第二十五話 測定不能

 ロイド・フィアレス。フィアレス伯爵家の養子で、カノン・フィアレスとは同じ年齢だが、生まれた月が早いので兄ということになっている。


 魔法学園に入学した暁には、カノン嬢の護衛を務めるということも願書に記載されていた。しかし試験は試験なので、護衛といえど合格水準を満たさなければ、入学を見送るということもある。


 試験官を始めて二年目になるが、去年はそういった事例もあった。従者が試験に合格できず、主人だけでは入学できないと辞退する受験生がいた。


 ――初め、ロイド君を見た時に、そのことを思い出した。


 『魔力なし』という言葉を連想した私は、彼が魔法の知識のみで事前審査の筆記試験に合格したのだろうと思い、最終試験には残念ながら通れないだろうと思った。


 しかし、目で見たものではなく、言葉にできない何かが、私に訴えかけてきた。


 ロイド君は魔力を持っている。水晶に投影されず、目に見えなくても、彼が何も持っていないとは思えなかった。


 魔力を抑制する試験のときは、私はロイド君の変化を感じ取ろうと懸命に集中した。しかし、何も感じ取れなかった。私から、抑制は終わったのかと尋ねた――補佐の二人がいぶかしんでいたが、それでも聞くしかなかった。


 そして、彼が魔力を最大まで解放したとき。


 ――その力に気がつけていない、彼の妹以外の受験生三人。そして補佐の二人を、私は羨ましいと思った。


 手の震えが止まらなくなる。これほどの生徒が、他国の生徒の挑発を受けても全く動じることなく、その爪を隠し続けていたのだから。


 補佐を先に行かせたあと、私はフィアレス兄妹の測定結果を見返す。


「……『瞬間』最小魔力……零……」


 魔法学園の学生証は、魔法使いの力を数値として記録するために作られたもの。


 試験官である私の声に応じて、魔力を測定する――高度な術式が組み込まれているが、これはあくまで受験生用のもので、動的な測定をするものではなく、『瞬間的に達した極限値』を記録するようにできている。


 あの兄妹は、ジルド君たち三人と補佐官二人が知覚できないほどの一瞬だけ、魔力を零まで抑制してみせた――学生証の記載は、その事実を示していた。


 皇姫を除いた993人の生徒の中で、『零』を記録したのは五名。皇姫の中にそれに匹敵する抑制ができる人物がいても、最上級の成績となる。


 平常時の魔力は、カノン・フィアレスは光の系統だった。その色は『琥珀白アンバーホワイト』――純粋な白に近いが、暖色がほんのわずかに混ざっている。明度は9、受験生の中では最高に近い。


 そして、ロイド・フィアレスの魔力の色は。彼の仮学生証を見て、そのまま書き写した結果は――。


「……『無色カラーレス』……?」


 この学生証で測定される色の名前は、多くの色が開示されている。数百の色の名前があるため、教官といえど全て覚えようとする者はいない。自分の受け持ちの生徒について把握できていれば、指導にあたるには十分だ。


 そんな考えは、言い訳にすぎない。


 私は見たことのない色の名前を前にして、自分がまだ学生であった頃のことを思い出していた。自分を凌駕する才能の持ち主に追いつこうと努力した日々。


 ロイド・フィアレスの力が、自分の理解の及ばないものかもしれない。そう感じた時から、私は彼を教師としての目線で見ることが難しくなっていた。


 情けなくも手が震えていた私を見る目は、十五歳の少年とは思えないほど大人びていて――いや、そんなことはいい。私の個人的な感想などどうでもいい。


「――なーに見てんのっ、レティちゃん」

「っ……せ、先輩、どうしてここに……」


 後ろから声をかけてきたのは、私が学生だった頃の先輩――ユユカ・アマナギだった。ダークブルーの長い髪に、鬼族としては大きいという角を隠す帽子を被っている。


 その種族と名前から『鬼天薙』という異名で呼ばれた、私より二年上の世代では最強と呼ばれた魔法使い。今では魔法学園の研究所のひとつを預かる所長となっている。


 私にとっては憧れの先輩。けれど、学園にいたときからなぜかずっと気に入られてしまっていて、私のことを愛称で呼び続けるなど、困ったところのある人だった。


「あ、やっぱりお昼寝から起きてきて良かったー。そろそろ優秀な実験台……じゃなくて、研究員が欲しいから、今年の受験生につばつけとこうと思ったんだよねー」

「駄目です。まだ、入学者の選抜が済んでいないんですよ。その段階での引き抜きは、各所に対して示しが……」

「ふふん、わたしが後ろにいつからいると思ってるの?」

「あっ……ぬ、盗み見をしたのですか? いくら先輩といえど、それは問題になります」

「まあまあ、取って食べようっていうわけじゃないんだし。ちらっとしか見えなかったけど、これは由々しき事態なんじゃないかなーって」


 ユユカ先輩は私の持っていた記録をあれよと言う間に受け取り、中を見てしまう。魔法学園の職員ということで、必ずしも違反行為ではない――けれど、この人が面白そうにしているときは、必ず何か突拍子もない思いつきをする。


