1話「“元”勇者」

 「名は体を表す」という言葉があるが、黒弧悪雄(くろこ あしお)について言うなら、それは必ずしも適切ではない。悪雄はその名以上の存在だ。

 悪雄は異世界転生者だった。高校でいじめを受けて不登校になってから、悪雄はニートとして成人を迎えた。決して裕福ではない家庭だったが、経緯が経緯だけに、悪雄の親は、息子に就職を強くは促さなかった。ゲームのために起床し、アニメのために睡眠を取る日々。朝はもっぱら寝坊をするが、毎週日曜日の「アイドルバスターズ(通称アイバス)」というアニメ(剣は折れ、魔力も失った7人の女魔法剣士達が、生きるために異世界のアイドル達を皆殺しにしていくサバイバルホラースポ魂ラブコメである)だけは見逃さない。アニメ視聴のため、朝7時には起床する。そんな日々が、悪雄を自堕落にさせた。悪雄がこの異世界「ファンタジア」に来たのは、白馬王子よりも5年早い。ゲームの最中に食べた蒸かし芋を喉に詰まらせ、気を失う。目を覚ましたら、ファンタジアに来ていた。夢にまで見たラノベやゲームの世界に転生し、悪雄は天にも昇る心地だった。召喚と同時に身に付いたチート能力「時止め」を駆使し、国中にはびこる魔物達をバッサバッサと薙ぎ倒し、人々を救った。良い気分だった。勇者「アシオ」の名はファンタジア中に轟き、人々は悪雄を神のごとくあがめた。悪雄は金持ちになり、山の上に豪邸を構え、妻も3人迎えた。全ては順調だった。最初の半年が過ぎるまでは。

 錆びれた歓楽街のバー。グラスを拭くマスターは怪訝な顔で目の前の客を見る。勇者・悪雄は上機嫌で酒をあおっていた。隣に座る女性に絡むが、女性は引きつった笑顔でやんわり躱すと、お代だけ置いて出て行った。悪雄を心から慕ってくれる人間は、もはや多くはない。

「よぉマスター。もっと強いのくれよぉ」

「勘弁してくだせぇ、アシオの旦那。また悪酔いしますよ。そうだ、今日は用事があったんでさ。手前はそろそろ、店を閉めようと思うのですがね」

「なんだぁ?唯一の常連に開ける店はねぇってのかぁ??」

「(ボソッ)あんたのせいで他の常連が来なくなっちまったんじゃないか」

「なんか言った?」

「い、いえ!別に、何も・・・」

「なー、いいじゃねえかよぉ。金ならあるんだぜ、たーんと」

「お酒はお売りしますので、持ち帰って、家で飲まれてはいかがですかねぇ?」

「ずいぶん嫌われちまったな」

 店主は深いため息をつく。

「正直、こちらも迷惑してるんです、旦那。あんたがダニーさんやファティマさんみたいだったらいいんだが」

「・・・・・。」

「こんな所でくすぶって、ヤケ酒あおって。前みたいに輝いてた旦那はどこへやら」

 悪雄は手にしていたグラスを床に叩きつけ、拳でカウンターをかち割る。

「俺の前で奴らの名を出すんじゃねぇ!俺と奴らを比べるんじゃねぇ!!俺は奴らに劣ってなんかいねぇ!!!」

「ひぃぃ!お助けぇ!!」

 悪雄は店中の椅子を薙ぎ倒し、テーブルをひっくり返し、止めにかかる他の男達をねじ伏せ、最後に店主の首を絞めた。

「あっ・・・がっ・・・苦しいぃ、苦しいよぉ」

「俺の名は何だ、ああん?」

「ア、アシオの旦那」

「違う」

「勇者アシ・・・オ」

「“様”を付けろ、“様”を」

「勇者・・・アシオ・・・様」

 バーの店主は白目を剥いて気を失った。悪雄は首から手を放す。崩れ落ちる店主。悪雄は金貨を3枚、倒れた店主の顔に乗せると、ポケットに手をつっこんで店を出て行った。店の前には人だかりができていた。皆怯えた眼で悪雄を見る。

