2話「幸せで幸せで仕方がない」

 7つの施錠をゆっくり解いた。重たい扉を開ける。岩と金属が擦れる音。“ソレ”は5年前と変わらぬ格好で、盆の上に載っていた。金色に輝く瞳。髪の毛のような黒い炎が頭から噴き出している。灰色の肌。妖しく湿った唇。聖水の浸った首に、右から左へと聖剣が刺さっている。女の生首は、悪雄に向かって口を開いた。

「誰かと思えば、ボウヤ。久しぶりじゃないか。息災であったか」

「黙れよ」

「つれないことを言う。待ちわびたのだぞ。ここは暇で暇で敵わぬ。外の様子を話して聞かせておくれ」

「・・・・・。」

「ずいぶん暗い顔をしているじゃないか。妾(わらわ)がいなくなって、世界は平和になったのではないのかえ?」

「・・・平和って、つまらないな」

「どこぞの魔王のようなことを言う!恐れ入った。これは笑いが止まらぬわ!その言だけでもあと10年はこうしていられるわ!」

 女の甲高い笑い声が、地下牢にこだまする。

「何かあったのじゃろう。聞いてやる、話してみるがよい」

「言うかよ。俺はただ、この真の勇者に敗北した、“元”魔王を笑いに来ただけだ。俺の・・・この俺の成果を自分の眼に確かめに来ただけだ!!」

「フフフ。それではもはや、答えを言ったも同然ではないか。なるほど。自信を失っているのだな。哀れよのう。かつて世界を救った最強の勇者が、その手で倒した魔王に泣きついてくるとは!」

「だまれえぇぇえええ!!」

 悪雄は女の額とこめかみをむんずと掴み、右手で聖剣をのこぎりのように引いたり押したりした。魔王は断末魔の悲鳴を上げるが、同時に笑ってもいた。

「そんなことで気が晴れるなら一生やっているが良い!貴様は妾に勝利したが、人生に敗北したのだ!これが笑わずにいられるか!滑稽!滑稽なり!勇者よ!!アーハッハッハッハ!!」

 怒りに我を忘れた悪雄は、盆に乗っていた生首を床にぶちまけ、力いっぱいに蹴とばした。魔王の頭が壁にぶつかり跳ね返る。返ってきた頭を、悪雄は再び蹴とばす。

「みじめ!哀れ!負け犬!敗残者!」

「黙れと言っているのが聞こえねぇかあああ!!」

 四度蹴とばしたところで、勇者と女の目線が合う。

「だが勇者よ。妾は貴様を救ってやるぞ」

「なにぃ!?」

「貴様の人生を救ってやる。貴様は元のように、栄光ある誉れ高き勇者となろう」

「どういうことだ」

「聖剣を抜け。取引をしようじゃないか」

「そんな言葉、信用するとでも思ったか?」

「もしも妾が裏切ったなら、また時を止めて妾の首に突き刺すが良い。簡単なことだ。妾ではそなたに勝つことはできぬ。貴様もそれをよく知っていよう」

「・・・・・。」

「英雄。勇者アシオ」

 甘美な声だった。長らく誰からも貰っていない言葉だった。欲しかった音だった。

「話だけ、聞く」



――1年の月日が経過した

「魔物だ!魔物の軍団が襲ってきたぞー!」

「早く英雄を呼べ!」

 ずんぐりとした緑色の巨人が三体、棍棒を持ちながら村を蹂躙する。腕を振るごとに家が粉砕かれ、瓦礫の山と化す。人々は逃げ惑い、在りし日の平和を思い出す。一時は、英雄たちに駆逐され、絶滅したかのように思われた魔物。魔王の権勢を顕す闇の権化。それらはある時から爆発的に復活し、再び世界は混沌へと誘われた。

「誰か来てー!助けてー!」

 女性の悲鳴が上がる。村の男衆は怯えて体が動かず、黙って見ているしかない。棍棒を振り上げる鬼。女の体が今にも乾物と同じ薄さにされそうになったその時、男は女の前に現れる。金色のマントを翻し、金縁の装飾が施された白い鞘の聖剣を携えて。風にたなびく長い黒髪。