「……このアンバーホワイトの子は、『A+級:50』……そうじゃなくて、さっきの、物凄いのは……」

「先輩……彼が魔力を測定するとき、何か感じたのですか?」

「どーかなー、気のせいかもしれないし、私寝ぼけてたから……うーん?」


 ロイド・フィアレスの記録を見たユユカ先輩は、怪訝な顔で首をひねる。帽子が落ちそうになり、手で押さえる仕草――それは学生の頃から変わっていない。


「『A+級:50』……? えっ、こんなはずないよ? レティちゃん、何か隠してない? これがアンバーホワイトの子のあとに測った子の測定結果? 同じ数値を間違えて書いたんじゃないの?」

「い、いえ、間違いありません。二人の生徒は同じ数値として出ていました」

「……あっ。仮学生証だと、ここまでしか測れないんだった。じゃあこの子たち二人、もう合格で良くない? 卒業したらわたしの研究所にちょうだいね」

「まだ模擬戦の試験が残っています。二人の魔力が極めて高いことは確かですが、試験は最後まで受けてもらわなければ」

「それ、お姫様たちもやるの? そういうことなら、わたしも見て行こっかなー」


 ユユカ先輩は私に記録を返す。そして、立ち去ろうとして――不意に、思い立ったように振り返る。


「……ロイド・フィアレス……ロイドちゃん。本当に欲しくなりそう」

「え……?」


 ――魔導器の水晶に、急速な変化が起こる。


 水晶の中に、さまざまな色の光が星のように煌めき――強まる光が、銀色に変わる。


「『無色』……やっぱりそう。全ての色になれる、あの方と同じ……」

「っ……ユユカ先輩、危険です! 魔導器が鳴動して……っ!」


 水晶に亀裂が入る。投影されていた光は消えて、魔導器は停止する。


 カノン・フィアレスの魔力を計測した段階で、わずかに破損はしていた。しかし、ロイド・フィアレスの魔力は――同じ数値として出ていても、同じではなかった。


 魔導器はロイド君の力を測りきれずに、水晶への投影を即座に行うことができなかったのだ。


「仮学生証だけでの測定じゃなくてよかった。魔導器での測定は、来年からも必須にしたほうがいいかもね。こんな子はそうそう入ってこないだろうけど」

「は、はい……しかしこの魔導器は……」

「記録を見せてもらったから、後でわたしが直してあげる。予算はかかっちゃうけどね」


 ユユカ先輩は無邪気に笑う。しかし、振り返ったときの彼女は――妖しささえ感じるほど、熱を帯びた目をしていた。


「……彼に何か言われた? ロイド・フィアレスに」


 私は答えられない。生徒から言われたことを、簡単には口外できない。


「レティちゃんは律儀なんだから……まあいっか。それにしても、ロイドちゃんが最後の最後で良かったね」


 一人になったあと、私は立っていられなくなり、その場に座り込んだ。


(……世界は広い。それは分かっていたつもりだったが……ロイド・フィアレス、あなたは一体……)


 割れた水晶が、陽光を浴びて煌めいている。


 ロイド・フィアレスが、なぜ力を一部の人間にしか悟られないようにしたのか。


 高すぎる壁を見て、登ろうと思う者が全てではない。彼は自分の力を自覚しているからこそ、同期で入学する生徒たちの壁にならないように配慮したのだ。


 しかし、片鱗は見せている。私と、私よりもロイド君の能力に着目しているユユカ先輩。これからも、学園に彼の能力を知る人物は増えていくだろう。


 彼はこの学園に新たな歴史を刻むことになるかもしれない。力を隠すだけでなく、然るべきところで皆が知るところとなれば――。


 次の試験科目である模擬戦で、ロイド君がどんな戦いを見せるのか。試験官として公正に見届けなくてはならないが、期待する気持ちを抑えるのは難しかった。

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