「見てんじゃねぇぞ愚民がぁ!!」

 蜘蛛の子を散らすように逃げて行く人々。彼を温かく迎えてくれるのは、もはや天彼方の星々だけであった。冷たい風が人気のなくなった通りを吹き抜ける。曲がりなりにも世界を救った男だ。悪雄はファンタジアに来てから、この世界を虐げていた魔王の封印に成功している。だから人々は表面上は彼を慕い、ぎこちない笑顔を向けた。だが悪雄は知っていた。彼らが陰で、自分をどう評しているのかを。

 悪雄の隆盛は、長くは続かなかった。悪雄がファンタジアに来てから半年後、二人目の異世界転生者が現れたのだ。名はダニエル=クラーク。アメリカ人だった。同郷の友の出現に悪雄は最初こそ歓迎し、温かく接したものだった。悪雄に心に“ホームシック”が無かったわけではない。突然、見ず知らずの異世界に飛ばされ、ニートが社会人になることを強制されたのだ。チート能力は持っていても、色々と苦労をした。世界を救った後、残党の魔物狩りに明け暮れる毎日。やりがいはあったが、どこか寂しさもあった。ダニエルの存在は、そんな彼に、故郷を感じる暇(いとま)を与えてくれた。悪雄はさながら兄を慕うかのように、ダニエルを、“ダニー”と呼ぶようになった。

 時が移るにつれ、魔物狩りにおいて、ダニーも徐々に頭角を現していった。人々は二人の英雄を歓迎したが、当の悪雄には少しずつ、苦々しい気持ちが芽生えるようになった。人々の賞賛や栄誉が、悪雄とダニーとで二分するようになってきたのだ。「物語の主役は二人も必要ない。救世主は一人で十分」。そんな思いが、悪雄の心を蝕んでいった。ダニーの異能力は、悪雄の「時止め」ほど強くはなかったが、どんな物でも豆腐のように斬ることができる「超切断」が弱いはずもなく、魔物はどんどん駆逐されていった。能力がどちらも強いなら、あとは元から持っていた“地力”がモノを言う。地球ではスポーツトレーナーをしていたと言うダニーのコミュニケーション力やリーダーシップを前に、悪雄の影響力は次第に薄らいでいった。悪雄はそれが面白くなかった。「いじめられた経験」と「無味乾燥としたニート生活」という鎖は、悪雄に、人々からの愛情や賞賛といった感情に対する、異常なまでの執着心をもたらしていた。一時は“兄”とさえ感じていたダニーに対して、徐々に悪雄は、嫉妬と憎しみ― 時には“殺意”さえ感じるようになっていった。にも関わらず、悪雄が強力な異能力「時止め」を駆使して、ダニーを暗殺しなかったのは、彼が同郷の友だったからだけではない。ダニーもまた、悪雄の好きなアニメ「アイバス」のファンであり、推しキャラが被っていたという理由のためだ(7人の女魔法剣士のうちの一人『燃 萌佳(もえ もえか)』。ちなみに悪雄が時止めを行う時に取るポーズは、萌佳がメンバーを励ます時に取るポーズである)。同じアニメファンで、同じ推しキャラ。悪雄にはどうしても、ダニーを殺すことはできなかった。

 人々の支持が自分からダニーに移っていき、焦りを感じていた頃。「二度あることは三度ある」とはよく言ったもので、更に半年後(つまりは悪雄が来てから1年後)、三人目の転生者が現れた。ファティマ=モコエナという南アフリカの女性であった。今回は同じ轍を踏まぬよう、悪雄はファティマに対して何のアプローチもしなかった。しかし、突然異世界に来て右も左も分からぬファティマを、ダニーは放っておかなかった。世界情勢、文化、身の守り方など、必要な知識を分け与えた。これを機に、ダニーとファティマは親交を深める。ファティマが、悪雄という最初の転生者の存在に気が付いたのは、ずいぶん後になってからだった。ファティマの異能力は他の二人よりも更に弱く、質量の軽い物体を念動力でコントロールする「テレキネシス」だった。重たい物は持ち上がらないため、魔物との戦闘では見劣りしたが、地球ではピアノやバイオリンなどの楽器演奏に長けていたため、こちらの世界での楽器にもすぐに順応した。魔物に家族を喰われた人々を慰問し、リサイタルを開くなど、各地で影響力を広げて行った。また、大統領の娘でもあったため、政治的なアドバイザーとしてファンタジアの王室に招かれることもあった。

