第十四話 星空の丘

 屋敷の西側には丘がある。地形としては、高台から屋敷の方を見られるというのは少し不利である――というのは護衛の観点からで、人払いの結界などのある程度の防衛措置が取られている。


 魔法を使うことのできる貴族は、領地を守るために人員を割いたり、柵や壁で囲ったりという以外の方法も取ることができる。フィアレス家の屋敷は壁で囲まれているが、敷地はその範囲よりもかなり広い――もちろん無限に領地を主張するわけではなく、先祖代々の土地のみが魔法で守られた領域となっている。


「母さま、本当にすみません。いつも仕事で大変なのに、こんな夜にお願いごとをして……」

「ロイドとなら、夜の散歩も楽しいわ。転んでしまうといけないから手を繋ぎましょう」

「はい、ありがとうございます」


 ミューリアは微笑み、伸ばした俺の手を握った。彼女の手はいつもならひんやりとしているが、今日は温かく感じる。


 その横顔を見上げるようにしてうかがい、思う――ミューリアは緊張している。


 フィアレス家の秘伝魔法が、それほど難しいものなのか。年季の入った革表紙は、その魔法書が数十年前に作られたものだと教えてくれる。


 フィアレス家の歴史の長さに比べて、比較的新しいようにも思える。写本を何度か繰り返してきたのなら、秘伝というのも頷けるのだが。


「その御本は、どれくらい昔にできたものなんですか?」

「これは私の父から受け継いだものなの。原書……最初の一冊が作られたのはもっとずっと昔だと思うけれど、正確なところはわからないわ。誰が書いたかは分からないけれど、フィアレス家にとっては大切なもので、載っている魔法はちゃんと今でも使えるのよ」


 ミューリアは俺の質問に丁寧に答えてくれる。難しい言葉を使うときは配慮してくれているが、俺が日頃から本を読んでいて大人の話も通じると言うと、疑うことなく信じてくれた。


 ――しかし、彼女は書斎で俺がアルスメリアのことを言おうとしたあとから、魔法で感情を外に見せないように抑制している。


 自然にしていれば桃色に見える魔力が、青みを帯びている。例え俺が言葉にできなくても、何かを伝えようとしていることを察して、彼女も心構えをしているのか――それとも、俺に心情を悟られまいとしているのか。


 いつも優しい笑顔を向けてくれる彼女が、自然体のままでいられないのは――やはり俺が無理な頼みをしたからなのか。考えは巡るが、進む足は止められない。


 やがて丘の上に上がると、地面に魔法陣が描かれている場所があった。その魔法陣に使われている文字は、天人族が魔法の儀式に使うもの――『転生の儀』の魔法陣にも含まれていたものだ。


「ミューリア母さま、この魔法陣は……」

「私たち天人族の『天』というのは、空とこの世界そのものを意味しているの。夜空には星が見えるでしょう。あの星の光は、本当はとても遠い場所にある光……それが、世界を覆う天蓋に映っているのよ」

「天蓋……世界がまとっている、幕みたいなものですね」

「そう。それがあるおかげで私たちは生きている。そしてあの天蓋には、星だけではなく、違うものが映ることがある。この世界に対して問いかけたことに、答えを返してくれることがあるの」


 ――『転生の儀』をアルスメリアが行おうとしていると知ったとき、俺はその秘儀の原理について、断片的な情報を得た。


 魂魄の再生を終えたあと、もう一度人として生まれるには、生命を生み出す根源に働きかける必要がある。


 世界に対して、もう一度生まれ変わりたいという意志を伝える。その概念を、転生の儀を行うときのアルスメリアは完全に理解していた。


「それは……神様がいて、質問に答えてくれるってことでしょうか」

「いえ……答えているのが神様かどうか、私たち魔法使いには分からない。魔法の力の起こし方はわかっているけれど、詠唱をしてその力に応えてくれるのが何なのか、それは分からないの。分からないけれど、今までの魔法をもとにして新しい魔法を作ることはできる」


 そうして生み出されたのが、この魔法陣――いや、これは試行の過程でできたもので、まだ完成に至っていない。


「……この魔法陣は、母さまが描いたものですか?」

「いいえ。ここに描いたものを、そのまま残してあるの。私にもう一度同じものが描けるかは分からないから。魔力で刻んだ文字は、誰かに荒らされたりしない限り長く残るのよ」


