第二十七話 獣皇姫姉妹・2

 皇姫が二人だけで学園の構内を見て回っているということは考えにくい。やはり護衛が少し距離を置いて待機している。皇姫二人とは違って全身が灰色の毛皮に覆われている、狼獣人――かなりの手練れのようで、距離を置いても圧が届いている。


 威圧されて動じないというのは難しい。俺はカノンと手を繋いだ間に、念のために準備しておいた魔法を発動させる。


 《第二の護法、『寂幕』――彼我を隔てとばりは降りる》


 周囲に畏怖を与えるような魔力を遮断する――カノンの力を考えると過保護ではあるが、この威圧を受けて無防備なままにしておきたくはない。


「ロウケン、同じ受験生なんだからそういうのは抑えて。あたしたちは妨害しに来たんじゃないんだし」

「……かしこまりました、ユズリハ様」

「この人たち、全然怖がってないけど。ロウケンって、獣帝国だと若手では随一の強さって言われてるんだよ?」

「道理で迫力を感じると思いました。皇姫殿下、遅れ馳せながら、お目にかかれて光栄です。妹から紹介にあずかったロイドと申します」

「初めまして、あたしはユズリハ・ティルファ。そういう堅苦しいのはいいよ……って言っても聞いてくれないかな」


 他国の皇姫に対して、もちろん礼を欠くことはできない。堅苦しいと言われても胸襟を開くわけにはいかない。


「あたしはクズノハ・ティルファ。先に生まれてきたからユズリハの姉ってことになってるけど、私達の間ではどちらが姉ってことでもなくて、対等な関係なの」

「素敵ですね、ご姉妹でお友達のような関係でもあるというのは」

「うん、あたしの一番大事な友達で、姉でも妹でもあるの。カノンは話が分かるね」

「そうだね、ユズリハ。カノンもロイドも一緒に入学できるといいよね」


 和やかな空気――だが、まだ気を抜くことはできない。彼女たち二人が話しかけてきたことには、おそらく何か理由がある。


「皇姫殿下たちも、模擬戦に参加されるのですか?」

「うん、それはね。全部の試験免除ってわけにもいかないし。リューネイアがいる手前、示しもつかないしね」

「そのことはいいの、ユズリハ。あたしたちと竜人族のことは、天帝国の人には……」

「関係あると思ったから来たんだよね。君たちから、強い獣の匂いがするの。あたしたちの感覚でないと分からないものだけどね」


 強い獣といえば、バスティートのことか。


 獣帝国において、バスティートはどんな存在なのか。それをティートに聞いたことは今までなかった。


 俺たちがバスティートに乗ってきたところを見られているにしても、そうでないにしても、今後のことを考えると曖昧に答えるのは得策ではないか――隠す理由も、現状では思い当たらない。


「領内の森に、バスティートが住んでいたんです。騎獣になってくれるようにお願いして、魔法学園まで乗せてきてもらいました」

「……天帝国に、バスティートが住んでたの?」

「ありえなくはないけど……天人族と契約して騎獣になるなんて。『猫の王』バスティートは、滅多に人を背中に乗せたりしないのに」


 皇姫二人が怪訝な顔をする――それだけで飽き足らず、だんだん距離が詰まってきている。敵意がないので退くわけにもいかずにいると、二人はくんくんと俺の匂いを嗅いでくる。 


「……嘘をついてる匂いはしないね、クズノハ」

「そうだね、ユズリハ。それならこの人、猫の王に好かれるような何かがあるのかな」

「何かいい匂いがするよね。これって、マタタビ……?」

「っ……いけません、クズノハ様、ユズリハ様! マタタビは猫族だけでなく、他の種族にも効果がある場合が……!」


 ロウケンが慌てる――寡黙な武人という振る舞いだったが、こうしてみると体格が大きい種族というだけで、少年らしいところがあるのかと思える。


「そんな慌てなくてもいいよ、匂いだけで酔っ払ったりしないし」

「あたしたちにはそんなにマタタビは効かないもんね。好きは好きだけど」

「時々、バスティートにマタタビ酒を贈っています。匂いがしたら申し訳ありません」

「マタタビ酒……あたしたちはまだ飲めないけど、美味しそうだね」

「姫様、他国の生徒に初対面で酒の話などはお控えください。獣帝国の品格に関わります」

「父上が一番飲んでるんだからいいじゃん、固いこと言わなくても。ねー、ロイド」


 ユズリハがおどけた仕草をして微笑む。皇姫という尊い身分でありながら、とても親しみやすいと感じる――そして。


 何か、もっと他に話さなくてはならないことがあるような気がする。


 獣帝国の皇姫に話したいことなんて、そうそう思いつかない。まして初対面で、俺は彼女たちのことも、自分がどんな立場で接するべきなのかも、はっきり分かっていない。


 フィアレス家の一員として、カノンの護衛として恥じないように――当然の礼儀を尽くす、今はそれだけしか意識できていない。

 

「ユズリハ、バスティートのことは聞けたし、そろそろ時間だから行かないと」

「あ、うん……ごめんね、こんなところで声かけちゃって。橋を渡ってきたところで話したいと思って待ってたんだ、あたしたち」

「皇姫殿下から声をかけてくださって、とても嬉しかったです。御学友になれるように、兄と一緒に頑張ります」


 カノンが言うと、ユズリハとクズノハが同じ表情をする。


 ――好戦的な微笑み。心から戦いを楽しみにしている、そんな目だ。


「もしあたしたちのどちらかと当たっても手加減しないでね。こっちも本気でいくよ」

「竜皇姫に当たったら気をつけて。あたしたち皇姫の中では、悔しいけどかなり強い方だから。他の子たちも強いけど、リューネイアは別格」

「ありがとうございます、肝に銘じておきます。ですが、皇姫殿下であっても、他の生徒であっても、力を尽くす所存です」

「……ロイド殿は並々ならぬ戦士のようだ。もしそれがしと当たったときも、互いに後悔のないように戦おう」


 ロウケンは右手を差し出してくる――俺が彼の威圧に動じなかったことで、一目置いてくれたようだ。俺は彼の手を握り返し、獣皇姫一行と別れた。


「兄様、お二人の目的は、本当に猫様のことだけだと思いますか?」

「どうだろうね……今のところは、それを信じていいと思うよ」


 ティートには獣皇姫たちのことを後で伝えなくてはいけない。


 模擬戦で皇姫と当たる可能性があるのか分からないが、もし当たった時には――生徒たちの中で明らかに突出している皇姫たちの力を目の当たりにできるとしたら、それは光栄なことだと思った。

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