 悪雄は、人々がもはや自分にちやほやしてくれなくなったことが、面白くなかった。悪雄の性格は荒んでいき、3人いた妻のうち2人は子どもを連れて出て行き、戻ってくることはなかった。最後の妻とも、今や別居中である。ガランとした豪邸。高級な調度品や自分の石像。身の回りのものが豪勢であればあるほど、悪雄の胸に空虚さが押し寄せてくるのであった。「これ以上“ヒーロー”を増やしてはならない」。悪雄はそう考えるようになった。

 悪雄は一つの仮説を立てた。ほぼ正確に、半年おきに転生者が出現する。つまり、転生周期が決まっているのではないか、と。また、転生によって与えられる異能力は、元の世界での社会的影響力に反比例するのではないかと考えた。四人目の勇者の誕生は何としても阻止したかった。

(もし現れようものならば、その時は・・・)

悪雄の心に、どす黒いヘドロのようなものが渦巻き始めた。悪雄は深い穴を掘り、そして時間を停止させた凶暴な魔物を、その中に放り込んだ。半年後、悪雄は自分や他の二人が出現した魔法陣の前に立った。仮説は・・・正しかった。間接的にしろ、人を死に追いやったのは、初めてのことであった。



 豪邸のベルが鳴った。ここ数ヶ月無かったことだ。悪雄はさっさと身なりを整え、足早に玄関に向かい(寝室から玄関まで1分はかかった)、あたかもさっきから起きていたかのような表情を作って、戸を開けた。そして落胆した。

「あれ、歓迎されない客だったカナ」

「・・・まっさかぁ!そんなはずねぇだろう!?ダニー、友よ」

「ハローよねぇ」

「や、やぁ、ファティマも来たんだぁ。・・・で、どうした?」

「中に入れてくれないのカイ?」

「もちろん入れるとも!入れるが、その・・・メイド達が出て行ってしまってねぇ。中は散らかってるんだ。気の利いた食べ物とかも出せないしぃ」

「そうか。突然来訪したオレたちが悪かったヨ。じゃあ用件ダケ」

「OH、アシオ、コレ、土産よねぇ」

 ファティマの手には、綺麗なパステルカラーの包装紙でくるまれた箱が握られていた。

「ビュサベルのシティで買ったウマーイ物よねぇ」

「ありがとう。で、用件って?」

 ダニーとファティマは顔を見合わせ、少し微笑んでから悪雄を見た。

「ワタシタチ、結婚するよねぇ!」

「・・・へ、へぇー。おめでとさん」

「魔物は、アシオやオレたちがほとんど駆逐しタ。そろそろ幸せになってもいいんじゃないかと思ってネ。その・・・お前が奥さんたちと別れたのは知ってるんダガ。デモ、同じ地球から来たよしみダ。言わないのはかえって失礼かと思ってネ」

「そんなことないよ。聞けて嬉しい。式には呼んでくれよなぁ、友よ」

「もちろんダ、ブラザー」

「アシオ、元気ないよねぇ?顔色バッドよねぇ??」

「大丈夫だよ、ファティマ。それじゃあ俺、忙しいから」

「またねよねぇ」


 悪雄は戸を閉め、振り返る。広い玄関、広い居間。狭い自分の心。

 近しい友人の幸せが・・・とにかく眩しくて煩わしい。

 自分は失い、奴らは得て行く。

 かつて自分が持っていた幸せが、かえって自分を傷つける岩となる。

 何がいけなったのか。

 どこで躓いたのか。

 心が、寒い。


 悪雄の足は自然と地下へと向かっていた。豪邸が建てられる前に自分で作った隠し部屋。誰にも知られてはならない、秘密の部屋。



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