「あれは英雄アシオ!!」

「勇者アシオ!!」

「ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!」

 村のあちこちから歓声と拍手が上がる。その偉大なる名を、声を涸らして叫ぶ。男は声援を受け、顔だけ振り返りにこやかに微笑む。

「俺が・・・英雄アシオだ」

「キャーッ!」

 女たちの黄色い歓声が上がる。男たちは悔しそうな顔をするが、英雄アシオが相手では仕方がない。諦めて英雄に拍手を贈る。

「魔物どもよ!我こそは、勇者アシオ!豪傑アシオ!我に手向かうなら容赦はせぬ!この聖剣の錆にしてくれるわ!」

「キャーッ!!アシオーッ!」

 緑色の巨鬼はため息をつき、とぼとぼと自分の巣へと帰って行った。

「うわぁ!凄いぞアシオぉ!!剣を抜くだけで、魔物も退く!」

「戦わなくても強いなんて!凄すぎる!」

「彼こそは、世界の英雄だ!」

「ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!」

「まぁまぁ、皆の衆。いつものことだ。そんなことより怪我人の手当てを。村の復興を。・・・そこのお嬢さん、お怪我はありませんか?」

「キャーッ!!私もお嫁にしてぇーっ!!」

「考えておこう」

 女は恍惚の表情を浮かべ、その場に倒れる。

「ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!ア・シ・オッ!!」




「いやぁ愉快痛快。毎日が楽しくて仕方がない」

 悪雄が脱ぎ捨てた鎧やマントを、一人の美女が拾い、ハンガーにかける。

「何がそんなに愉快なんですの?」

装備品を外すのを手伝うのは、一人目の妻「ペッシー」だ。出て行った妻や子どもたちが帰ってきて、悪雄の家は賑やかだった。息子のアぺやイペは家の中でサッカーをしているし、ウペとエペは英雄ごっこ、オペとカペはキャンバスに父の肖像画を描いている。

「キミがいるからだよ」

 悪雄はペッシーの頬にキスをする。ペッシーは唇にそれを返す。

「あなた、お客様が見えてるわよ」



 客間に入ると悪雄は両手を広げ、その人物を歓迎した。

「友よ!」

 ダニーは苦笑し悪雄のハグを受け入れる。随分と老けた印象だ。表情からは苦悶が伺える。

「西の英雄が、浮かない顔をしているな。どうした」

「それがアシオ・・・。どうにもなかなか、うまくいかなくてネ」

「何がだい?」

「色々・・・。うん、とにかく全部サ。全部うまくいってない」

「詳しく教えてくれ。俺で良ければ力になろう」

「アシオ・・・ブラザー。最近魔物の数が異常に増えたことは知っているダロウ?それも、オレやファティマが管轄している地域に、その傾向が強い。アシオ、気を悪くしないで聞いてほしいんダガ」

「言ってみろ、友よ」

「キミがあまりにも優秀過ぎて、こちらの地域に流れてきているみたいナンダ。聞けば、キミが登場するダケで、魔物たちは逃げて行くと言うじゃないか。それで提案なんだが、逃がすんじゃなクテ、駆除してほしいんダ。そうでないと、逃げた魔物が西や東にやってきて悪さをスル。オレはまだ戦えるからイイが、ファティマはあまり戦闘向きではナイ。それで負担が大きくなってる。忙しさのせいか、最近は、ファティマともすれ違いになることが多くなってネ。オレたちの地域の人々は苦しんでイル。こっちへの風当たりも強くなってきた。だから最近・・・疲れちゃったンダ」

「君は、人生がうまくいかないのが俺のせいだって言いたいのか!?」

「違うヨ!そんなつもりじゃないんダ!あぁブラザー!誤解ダヨ!」

「この前だって助けに行ってやったのに、その恩をこんなふうに返すのか!?えぇ?ダニー!?」

「あぁすまん!悪かっタ!この通りダカラ!!」

「しばらくは顔を見たくない。出て行ってくれ!さぁ!」

「Sorry!! アシオ! Sorry!!」

「うるさい!」

 悪雄は無理矢理ダニーを追い出すと、家族に誰も入るなと命じ、書斎にこもった。そして堪えていた笑いを一気に解放する。

「あーはっはっはっは!・・・あぁ!俺はなんて幸せなんだ!俺は今、絶好調だ!」

「お友達の不幸が、そんなに嬉しいのですか?」

 不意に背後から声が聞こえる。悪雄は電流が体に走ったかのようにギクリとして、恐る恐る壁にかけてあった鏡を見る。そこには自分の顔が写っていたが、鏡の自分の口だけは、本物とは違う動きをした。

「お前・・・誰だ」



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