタル・コロサリウムがある区画と、俺たちが向かう区画は、歩いて渡ると五分ほどかかる橋で繋がっている。


 その橋の途中で、うなだれている男子生徒がいる。俺たちに気がつくと、彼は意を決したように向こう岸へと歩いていき――その姿が光に包まれ、消えた。


「兄様、これは……」

「……この橋で、一度選別されるっていうことだ。魔力が一定水準以上でないと、この橋は渡れない。短距離転移で、港に戻されてしまうみたいだ」

「そう……なのですね。兄様と私は、大丈夫でしょうか」

「ジルドたちが渡っているのなら、僕らも渡れるだろう。行ってみようか」


 カノンは少し不安そうにしている。俺の見立てでは確実に通過できるはずだが――橋の向こうを見てみると、無事に通った生徒たちが次の会場に向かっているのが見える。その中にはジルドたちらしき姿もあった。


「……兄様、手を繋いでもいいですか? そうしたら、何も怖くないので」


 目の前で生徒が脱落するところを見れば、何も思わないわけにはいかないだろう。


「橋を渡るまでだよ、カノン」

「っ……はいっ、兄様」


 もうそんなことをする年齢じゃないと言うのは簡単だが、そうしたらカノンはずっと遠慮したままになるだろう。


 夜会服ほど華美でないにしろ、二人とも貴族の正装で来たので、ドレス姿のカノンの手を引いていくと何かエスコートでもしているかのようだ。


「……ここから先は一斉に進みましょう。兄様、一斉にですよ」

「うん、分かってるよ。三、二、一……」


 橋の途中で一旦止まり、タイミングを合わせて踏み出す。無事に合格水準を達成できていたようだ。


「良かった……兄様の測定も、ちゃんとできていたのですね。兄様がジルド様がたに気を遣っていたので、どうなることかと思いました」

「この仮学生証はすごくよくできた魔道具だよ。魔法学園に入ったら、ぜひ作った人に会ってみたい」

「兄様は、もう学園に入ってからの目標を見つけられたのですね」

「まだ合格してないのに気が早いかな。カノンは何かやりたいことはある?」


 聞いてみると、カノンは少し考える仕草をする。そして俺をちら、と見ながら言った。身長の差があるので、自然に上目遣いになる。


「知りたいですか?」

「……もしかして、僕の思いもよらない目標があったりするのかな」


 そういうこともありうると思って聞いたのだが、そんな俺を見てカノンが嬉しそうにする。


「私は兄様に、毎日美味しいご飯を食べてもらうことと、兄様を起こすことが目標です」

「そ、それは……男女で寮が別にならないかな」

「兄様、分かっていてはぐらかしていませんか?」

「うっ……分かってるって何を?」


 カノンは人差し指を立てる。これは『カノン先生』になりきった彼女が、俺に何かを教えてくれるときの仕草だ。


「伯爵家の生徒は、従者か護衛を伴うことができます。兄様は私の護衛ですから、フィアレス家に貸与された宿舎で一緒に生活するしかないのです」


 そう――それはミューリアが俺に提案した、魔法学園に入るための条件だった。


『お兄ちゃんが、護衛としてカノンちゃんを守ってあげて。そうすれば、これまで通り二人一緒に暮らせると思うし……』


『私もついていきたいけど、しなきゃいけないことがいっぱいあるから。でも大丈夫、私はいつでも二人を見守っているわ』


 最後はいい話のようにまとめていたが、カノンは俺と二人で生活すると聞いたあと、なぜか数日間様子が変だった。俺を避けているようで、昔のように戻ってしまうのかと不安になった頃、ある朝顔を合わせたときには何事もなかったように落ち着いていた。


 一体何があったのだろう――思春期だから、兄と一緒に洗濯をするのが嫌とかそういうことだろうか。しかし今の上機嫌を見ると、そういう心配も要らなさそうで、妹といっても最も近しい隣人であり、全て理解するとはいかないものだと思う。


「兄様、自分の立場がおわかりになりましたか?」

「まるで悪役のお嬢様みたいなセリフだね……カノンには役者の才能があるよ」

「そういうひどいことを言う兄様は、もっと困らせてあげたくなります……でも、今は保留にしておきます。ここからもっと気を引き締めないと」

「そうだね。ところで、カノン……まだ手を繋いだままだけど」


 カノンはしばらく聞こえていないかのように歩くが、そっと手を外す。


「もっと気をそらしておけば良かったです……と言ったら、兄様はがっかりしますか?」

「しないよ。緊張しているより、リラックスできている方がいいからね」

「……兄様、時には私を怒ってみたりはしないんですか?」

「怒るようなことがないから……」


 歩きながらも、常に周囲に気は配っている。この場所で危険なことなど『ありえない』と思うのは、護衛にあってはならない大いなる油断だ。


 『ありえない』は『起こり得る』。森羅万象の一切が有為転変であり――と、護衛の心得を暗唱している場合ではない。


「そこの子たち、さっきから仲がいいけど、もしかして恋人同士?」

「ユズリハ、手を繋いでるだけで勘違いしないでよねって言われちゃうよ。今どきの子たちは進んでるんだから。あたしたちと比べて」


 ――獣帝国の皇姫と思しき、二人の少女。


 獣帝国では獣の毛や革を使った服装が伝統的だが、皇姫の身につけているものは見るからに稀少な毛皮で、それでいて身体の一部のように馴染んでいる。


 百の氏族の中から頂点を決める戦いを行い、獣皇帝を決めるという、魔法のみならず戦闘能力全般が重んじられる国。皇姫の着ている服は姫君としては大胆に肌が露わになっている部分があるが、それは動きやすくするための加工だ。


 ふさふさとした獣耳、尾、そして髪や瞳――全ての色が異なっているが、やはり双子なのか、顔立ちは寸分違わず同じだ。


「初めてお目にかかります、天帝国伯爵家のカノン・フィアレスと申します。こちらは兄のロイドです」

「お兄ちゃんなの? それにしては似てないね」

「そういうこと遠慮なく言っちゃだめだよ。何か理由があるかもしれないでしょ?」


 ユズリハの方は天真爛漫といった印象で、もう一人――クズノハと呼ばれた方は、ユズリハを窘める様子からも、落ち着いた性格のようだ。

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