 ミューリアは魔法書を開く。そしてあるページを見つけると、声にしないように唇を動かす――詠唱句を確認しているのだ。


 そして、ミューリアは俺の手を取る。儀式に必要なのだろうかと思ったが、彼女は申し訳なさそうに笑った。


「ロイドが魔法の発動主ということにするには、必要なものがあるの。でも、ロイドの指に傷をつけて血をもらうのは、お母さんには……」

「僕なら大丈夫です。少しくらいの傷なら、すぐ治りますから」

「……本当なら、魔法のためでも痛い思いはしたくないものだから。我慢しなくていいのよ、私が治してあげる」

「はい。では……」


 ミューリアが貸してくれたナイフの刃に、親指の腹を当てる。うっすらと血が滲み、その一滴を、彼女の指示通りに魔法陣の上に垂らした。


 これくらいの傷なら放っておいてもすぐに塞がる。そう思ったのだが――ミューリアは俺の手を取り、治癒魔法で癒やしながら、こともあろうに俺の指を自分の口に運んだ。


「治癒魔法で治しても、血がついたままになってしまうから」

「ありがとうございます、母さま」


 傷はもう消えている。適性が高いわけではない治癒魔法をカノンと同じくらいに使いこなしているのは、やはりミューリアの努力の賜物だろう。


「……これで、『誰の』探したいものなのかを決められた。この次は……私が詠唱している間、探したい人のことを強く念じるの。準備はいい?」

「はい。お願いします、母さま……」


 空を見上げたあと、俺は両手を組み合わせて念じる。


 御簾の向こうにいるアルスメリア。鈴のように鳴る涼やかな声。


 揺りかごの中で眠る姿。最後に触れ合わせた手の感触――そして、交わした誓い。


 この世界のどこかにいるのなら、必ず見つける。


 世界を変えるために命を捧げた彼女が、望んでいたことはひとつ。


 戦いのない世界を見てみたい。それは、戦いのなくなった世界で生きたいということだと、俺は信じているから。


 《大いなる生命の根源に問う 星に刻まれた記憶を私は求める》


 《我が名はロイド・フィアレス 探し求める者の名は――》


 うたうようなミューリアの詠唱の最後に入る名前を、俺は口にすることができない。


 言葉にすることを禁じられたなら、思念すらも縛られるかもしれない。


 だが、それを恐れていても始まらない。声にすることができなくても、俺の中に記憶が残っているのなら――誰にもアルスメリアの存在を、消したりはできない。


「っ……これで、発動するはず……それなのに、どうして……」

「――母さまっ……!」


 魔法の発動が、何かに妨害されている。魔法陣に注がれたミューリアの魔力が、霧散させられかけている――しかし。


 自分の血を使い、魔法陣の発動主となった俺自身が、ミューリアの詠唱を再び重ねる。


 《大いなる命の根源に問う 星に刻まれた記憶を私は求める》


 《我が名はロイド・フィアレス 探し求める者の名は》


(――アルスメリア――!)


 祈りは届く。そう信じて、俺は彼女の名前を心の中で叫んだ。


 ――魔法陣が、発動する。風が起こり、丘の草原に波が生まれ、広がっていく。


 空を見上げると、そこには。今までどこにもなかった、小さな光が見えた。


「……あの光が、ロイド……あなたの探している人。その人が、この世界にいることを示している」


 同じ時代に、転生していてくれた。


 この魔法が見せてくれたものが、ミューリアの言う通り、アルスメリアの存在を示唆している――俺は、そう信じたい。


 しかし、天蓋に映し出された光は。


 閃光のように瞬き――そして、幾つもの光に分かれ、流星のように空を駆け、そして消えた。


「……光が……消えた……」

「消えてはいないわ。探し人を示す光が、『流離』をした……」

「……光が、七つかそれ以上に分かれたように見えました。母さま、『流離』というのは……」


 ミューリアはしばらく答えなかった。答えることを、迷っているように見えた。


 しかし、こちらを見る彼女は笑顔だった。感情を抑制する魔法で、心を覆い隠したままで。


「あの光は……六つに分かれた。ロイドの探している人は、六人いる」


 俺が探そうとしたアルスメリアは一人だ。しかし、ミューリアは六人いるという。


 それが何を意味するのかは分からない。『転生の儀』を行ったアルスメリアが、俺とは違う転生の仕方をしたのか――今は、どんな考えも推測でしかない。


 しかし、アルスメリアの魂魄が再生したとき、六つに分かれたのだとしたら。


 アルスメリアの魂魄の一部を持つ存在は、一人ではないということになる。


「……ロイド。世界のどこかにあなたの探している人がいる。私はできる限り、あなたの願いを叶えてあげたい……だから、探す方法を考えさせて」


 ミューリアは言う。彼女が何かを隠しているように感じても、その言葉には嘘はない――悪意も何も、俺は彼女から感じたことがない。


 道を示してくれたこと。俺の話を真剣に聞いてくれたこと。何もかも、感謝している。


「僕は母さまが、母さまになってくれたお礼がしたい。どれだけのことをしても足りないけど……僕は、フィアレスの家が好きだから」

「……そんなこと言って、いつか大きくなったら家を出ていっちゃうんでしょう? なんて、意地悪を言っちゃいけないわね」


 ミューリアは俺の頭を撫でる。誰を探していたのか、なぜ光が六つに分かれたのか。俺に聞くべきことは多くあるはずなのに、彼女は深く尋ねなかった。


「じゃあ……ロイドの探している人のことも少し分かったから、お母さんは一つロイドにお願いをしたいと思います」

「えっ……か、母さま……?」


 急に空気が切り替わって、ミューリアは俺を後ろから捕まえるように抱きつくと、耳元で囁いてきた。


「今日は久しぶりに、お母さんと一緒に寝ましょうね」


 頼み事をしたあとは、こういうこともある。感謝は言葉だけでなく、行動でも示すべきだというのも、護衛騎士の信条であるのは否めない。


 俺はミューリアに連れられて丘を離れながら、もう一度だけ振り返り、星空を仰いだ。


 小さな光は、もう見えない。しかし分かれた光の軌跡が、今も目に焼きついていた。

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